おっさんkawaii化計画映画『ザ・スイッチ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

かわいいは正義なのでたとえさっきまで別に罪はないが映画の中ならいくら死んでも構わないタイプの若者をじゃんじゃかぶっ殺していた外道殺人鬼男性であってもかわいいならオッケーです。アステカ文明発の妖刀が放つ怪電波を受信した外道殺人鬼男性(オカルト陰謀論界隈の片隅で連綿と語り継がれるヨタ異聞によればあのアドルフ・ヒトラーも聖遺物ロンギヌスの槍の「声」を聴いて狂気の道に入ったのだとか…)が妖刀の声に従ってたまたま見つけた女子高生にこれをぶっ刺すとあら不思議、二人の心が入れ替わっちゃった!

かくして体が女子高生の外道殺人鬼男性と体が外道殺人鬼男性の女子高生が爆誕してしまうわけですがこのテの映画に出てくる女子高生と言えば酒もクスリもオールオッケーなアメリカンファッキンビッチも珍しくないのにこの女子高生は好きな映画が『ピッチ・パーフェクト2』でお母さんと一緒に『ウィキッド』を観に行くような乙女しい女子高生でkawaii! ニオイはキツくて嫌だけど初めてのおっさん男体がおもしろくなっちゃったのでお手洗いでジョボジョボおしっこをこぼしながらクレヨンしんちゃんでいうところの象さんをやってしまうハシャギっぷりがkawaii!

一方、女子高生の体を得た外道殺人鬼男性はといえば…まさか娘の体にチャッキーよろしく外道殺人鬼男性が入り込んでいるなどとは思いもしないお母さんが作ってくれた朝ご飯を手づかみでかきこむ野獣仕草からしても仮住まいにしていた廃墟の妄執にまみれた崩壊電波インテリアからしても俗世間から完全に切り離されてしまった人だろうと思われたが謎の超ファッションセンスとどこで身につけたんだ的な化粧テクニックを駆使してなんか地味乙女からヴァンパイアとか狩ってそうなクールにしてホットホットにしてクールな女子高生に変身! まさかあの人がと学園に嵐と殺しを呼ぶのであったがこんな女子高生になら殺されても恨めないですよねkawaii&kakkoii!

と、バカっぽいしバカなんだけどでも案外そっち方向に振り切れてくれない。監督は『ハッピー・デス・デイ』の人と聞いてあーそうですかと膝を打つ。そうなんだよな。単なる変化球スラッシャーじゃなくてスラッシャー×もの。スラッシャー×コメディ×学園ドラマ×家族ドラマ×ちょいオカルト×価値観アップデートもの。掛けるものが多いね。こんなに多くて100分程度しか上映時間はないので見所の大渋滞。個々の見所が薄っぺらいとも言えますが。

でその見所デパートの中でもこれは目玉でしょっていうのは乙女女子高生の魂を宿してしまった外道殺人鬼男性ヴィンス・ヴォーンの乙女芝居です。これは大笑い。乙女走りをするヴィンス・ヴォーン。シャワーの後でタオルを乙女巻きするヴィンス・ヴォーン(いらんだろ)。恋するナイス男子生徒にポエムを詠んで愛を告白するヴィンス・ヴォーン。ヴィンス・ヴォーンと男子生徒の笑いナシのガチキスシーンまであってなにかすごいことになっている。中身が乙女女子高生だとは知るよしもない浮浪者が覚醒剤を求めてやってきた時の浮浪者の反応が可笑しい。「ほら、やっぱりラリって女子高生に成りきってるじゃないか! 俺も女子高生になった幻覚見たいからその隠してるヤクをくれ!」いやなりたいんかい。俺もなりたい。

結構こういうような会話の笑いが多い映画で、訳あってストレートを偽らなければならなくなったゲイの高校生の理解のありすぎる母親が放つ「あんたがストレートなわけないじゃない!」などは破壊力の高いリベラルジョーク。このへんでみなさんもうお気づきでしょうがまぁリベラルの作ったものだよね。かなり細かい描写や設定までポリコードから逸脱しないよう細心の注意の払われたポリコレ・スラッシャーで、「処女は生き延びる」との半ばジョーク化した有名な法則もあるが、元々アメリカン・スラッシャーはピューリタンの価値観に照らし合わせて反道徳的なことをする若者から死んでいく教育的側面があるわけで、その保守性はそのままに教育内容がピューリタン規範から現代のPC規範にアップデートされた、というのは興味深いところではある。

