女子テニス舐めんな映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』感想文

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セクシーズっていうテニスチームがいてその人たちのお話なんだろうと思っていたのですが性別の意でsexesでした。これは恥。恥は吟味の上で計画的に晒け出す方針(なので書く)
正しくは全米テニス女子チャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)と元男子世界王者ボビー・リッグス(スティーブ・カレル)のエキシビション・マッチのお話。

チケットの売り上げは男子と同じなのに女子の賞金だけめっちゃ少ねぇのおかしくねぇ!? っていうことで全米テニス協会の偉い人(ビル・プルマン)に啖呵を切って協会離脱、仕掛け人グラディス・ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)の誘いに乗って女子テニス協会を立ち上げたビリー・ジーン・キング。
と、現役を退いて満たされない日々を送っていたボビー・リッグスが自らの存在を賭けてたたかう『ロッキー』パターン。

あぁ、絶対好きなやつ俺の絶対好きなパターンこれ…だったのですがなんかすげぇ肌に合わねぇ。結論から言いますと俺思いましたよ、こういうパターンが好きなのは闘う人たちのダサさだったりダメさだったり孤独だったり率直に出ている場合で、敵と闘っているようでその実、そのような自分の中の負の部分と闘っている時なんですよ。
でもこれはそういうやつじゃねぇんです。エマ・ストーンのビリー・ジーン・キングは知的で勇敢で政治的に正しくて知人友人にも恵まれ…とつまり敵は敵なんです、自分と闘うとかじゃねぇんです明確に自分の外にいる敵と闘うわけです。

つーことはストレートに政治的な映画ということだ。ビリー・ジーン・キングが闘う敵とは誰かと言えばボビー・リッグスじゃなくて全米テニス協会の偉い人ジャック・クレイマーで、このようなストレートな台詞が出てくる。「あいつ(リッグス)は道化だけど、あんた(クレイマー)は本物だ」

こりゃあれでしょう、トランプとバノンの関係性を言ってると見てよいだろうたぶん。映画の中のボビー・リッグスは金に物を言わせる愚かな道化。ギャンブルが大好きでギャンブル依存脱出の自助会の場で参加者を煽るような男。「ギャンブルはいいぞ! お前らがダメなのはギャンブル依存症だからじゃない! ギャンブルに負けているからだ! 俺が勝ち方を教えてやる!」

トランプです。トランプしてます。しかしその心は孤独に渇いていて、煽って煽ってビリー・ジーン・キングを試合に引きずり出すことで乾きを癒やそうとしているのだった。自らを“男性至上主義のブタ”と称するリッグスの女性蔑視は自己承認を得るための道化の衣装だ。
でもこの試合で黒子に徹する協会の中枢、ジャック・クレイマーはバノン的にガチなわけです思想が。ビリー・ジーン・キングの周辺に焦点を当ててるからあんまそこらへん描かれないがー、ジャック・クレイマーがボビー・リッグス使って女子テニスが男子テニスに比べていかに「生物学的に」劣っているか知らしめようしているとこういう図式。

ビリー・ジーン側は客を呼べるか呼べないかの話をしてるんで男子に比べて迫力がないとかそういうのは関係ないわけで、試合がどうのというより女は黙ってろ派と黙るかバカ野郎派のバトルになるわけですこれは。

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それでそのへんにバノンがトランプ政権から身を引いたのは去年の8月だから、まだ首席戦略官として政権に居座っていてあいつマジやべぇよトランプよりあいつがやべぇよみたいな空気の中で製作されたんじゃないか時期的にはこれ、というのを感じ。
また邪推の範囲を広げればハリウッドにおける男女のギャラ格差が大きな問題となったのも去年のことであるからそれも含めての…だからつまり随分ストレートに政治的な映画だなぁという話なんである。

