映画『ハッピーエンドの選び方』の感想を真面目で退屈に書く(ややネタバレ)

『ハッピーエンドの選び方』は、おもしろかった! こういう映画を作らねばと思う。
おもしろい映画には「おもしろかった」以外言うことはないし言うべきでもないのかもしれないが、ともかくなんか書こう。
でも本当は「見て」としか言いたくない。
知識は時に感情を阻害するから、できればまっさらな状態で見て欲しい。仕事終わりのビールのために二時間前から飲み物を我慢するように。そういう貧乏臭さも時には試してみなさいよ。悪くないよ。

つまり、ネタバレ的な感じはそこそこあるので気をつけて!

あらすじ

ヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)は妻のレバーナ(レバーナ・フィンケルシュタイン)と一緒に老人ホームで暮らしている。
機械工作が趣味のヨヘスケルはある日、友人ヤナ(アリサ・ローゼン)に、夫を病の苦しみから解放する手助けを頼まれる。すなわち死ぬ手伝いである。
ヨヘスケルたちはホームにいる元獣医のダニエル(イラン・ダール)や元警官のラフィ・セーガル(ラファエル・タボール)に相談する。

ダニエルの持っている薬品が役に立つとわかったものの、結局みんな手を下すのを嫌がったため、ヨヘスケルは本人がボタンを押すことで薬品を注入できる機械を作る。
この機械はうまくいったが、そのために噂が老人ホーム中に知れ渡ることになってしまう。
そうしてヨヘスケルたちに機械を使わせて欲しいと依頼が来るようになり、彼らは罪悪感と使命感、感情と道徳とで葛藤するが、結局は断りきれないのだった。
なぜならば、彼らもまた老人であり、最期を選ぶことは他人事ではなかったから。

https://www.youtube.com/
https://www.youtube.com/ ヨヘスケル役のゼーブ・リバシュは顔芸を得意するコメディ俳優らしい。もちろん本作でその顔芸を見ることはできない。

俺がこの映画を気に入った一番の理由は、結末に向かってまっすぐだったところだ。
と言ってもひねりのない単調な物語というのではない。ストーリーのうねりはちゃんとある。しかし、その心地よいうねりの渦中に我々観客を漂わさせながらも、目的を見失わせない配慮を怠っていないということだ。
ネットで映画のレビューを読んでいるとしばしば、途中で結末がわかったことを欠点のように捉えているものに出くわす。良い物語とは、意外性によって常に観客に驚きを与え続けるべきだと考えているのだろう(あるいは自分の想像力が著名な作者に勝ったと誇示しているか)。

しかし映画というものは多くの場合、観客の結末を予想させるように作られている。結末への期待感によって関心を維持させるのだ。映画内で示されるあらゆる情報は作り手が意図している結末に紐付けられている。
だから結末がわかって当然なのだ。わからせている、わかってもらわなくては困る。映画では何が起こるかと同じくらい、どのように起こるかが重要なのだ。どのように、を楽しんでもらうためには起こることが予想されていなくてはならない。

一応言っておくが、結末に向かうことが目的ではない映画がたくさんあることは知っている。また、名作とされているものの多くは従来の型にはまらないものである。新しい表現を生み出したものには正当な評価が与えられる。映画が芸術と言われる所以はそこにある。
ここで書いているのは基本的な映画のことだ。

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https://www.youtube.com/ 照明の加減も美しい。繊細に調整されたグラデーションだ。

『ハッピーエンドの選び方』の結末は明確だ。老人が主人公で、安楽死を扱っている。ヨヘスケルには愛する妻・レバーナがいて、二人の信頼関係は映画の冒頭から魅力的に描かれる。ヨヘスケルは消極的だが安楽死の実行について多くを担うことになり、レバーナは安楽死に反対の立場である。
そして映画の序盤から、レバーナには認知症の兆候があることが示されている。
以上の情報から、誰もが同じひとつの結末を予想するだろう。
だからこの映画は良いのだ。

そしてその結末を盛り上げるために作り手はユーモアという味付けを選択する。その方針自体は珍しくない。しかしのこ映画、塩梅が良いのだ。日常に起こり得ることのタイミングや視点を変えることでおかしさを引き出している。だから過剰に明るく笑わせようとはしない。また悲しみも同様にして描かれる。

この映画においては、笑いも悲しみも同列で、日常の一部として存在している。登場人物たちは彼らの個性に従って自然に振る舞っており、観客に何かを訴えかけようとはしない。
主人公たちの障害となる人物ももちろん出てくる。しかし悪人としては描かれない。そういう立場の者だったというだけだ。登場人物が相手を責めることはあるが、作り手がそうさせているわけではない。そのバランスが嬉しい。この映画を信用できる。映画を楽しむ以外に頭を使わなくて済むのだ。嬉しい。

https://www.youtube.com/
https://www.youtube.com/ 老人ばかりだからか、人の動きはあまりない。主に座っている。監督たち(二人いる)は苦労したろうな。

原題はヘブライ語で「良い死」という意味のようだ。英語題は「The Farewell Party」で「送別会」となる。英語題は国際マーケットへ出品するときに製作者がつけるのが通常なので、どちらも正式なタイトルと言える。

邦題の『ハッピーエンドの選び方』は原題の方を採用したようだ。悪くない邦題に思えたが、見終えてからだと、果たして映画の内容に見合っているか、疑問がある。
俺の勝手な思い込みかもしれないが、「良い死」には曖昧な部分がある。解釈の余地がある。だが「ハッピーエンド」には肯定しかない。タイトルが登場人物の選択を全面支持している。
しかし、映画はそうだったろうか? 俺にはそうは思えなかった。映画は中立だったはずだ。だからこそ俺はこの映画を気に入ったのだ。

褒めるのは難しい。作品に釣り合う言葉を選ばなくてはならないから。今回うまくできたか自信がない。
それくらい『ハッピーエンドの選び方』は良い映画だった。

(文・宮本亮)

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名画座二本立てでプログラム組んで欲しい。
陰と陽、正反対というわけではないからおもしろい。アプローチの仕方が違うだけ。

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うさこ
うさこ
2017年1月20日 3:30 PM

数多くのレビューの中で、最も腑に落ちる内容でした。
代弁してもらったかのようなスッキリ感、ありがとうございます。