【ネッフリ】『Death Note/デスノート』を見た

→『Death Note/デスノート』[Netflix]

《視聴中断回数:6回》

「あのデスノートがハリウッドで映画化!」という文言を見かけるが、ネットフリックスはハリウッドなのか? ロサンゼルスにある映画製作会社の総称がハリウッドと言われるのだろうか。でも「ネットフリックスがハリウッドをおびやかす」なんて記事も結構あるが、それはまた別の解釈なのか。あるいはそういった記事は古いもので、いまはもうネットフリックスもハリウッドの一員として認められているのだろうか。あるいは『Death Note/デスノート』の製作にハリウッドの会社が参加しているということだろうか。
みなさんはどう思いますか? ひとつだけはっきり言えることは、こいういどうでもいいことをことをぐだぐだ問うていると女にもてないばかりかムカつかせる結果になるので止めましょう。マジで。

Netflixによるあらすじ。
偶然拾ったノートに人を殺す力があったら…? ノートの力で犯罪者を次々と消していく青年は、正義の味方か、連続殺人犯か。

漫画『デスノート』は読んでいる。アニメ、ドラマは見ていない。日本製の映画はテレビ放映時に少し見たけど、画面が薄暗くて見づらかったのでやめた。
俺の原作もの映画への考え方は、変更はOKだし推奨するが、それは原作がウケた要素をより膨らませる目的でなくてはならないというものだ。オリジナルの本質的な魅力を読み取る能力と、その魅力を引き立てる映像ならではの技術を求める。
後発となる映像化作品は、ストーリーは知られているのでストーリー以外の部分に期待できそうにないと難しい。そのあたりを映像のプロがどうアレンジして見せてくれるかが楽しみなところだ。『Death Note/デスノート』はアメリカ製なので文化の違いもある。どう変えてくるのか。

漫画では主人公の夜神月(やがみらいと)は完璧な人間という設定だ。容姿端麗、文武両道、父は警視庁幹部、妹はかわいく、母は普通。しかし本作のライトは違う。不細工ではないものの地味な外見だ。高校の花形であるアメフト部やチアリーダーの活動を陰気な目で見ながら、友人たちの宿題の代行で小遣い稼ぎをしている。
宿題の代行というと一瞬頭が良い描写かと思ったが、よく考えると宿題は習ったことの復習がメインであり、難易度はさほどではなく面倒臭いだけの作業だ。そんな面倒なことをしてまで小銭を稼がなくてはならないということは、アメリカのライトは貧乏なのだろうか。

なんとなく不安になった出だしだったが、ライトがデスノートを拾ってリュークが現れると俺のテンションは一気に上がった。リュークのCGに対してではない。リュークを見たライトのリアクションが最高だったのだ。
女のような甲高い声で「キャー!」と叫び、ニコラス・ケイジのような壊れた表情で一目散に全力逃走。そして「ヘルプ! ヘルプ!」と言いまくる!
そうか! これか! これを狙っての設定変更だったのだ! やるじゃねえか!

『デスノート』のストーリー上の魅力は頭脳戦だが、作品が弾けたきっかけは夜神月のリアクションも大きかったと思うのだ。デフォルメされることなく繊細な筆致で描かれるオーバーリアクションは、文字が多い漫画の良いアクセントとなり、めっちゃウケた。そしてそれらの絵を組み合わせたコラージュが大量に作られ「デスノコラ」として爆発的に流行った。
俺が『デスノート』に触れたのはデスノコラが先だった。それらを見ているうちに一体どんな漫画なのか興味を持つようになったのだ。
夜神月のリアクションは『デスノート』においてなくてはならない重要なエッセンスだ。それをこの映画の制作者は理解していた! 素晴らしい!

その後に続くデスノートによる殺人シーンも『ファイナルディスティネーション』式のピタゴラ死で良かった。漫画ではできるだけ直接的な死亡描写を避けていたが、本作は映画、しかもネット配信という強みを活かしてかなりリアル志向のグロ描写を前面に出してきた。
『デスノート』の魅力はそこではないのかもしれないが、本作は映画である。であればアクションを増やし、見た目のインパクトを増す変更は映像のプロとして正解だ。
ピーター・ジャクソンも『指輪物語』の映画化において同様の変更を行っている。そうしたことによって『指輪物語』本来の大切な部分はほぼ失われてしまったが、だったら小説を読むべきであるという映画と小説の明確な住み分けができていたので感心したものだ。

だが、良かったのはここまでだった。
基本設定の変更によってライトが失ったものは大きすぎた。ライトに思想や目的がなくなったのだ。漫画ではなにもかも持ち過ぎて人生に失望している夜神月が「神」となるためにデスノートの力を使うところにおもしろさと説得力があった。しかし本作のように平凡なライトが急に「神になる」とか言い出しても「おまえが?」という失笑しかない。

そこで脚本家はライトに復讐の要素を加えた。ライトは母親を殺されているが、犯人はのうのうと生きている!
そこでライトはデスノートに書く二人目の名前をその犯人にした。結果、映画開始20分でライトの復讐は達成された。もうライトには何の目的もなくなってしまった。理屈としては正しいが、何のための復讐設定だったのか。しかし復讐相手の名前を調べるのがメインになっては『デスノート』の物語とかけ離れてしまうし……クレジットに脚本家の名前が三人あった混乱がよくわかる。

正義感から凶悪犯を粛清するということはできるが、それでは個人的な感情がないのでストーリーを引っ張ることができない。正論や一般論で動く主人公なんか見てもしょうがない。現実世界で退屈な人物は、映画の中でもやっぱり退屈なキャラにしかならないのだ。
というわけでライトに彼女ができた。彼女は野心家で、新世界の神になるのに意欲的だ。セックスしては人殺し、セックスしては人殺しの毎日。
ライトの目的は、彼女に振られないことだ。そのためにノートに名前を書き続ける。

とりあえずここで、一時停止ボタンを押すよね。
このへんでだいたい30分くらいが経過している。特別な理由がなければ殆どの人は二度と再生ボタンを押すことはないだろう。しかし、俺は押した。これを書くという目的があるからだ。
彼女に振られないためにデスノートを使うライトと、レビューを書くために『Death Note/デスノート』を見る俺。踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損。
損してるのは俺か? いいや、違うね。損してるのは今これを読んでいるお前だ!!

あとはだいたい他の人が書いているレビュー、感想と同じような内容になるので割愛するよ。

エンドクレジットが『セブン』のオープニングクレジットのパ…インスパイアなんだけど、途中で撮影風景とかNGショットが挿入されて戸惑った。こういった普通の映画でそういうのを見せてくるのは、自主制作映画以外では初体験だった。余韻が失われるから良くないと思うんだよな…。おもしろいと思った人も冷めるんじゃないのか。
高校生が人を殺しまくる内容だから「この映画はフィクションです」を強調する狙いかもしれないけど。

【ママー!これ買ってー!】


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『セブン』のオープニングクレジットを作ったのはカイル・クーパー。もしかして、と思って調べたら『ワイルド・ワイルド・ウエスト』も作ってた。
タイトルと主題歌のPVだけがかっこいいクソ映画『ワイルド・ワイルド・ウエスト』。見終えると同時に記憶から消えてしまうので何度も見てしまった『ワイルド・ワイルド・ウエスト』。
ちなみに『Death Note/デスノート』にカイル・クーパーは関わっていません。

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