超リアル姥捨てSF映画『PLAN 75』感想文

《推定睡眠時間:0分》

たまに実家に顔を出すと親が終活なるものをやってるとかよく言う。どうせ親世代のことだからテレビとかでやってるのを見て自分もやりたくなったんだろう。本人がそれで何か安心できるとか自分にとってプラスになる行為ならまぁ別に好きにやってくれと思うが、しかし自分の死んだ後のあれこれをわざわざ生前から考えさせるのだから、終活というのはずいぶんグロテスクなテレビ発ブームである。この映画『PLAN 75』は75歳以上の安楽死が解禁され推奨される近未来のお話だが、テレビに言われるがままにさも素晴らしいことでもあるかのように終活という名の死後準備、とはつまり遺族が負担すべき事柄を死ぬ本人が肩代わりするライト版の姥捨てに他ならないが、そんなものをホイホイとやってしまう意志薄弱無知蒙昧な親世代を見ていれば、高齢者の安楽死合法化もあり得ない話ではないと思えてくる。案外この映画の作り手もそのへんからこの物語を発想したんじゃないだろうか。

さてそのストーリーはというとこれはちょっと変わった作り。一応ホテルの清掃係の倍賞千恵子が主人公に置かれているがその他にも安楽死者の遺品回収を行う外国人労働者、安楽死を申し込んだ老人の気が変わらないように話し相手になってやる安楽死コールセンターのバイト職員、役所の安楽死窓口担当者とそこにやってきた担当者の叔父、が出てくる群像劇なのだが、それぞれの物語は淡々と進行してドラマティックな盛り上がりをほとんど生まず、たとえばロイ・アンダーソンの映画のようにあるディストピア的な社会状況の中で市井の人々はどんな日々を送っているか、ということを点描するドキュメンタリー的な映画となっている。

観ていてなんとなく既視感があったのはつい最近観た『ニューオーダー』という風刺SF的なメキシコ映画が(やってることは全然違うが)これと近いタッチだったからで、ウクライナ戦争を受けて急遽日本公開が決まったセルゲイ・ロズニツァの『ドンバス』、ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチの『アトランティス』『リフレクション』とも似た空気感があった。いずれの作品にも共通するのは絶望的な状況に対して主人公をはじめ登場人物の誰一人として状況をひっくり返そうとする意志はなく、かすかな疑問は覚えたとしてもそれ以上自分の置かれた状況に対する考えを深めることもなく、崩壊した社会の中で日常生活をつつがなく送ることを優先してしまうという点で、これが現代先進国社会の空気なのかなぁとか、こういうのが三大映画祭で評価されやすいんだなぁとか思ったりする(『PLAN75』はカンヌのある視点部門で賞をもらっている)

まぁこういうエグみのあるSF設定なので序盤はすこぶる面白い。SFといっても映像的には今の日本と大して変わらず、変わったところといえばプラン75のCMとかポスターとかがやたらあちこちに顔を出すところとスーパーに行けば物価高騰でコロッケが198円になっているところとそれにも関わらず賃金は据え置きのままというところとホームレス向けの炊き出しにはかなり若い人も多く並んでいることぐらいだってうん地味に! 地味に実に厭な感じに変わってますね近未来日本! リアルだ。SF設定をこれ見よがしに出さずにあくまでも現代日本の半歩先の延長として近未来を描写しているのがこの作品の巧いところだろう。そんな近未来日本で清掃パートのババァたちがババァあるある的な会話をしながら旅行パンフレットでも見るように安楽死パンフレットを見てる後景を想像してみなさいよあーた。うー、背筋が凍る!