それは言い換えればここで描かれる現代道徳はかつてのスラッシャー映画の基調を成していたピューリタン道徳と同様に別に大して意味のあるものではなく、要はそうした方が無難だし今はそっちのが商品として広範囲に売りやすいというだけのことで(善人が報われる映画は報われない映画よりも売れるのは世の常だ)、教育要素とスラッシャー要素を天秤にかけつつやや教育要素の方に傾いている点でフーム、と思ったりはした。教育要素とあとヒューマン要素かなぁ。場面場面でクリスマス映画のように見えるところもあった。お母さんの告解みたいな場面とかね。

もちろんR-15に恥じないゴア描写はあるしスラッシャー映画の定番ネタで笑わせつつも『マニアック』でジョー・スピネルが住んでたみたいな外道殺人鬼部屋インテリアとか『ハロウィン』のマイケル・マイヤースを思わせる殺人鬼の首かしげとか(『ハロウィン』シリーズからは更に『4』に出てきた壁串刺し死体と救急搬送中の殺人鬼蘇生、リブート版から女の連帯で殺人鬼タコ殴りもピックアップ)『チャイルド・プレイ』丸出しの精神交換儀式であるとか、『13日の金曜日』のパロディ/オマージュは例の13金フォントで「11日の水曜日」のテロップが出る冒頭からして明らかだが、他にも『ラストサマー』っぽい殺し方もあったのでスラッシャー映画イースター祭としても楽しめた。

とはいえパロディネタを探せ! 的に楽しめるということはぶっちゃホラー的な怖さは限りなくゼロいわけで、ズル剥け脳みそとか血だまりにウジ虫とかが出てくるエンドロールはこの映画のメインターゲットを考えればずいぶん頑張ってるなという気はさすがにしたが、ズル剥け脳みそとかウジ虫だけ見せられても気持ち悪いだけで別に怖くはないからね。

まぁ、だから、悪趣味寄りのヒューマン・コメディっていうのが一番内容を言い表せてるかなぁ。なんか、そういう映画でした。そういう映画としてとてもよく出来ているとは思ったな。男体を手に入れた主人公の乙女女子高生キャスリン・ニュートンがそーかおっさんの体と女子高生の体だとこんなに世の中の扱いが違うのか、と気付きを得るところとかは巧いですよね。女子高生体の時は男子生徒にナメられまくってたのにおっさん体の時はその男子高校生がビビりまくるとか。女子高生体だとスルーできる公共空間でもおっさん体だとすぐ犯罪者扱いされてしまうとかね。

そこはなかなかバランスの取れた描き方で、外道殺人鬼はとくにそれで反省するとかはないので入れ替わりドラマとしてダイナミズムに欠くが、観る側は肉体が違うだけでこんなに世界の見え方が変わるんだなーと面白がれるんじゃないだろうか。そのへんは、『ハッピー・デス・デイ』と同じ。この監督は視点の変更をコアアイディアにしているんだろう。

面白い映画だったがただキルカウント8人という省エネ労働と死んでいい人しか殺さない優しい残酷はやはり不満点なのでもっと容赦なくせめてキルカウント12人ぐらいまではあの外道殺人鬼男性も頑張るべきだったと思います。もっとね、見境なく殺していいですから。でけぇおっさんの体だと容易にぶっ殺せるが女子高生の体だとなかなか殺せない…という男女格差風刺ネタもわかるんだが(あるいは女子高生体にあんまり殺させると観客の共感を呼べないから…みたいな配慮なのだろうか?)

2021/4/21 追記:キルカウント10人でした。殺人鬼そこそこ頑張ってました。

【ママー!これ買ってー!】


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すでにスラッシャー・クラシックとして不動のポジションにある一作目を除けば『ハロウィン4』はシリーズで一番好きな映画だし寓話的なムードも静かな恐怖演出も一作目と円環を成す展開も実に見事なスラッシャー続編の鑑、この映画のソフトが日本国内ではあんまり流通しておらず意外なほど観られていないという不幸はなんとかならんかね。

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hishi
hishi
2021年4月20日 8:41 PM

キルカウントは10人じゃないですかね。
最初の4人、女子高生、先生、アメフト部4人で。