映画はやっぱりおそろしい映画『霊的ボリシェヴィキ』の感想

《推定睡眠時間:0分》

長宗我部陽子の演じる霊能力者が「あなた、人を殺したわね」とか言う。どこかの廃工場(なに作ってたんだろう)に集った霊能力者らオカルト同志たちが「何か」に触れた奇妙な体験を百物語的に語っていくオカルトカルトものがたりがこの映画だったんですがー、どこかで見たしどこかで聞いた。

どこかで見た気がするのは高橋洋の前作『旧支配者のキャロル』の延長線上にあるような舞台設定とストーリー展開だったからだろう。あれもなんかロケ地がどっかの廃工場ほぼオンリーで…監督の高橋洋がホームグラウンドとする映画美学校の実習も兼ねた底予算映画だからだと思われるが…その美学校生スタッフを兼キャストとして起用した美学校生の卒業制作バックステージもの(メタであるしネタである…)だったがー、なんか密室状況で映画を作っているうちに美学校生たちがおかしくなっていく。
廃工場のオカルト同志たちも百物語を語るうちに「何か」を呼び寄せてしまうんであった。同志の一人がDATでその様子を録音しているところなんか映画撮影と地続きのイメージだ。

どこかで聞いたことがあるというのは思い出したこれは映画美学校の高橋洋クラスの実習作品の中で、何度も繰り返された台詞なのだ「あなた、人を殺したわね」。
元ネタはリチャード・フライシャーの『絞殺魔』らしいが見てないから知らない。実習は用意された短編脚本を一字一句変えずに各々違ったアプローチで映像化するというもので、捜査の一環として霊能者の下を訪れた刑事が逆に自身のダークネスを霊視される…「あなた、人を殺したわね」…というのがそのストーリーだったはずである、たぶん。
俺は美学校出身ではないのだけれども美学校系の人からその実習映像集を見せてもらったことがあった。

んで『霊的ボリシェヴィキ』も相変わらず半実習の美学校映画なわけですがなんか繋がってきたなおい。そうか。そうですか! 祝詞の反復は神への道! 場の一体化、場との一体化、一体化による世界の変容! ならば「あなた、人を殺したわね」の反復も実習の名を借りたオカルトチャネリング演習だったのではないか!
『霊的ボリシェヴィキ』においても「結局いちばん怖いのは人間っすよね」とかぬかして場の一体感をぶっ壊すバカをぶん殴って「ボリシェヴィキ党歌」を斉唱する名シーンがあるが、そうだ! 交霊現場で、もしくは撮影現場でそんなことを言ってはいけない!

幽霊の映画を創造せんとする人間は幽霊を真剣に怖がらなければいけないであるいやむしろ、幽霊を信じるためにこそ人は映画を創造するのではないか…高橋洋にとっての映画美学校とは生徒を供物にあの世を召喚する祭祀場なのではないか!
そのまま行くとやっぱ怖いのは人間じゃん的な粛清待ったなしの結論に辿り着いてしまいそうなのでJホラーの先駆的Vシネ『邪願霊』を監督した石井てるよしが『代官山ワンダーランドHORROR』においてタレント養成所を文字通りの意味で業界志望者を食い物にする怪物として描いていた、と話を逸らしてごまかしておくがごまかしきれてない。

それにしてもおそろしい映画だったな、うわぁ背景に幽霊映った! って思ったらスターリンだったからね。ボリシェヴィキだからこの廃工場兼祭祀場の壁にはレーニンとスターリンの肖像が貼ってあるんですけどそのスターリンでしたよ、暗い照明に沈んだ。
幽霊(?)映画として前代未聞の恐怖演出ですよこれは。スターリン怖いんだから。スターリン怖いけど…。

いや別に冗談で言っているのではなくてそういう気分に持ってかれる。持っていかれてしまう。伊藤洋三郎とか韓英恵なんて面々が奇妙体験を語るだけの極めて簡素な作りですがー、その語りが妙に身の入らない…何かに語らされてるような語りで…まぁ映画だから高橋洋に語らされているのだがいやそれはいいとして…話す内容よりも話す人がというか、話してしまう人の姿が曰く言い難い気持ちの悪さ。
それをフィックスで正面から撮って。全然カットとか割らないで。不気味な音響が徐々に高まっていくと。こわいじゃない。そんなの怖いっしょ。なんか語らされてる人の背後に何か映りそうな気がしてくるじゃん。それを何度も反復したら壁のスターリンも幽霊に見えてくるって…。