とこのように序盤は見事な美術設計もあって(プラン75関連の掲示物のリアリティは特筆ものだ)風刺SF的にたいへん面白く観られるのだが、かなり厭な近未来日本風景にこっちの目が慣れてくる中盤以降はわりとダレる。上に挙げた『ニューオーダー』とか『ドンバス』とか『アトランティス』というのは淡々と進行しつつも要所要所で壮大なというか、ウワッと思うような光景が出てくるのだが、この『PLAN75』にはそういうシーンやショットがない。現代日本の延長線上からはみ出さないようにリアリティに気を配っているのはわかるが、映画はリアルであれば面白いというものでもないので、そこはもうちょっとケレン味があってもよかったのになと思う。大量殺人のシーンを冒頭に置いてしまったのはちょっともったいなかったんじゃないだろうか。そりゃギョッとする導入ではあったけどさ。

とはいえその退屈さはこの作品の意義を損ねるようなものではないだろう。慧眼だなーと思ったのがさ、これは安楽死の是非を問うているようでそうではないんだよな。近未来日本は今よりももっとひどい不景気でもうどうにも首が回らなくなってきたから社会保障費抑制のために年寄りに死んでもらうか政策が国会で可決されちゃったわけ。で国民もちょぼちょぼと反対運動とかはあっても決定的な動きはなく概ねそれを受け入れちゃったわけ。そんでもってそれをまぁ生まれは選べないから死に方を自分で選ぶってのは悪くないんじゃない? とかって問題をすり替えるわけ。

俺は個人の意思を尊重するために安楽死は制度としてあった方がいいと思ってますけど(もちろん窓口に行ってはい審査もなく安楽死オッケーですなんてものではなく一年二年かかる厳格な審査や検査を前提としてだ)社会保障費削りたいからとかいう不純な理由で安楽死合法化の議論がされるようなことがあればそれはもう大反対。だからこの映画はそこをちゃんと切り離して描いていてよかったですよ。安楽死制度が悪いんじゃなくて他の目的のために安楽死制度を持ってくる欺瞞偽善破廉恥が悪い。そしてそんな欺瞞偽善破廉恥にでかい声で異議申し立てをすることもできすにただボーっと眺めているだけの意志薄弱で権威主義的な日本国民が悪い。

その意味で、いかにも日本的な情緒に走って登場人物の罪を決定的には指弾しないラストは残念に思ったが、見方を変えればそのようなラストを通してメタ的に日本国民の限界を冷たく示しているとも言えるかもしれない。なんにせよ現代日本の時代診断映画としては比類ない。おそろしくも滑稽で身につまされる、これはなかなか破格の映画だったと思う。

※いちばん好きなシーンは役所職員がベンチの排除棒(寝られないようにするやつ)を業者と選定するシーン。あのブラックユーモア最高。

【ママー!これ買ってー!】


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終活とかなんとかそんな言い換えを許しているといつか本当に『PLAN 75』みたいな姥捨て社会が到来してしまうぞということで終活は姥捨ての前段階に過ぎないんだと姥捨て映画『楢山節考』を見て脳を刻み付けておきましょう。

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さるこ
さるこ
2022年6月25日 9:51 AM

こんにちは。
本作は、映画そのものより、これを見に来る人たち(おそらくミチさんと同年代?)に劇場でまみえる事が怖かったです。
もちろん映画もよく出来ていて、淡々と進むのにこちらはずっと胃が痛い。磯村勇斗くんも出色の出来。
私が思い出したのはずっと以前のTVのドキュメンタリーで、ミチさん世代のお一人様男性で教会に寄付を続けている、という方(だったかなぁ…)。その方がお部屋で孤独死されて、遺書があったんだか教会のお仲間にあらかじめ伝えていたのかで、押入れに預金通帳(十万円ほどの預金)があるから自分の死後はそれを寄付してくれ、ってことが判明したんですね。
その方のお部屋が、ミチさんのお部屋みたくキチンと整頓されていて、まさに〝清貧〟という感じで、それを見たら私泣けてしまって、人生って何なんだろうなぁ…と。
それはそうとこの映画については文化庁の助成金でこんなモン作りやがって!という抗議はなかったのかな?