別に映画が政治的であることが悪いことだとはまったく思いませんが、しかし好き嫌いはあるからな。そうまでストレートにマイノリティの連帯と政治参加を呼びかけられると俺は嫌なんですよ。もうめっちゃ嫌。
性別による賃金格差を許す合理的な理由も根拠もなにひとつないからそんなもの完全に解消して平等になればいいと思いますよ。
ついでに言えば平等な政治に少しでも近づくために政治家の男女比は半々であるべきだと思っているし、企業経営者の男女比なんかも男女半々であるべきだし、そもそも男女とかそんな生物学的性に限定しないでこういう比率においては人種とかジェンダーの全体で平等であるべきなんですよ。

そこは別に異存はないけど俺が嫌だっていうのは連帯が正義で政治行動が正義でっていうのを強調しすぎると副作用的にノンポリの人とか先進的でない人とか孤独な人とかを排除しちゃうじゃんっていうそこであって、たとえばビリー・ジーンのライバル選手でこの人もリッグスと闘った(保守的な思想を持つ)マーガレット・コートの映画の中での扱いというのは酷薄といってよいほどだったし、ビリー・ジーンの豊かな人間関係と好対照を成すボビー・リッグスの孤独は、ただ単にかわいそうなものとしてビリー・ジーンを引き立てつつ退けられるわけである。

そんな人間の見方つまらなくないですか。政治的な尺度しか持たないようなお堅い見方とか。あるいは思想と作劇を一致させようとするアクティヴィズムとか。それを言ったら映画の政治性に文句を垂れる俺にもそっくりそのまま跳ね返ってくるわけですが。

まぁいいか。エマ・ストーンのビリー・ジーン、繊細な熱演に思うが生真面目すぎるようにおもう(実は『ラ・ラ・ランド』でもそう思った)。スティーブ・カレルのトランプ、意外と抑制されていて最近のベン・スティラー路線みたいな感じ。
ビル・プルマンのバノンは…すげぇ怖い。物腰は柔らかいが目が本気。さすがやっぱ嫉妬に駆られて妻をバラバラに切り刻んで殺してるだけあるよ、あくまで『ロスト・ハイウェイ』の中でのことですが…。

現代の政治状況に当時のビリー・ジーンが置かれた状況を重ねて、というのが映画の主眼に思われるのでテニスシーンとかは意外に少なくあんま燃えない。
だったらもう政治映画と割り切ってやったらいいのに。女子テニス協会の発起人グラディス・ヘルドマンを演じるサラ・シルヴァーマンがこの辛気くさい映画の中では数少ないユーモアと前向きなエネルギーを発する面白い人だったので、俺としてはむしろヘルドマンがどう舞台裏で立ち回って女子テニスの成長に貢献したかっていうそっちを見たかったなぁ。

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いやほんと『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』でエマ・ストーンがビル・プルマンにサシで立ち向かう場面とか殺られる! って思いましたよ。全部『ロスト・ハイウェイ』が悪い。

1000
HACHI

そんなに深読みしなくても。
トランプもバノンも関係ないでしょ。

これはただ単にこういうおもしろい事が昔ありましたよ、的な映画ですよ。

ビリー・ジーン・キングは女性の尊厳のために戦ってやるぜコノヤロー!!って感じもあまりなかったと思うし、ボビー・リッグスは「女性蔑視の豚野郎」と自らの事を言っているが単に試合を盛り上げる事に徹しているだけでいやな感じはしないし、まあジャック・クレーマーはこの映画の中ではイヤなやつだけど絶対的な巨悪でもないし当時はそんな感じだろうなと。
(ボビー・リッグスはトランプではない、もちろんジャック・クレーマーもバノンではない)

トランプとバノンの事は忘れて、素直にそのまま見直してみてはどうですか?
(ありすぎる知識や情報がそれをジャマするのかもしれませんが)

淡々と話は進むし過剰な演出もそれほど無いし、あまり変なこと考えずに見れた映画でしたよ。

一番の見所はエマ・ストーンとスティーブ・カレルの見事なまでの「変装」ですかね。
実際のビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスへの“よせっぷり”がすばらしい。

さるこ

たしかに、エマ・ストーンのキング夫人は優等生すぎる気はしたけど、化粧っ気のなさや男らしさ(?)に、キュンとしてしまうわ…ほんとは美人なのにメガネかけて…みたいな。

今更、の感想失礼いたしました。