俺は俺が気持ち悪くなりましたよ。これを怖がってるってことはその場に自分も入っちゃったってことだから。入らない人には怖くないよね。某川UFO(察せ)のイタコ語りを笑って見る人もいるじゃないですか。
いや実際笑えるんだけど、でもそれを集団で反復して聞いてるうちに…段々と…某川某氏の背後に何か居るんじゃねぇの? って感じてくるかもしれない。

ボリシェヴィキ党歌斉唱っていうのも…あれも笑える場面だけど、俺は親が学会員だから子どものころはよく座談会に連れて行かれてて。でそれがどんな内容だったかは全然覚えてないしそもそも子どもだから話なんか聞いてないんだけど、なんか信者全員で歌を歌ったなっていうのは結構鮮明に覚えてますね。
すごいバカバカしい歌詞で…みんなで勝利だビクトリ~♪ みたいな…でもそれを誰も恥ずかしがったり笑ったりはしないんですよね。笑顔だったりはするけど毎回のことだから当たり前のように歌っていて、俺も一緒に歌ってたからそれだけは記憶に残ってて…だからあの場面は笑えるんだけど、なんかリアルで居心地が悪かったな。

オカルトの映画でもあるしカルトの映画でもあると思いますけどそれはでも映画がそもそもオカルトでカルトなんじゃねぇかっていうのがあって…映画館で映画を見るっていうのも一種の宗教行為じゃんていう。
だって冷静に考えたらおかしいじゃん。こんなホラ映画をみんな真剣にまじまじ見つめてるわけですよ…黙りこくって、身じろぎしないで、映ってるものは(少なくともフィクション映画なら)全部嘘だって知っているのに本気で悲しんだり怖がったり憤ったりしてさ…そう感じてると必死で思い込もうとさえして…その感覚をみんなで共有して倍加しようとする…集団催眠だよね。

そう考えれば高橋洋という人は『リング』とか『女優霊』とかの頃からテーマ的な部分ではあんまり変わってないのかもしれないっていうか反復だな反復、写経みたいに脚本書いてマニ車を回す代わりにカメラ回して、みたいなもんなんじゃないですか。
映像テクノロジーは自然を脱魔術化するものだったり現象の一回性を失わせるものだったり…みたいな合理主義っぽさを纏うけど、それでみんな何をやってるかといったらすげぇ非合理的で呪術的なことしてんじゃんみたいな。
機械の中の幽霊を機械を使って呼び出そうあるいは生み出そうとしてんじゃんみたいな。だから映画はオカルトだしカルトで、オカルト好きのナチスは映画も大好きだったわけだし…ていう、そういう所を突いてくるのが『霊的ボリシェヴィキ』のおそろしいところだったな。

怖いと思おうとする人には怖い、観客の能動的な鑑賞を要求する類の面倒くさい映画ではあったとおもうが、でも幽霊(?)とか怪現象はちゃんと怖いから衒学的だったり無駄に難解なマニア向けホラー映画というわけではなかったとはまぁ一応言っておく…。
映像は安さ爆発だけど作り込まれた芝居とか雰囲気には相当なホラー感があったようにおもう。観客に投げかけられる呪いの言葉。「この場所は穢れました」。なんか知らんがゾクっときて尾を引いてる。

【ママー!これ買ってー!】


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『邪願霊』の脚本家は小中千昭なので高橋洋は直接関わっていないのだ、が、ビデオの巻末にオマケとして水野晴朗先生の語るハリウッド怪談が憑いているの、なんかおもしろくないですか。Jホラーの極北みたいな『霊的ボリシェヴィキ』は語りの映画だったわけだから。

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2 Comments
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匿名さん
匿名さん
2019年1月22日 11:56 PM

文章が日本一下手くそですね。
読んでてイライラしました。