《視聴中断回数:7回》
おもしろくない映画を見て「おもしろくない」と言うことには何の意味もない。おもしろくなさを語るために言葉を探す労力は無駄でしかない。また、おもしろくない映画をおもしろくないとおもしろくなさそうに書いてある文章を読むこともおもしろくないだろう。
君の人生はそんなことをするためにあるのではないはずだ。君たちはどう生きるか。
余計なお世話である。
Netflixによるあらすじ。
拒食症を抱える20歳のエレンは、型破りな医師が運営するグループホームに入所する。心の痛みと向き合い、時には笑いながら、自分を見つめる新生活が始まった。
俺は拒食症になったことはないけれど、この映画が本当の苦しみを描いているとは思えない。
本作における拒食症は、登場人物の不幸を演出するための道具に過ぎない。つまり設定が癌でも鬱でも片足を失ったのでも失恋でも、なんだっていいのだ。部活に入ってレギュラーになりたいでも構わない。主人公がなにか問題を抱えてさえいればいい。
拒食症に対しても映画に対しても、真剣なものを求めている人はこの映画を見ないほうが良い。全く時間のムダだ。しかし、重すぎない不幸エンタテインメントを楽しみたいならうってつけだ。おしゃれな衣装、おしゃれな部屋、かわいい女の子。
この映画で扱っているのは誰もが知っている身近な苦しみだ。特殊な状態でなければわからない名状しがたい腹の底に渦巻くものには無関心だ。
では人生については? 恋については? 親子の関係については? なにかこの映画を見ることでしか得られないものがあるだろうか。
なにもない。並の想像力があれば、この映画に勝ることをいつでも考えられる。
こんなことを書いておいて、案外作者の実体験を元に作られた映画だったりするかもしれない。しかし、実話だからといってつまらなくてもいいという理由にはならない。事実が至高なら専門書を読めばいい。いや、専門書にだって独自性は求められる。でなければ価格で勝負だ。
映画はそうはいかない。料金は一律なのだ。予算億単位の映画も数百万の映画も、料金は同じ。であれば選んでもらうには内容で違いを出すしかない。
いや、出演者に有名人を採用するという手もあるか。あとはかわいい女を出したり衣装や部屋をおしゃれにしたり……。
考えた結果、本作はどうやら正攻法で作られた映画のようだ。俺に合わんかっただけだ。ただそれだけのことだ、騒ぐようなことじゃない。
施設に入って、新しい仲間と出会い、そのうちの1人と恋をして、回復の兆しを見せ、失望し、怒り、家族と向き合い、擬似的な死と蘇りの儀式を経て、唐突に主人公がスッキリして映画は終わる。
すごく浅く、映画の基本的な構造をなぞるだけだ。会話も同様で、それらしいことは言うが核心に迫るようなことは言わない。
あらゆる人間関係の問題はほったらかしだ。
しかし、それでいい。なぜならこの映画が終わるからだ。主人公がスッキリするのに納得できる理由なんてなくていい。主人公がスッキリしなくたってかまわない。エンドクレジットが出てくれれば、俺は嬉しい。
相性の良くないものとうまくやるには、期待せずなんでも受け入れるようにするのが一番だ。そして笑顔でさよならを言えばいい。永遠のさよならを。
【ママー!これ買ってー!】
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グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち[Netflix]
本作のように、出来事の順番ではなくシーンの持つ感情の順番によって構成された映画というのを俺が初めて意識したのが『グッド・ウィル・ハンティング』。
『グッド・ウィル・ハンティング』が最初にやったのではないのかもしれないけど。