『ビール・ストリートの恋人たち』と『グリーンブック』雑感

投稿日: カテゴリー 居眠り映画館タグ , , , , ,

頭の中でいろいろ混ざってしまったので二本立て感想。ネタバレとかはないと思いますが基本的にもう観た人向け。

『ビール・ストリートの恋人たち』

《推定睡眠時間:20分》

飲んべえ横町的な意味かと思ったら綴りが違ったビール・ストリートは映画の舞台かと思いきやそれも違ってテネシー州のメンフィスにあるブルース天国(と、グーグル先生は言っている)、映画の舞台はニューヨークのハーレム(と、ウィキペディア先生が…)とのことですからタイトルで既に多重誤認。

むずかしい映画である。そして俺にとって超最大にむずかしかったのは…他の人の感想や公式のあらすじを読むと差別感情に基づく冤罪の映画と書いてあるが…寝てしまったので逮捕云々の下り、見てない。
したがってレイプのかどで獄中にいる主人公の恋人が本当に罪を犯したのかそうでないままわからないままサスペンスを感じつつ物語を追うことになったわけで、差別についての映画であることは多少寝ていてもわかるとしても、どこに視点を置くかというところでかなぁり迷子になってしまったのだった。

そういうわけで本当はもう一回、今度は寝ないで観てから頭の中を整理して感想を書こうと思っていたが、我慢できなくなってネタバレっぽい他の人の感想を読んでしまうと、俺にとってだけ衝撃の事実(と思われるが確認はしていないが…)が発覚。主人公が冤罪であることを示す具体的なシーンがこの映画には含まれていないというのだ。えー!?
なんで同じ映画を観て冤罪と断言する人と冤罪を示すシーンはないという人に分かれるんだ。むずかしい映画である…まぁ寝ていたからむずかしい映画になっているわけで普通に起きて観ていればたぶんそうではないのですが…。

とはいえ、図らずも睡眠鑑賞が問題の所在を明らかにしたのではないかと思えなくもない。なぜなら主人公の恋人が罪を犯したか犯していないかはこの映画の背景を成すところの人種差別の悪とは少しも関係しないし、主人公の恋人が仮に犯罪者であっても人種差別を正当化することはできない。
そのラディカルな反人種差別を打ち出すためには『グリーンブック』のような、またはシドニー・ポワチエのような観客が安心して感情を乗せることができる道徳的に正しい“理想の黒人”の像を打ち壊して感情を宙ぶらりんにさせる必要があったのではないか? 主人公の恋人に関するこの映画の不明瞭さは、不明瞭であることによって逆説的に客の人種差別意識を炙り出すのだ。

無罪を示す場面のない映画でそれを冤罪と断言する感情的判断は、有罪を示す根拠がないにも関わらず犯罪と決めつけることの陰画に過ぎない。
我々はそこにおいて差別を糾弾しているようで差別の論理を肯定しているのだ…と、寝てたやつに偉そうに言われてもみなさんふざけるなと思われるでしょうが…。

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原作のジェームズ・ボールドウィンという近年にわかに脚光を浴びている風の黒人作家は彼を主役に据えた去年のブラックなドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』で初めて知ったが、なんとなく腑に落ちると同時にまた様々な別の問題を喚起するのはボールドウィンが同性愛者だったことで、『ビール・ストリートの恋人たち』の監督バリー・ジェンキンズが名を挙げた前作『ムーンライト』はもちろん黒人のゲイという二重のマイノリティ性を背負った人間を描いた映画なのだった。

『わたニグ』の超秀逸パンフレットにはシナリオ採録が入っている。そこから映画の冒頭に置かれたTVショー出演時のボールドウィンと司会者のやりとりをちょっと抜き出してみたい。

司会者(キャベット):
今でもこう言う人がいます。なぜ黒人は悲観する? 黒人の市長も生まれたし、スポーツ界や政界にも進出してる、黒人を使ったCMもあるじゃないか(笑うボールドウィン)。笑顔ですね。これだけ世が変わっても希望はない?

ボールドウィン:
希望はないと思っています。問題をすり替えている限りね。これは黒人の状況の問題ではありません。それも大切ですが一番の問題はこの国そのものです。

早い話がアメリカに深く根付いた“ニガー”の役割を特定の人種や民族集団に押しつける思考様式が問題で、そこに正面から切り込まない限りはいかに表面的な平等があったとしても真の平等はありえないだろう、というようなことが言いたいらしい。
「私をニガーだと思う人はニガーが必要な人だ」映画の最後でボールドウィンはアメリカ白人に向けて剛速球を投げつけるのだった。あなたが私をどう見るかが問題だ。あなたが私をどう見たいかが。

『ビール・ストリートの恋人たち』は冤罪(?)事件を巡るドラマに主人公の事後的なモノローグと黒人受難の歴史をスチルで載せる独特なスタイルを取っているが、このへんボールドウィンの語り(朗読はサミュエル・L・ジャクソン)と各種黒人関連映画なんかの引用で構成される『わたニグ』との共通するところだが、一見なんか意味がよくわからんその作りはこの映画が主人公の意識の流れを追った物語であることを示唆する。

とにかく時間が行ったり来たりして複雑なのだが回想というのはそういうものだし、映像上は複数視点が入り乱れているが、語りの主体は主人公なのだからその主観から投獄事件を巡って自身や家族に起きた出来事が再構成された物語と考えるのがやっぱ自然なんじゃないだろうか。
物語とは全然関係ない黒人受難スチル集が意味を持つのも、それが被差別の主体である主人公の意識に否応無しに入ってきてしまうからなんである。と俺は思う。

『ムーンライト』再びの陶酔的な映像美に若干のノスタルジーも加わって目も耳も幸せな限りな『ビール・ストリートの恋人たち』に客観的なものはない。恋人が無罪に見えるのも悪徳警官が陥れたとしか思えないように見えるのも主人公がそう信じているからであろうし、家族のドラマが断片的でどこにも収束しないのは主人公が見聞きしたことしか描かれないからだ。

その主観性は二つの点で重要に思える。ひとつは被差別の経験は主観的にしか捉えられないということ(いくら客観的に平等であったとしても、それで差別が解消されたことにはならないというボールドウィンの指摘を思い出したい)、もうひとつは差別は主観的に構成されるということ。
こうした主観性の場に観客を引きずり込むために、キング牧師ともマルコムXとも親交を持ちつつ両者の間、黒人性とゲイであることの間、様々なものの間を漂っていた単独者としてのボールドウィンが求められたのではないかと考えてみたところで俺は寝ているのだが…。

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『グリーンブック』

《推定睡眠時間:0分》

『グリーンブック』に出てきた天才黒人音楽家ドン・シャーリーってみんな言及してないけどゲイだよね? とのツイートを目にしてこれまたえー!
なるほどそれでマネージャー兼運転手のトニー・バレロンガとの南部ツアーの最中、白人男と一緒に捕まって留置所で裸にさせられていたのか…とこっちはちゃんと寝ないで観ていたにも関わらず今になってようやく気付く。起きていてもわからないならどうやって映画を観ればいいんだ! 映画むずかしくない!?

実際のドン・シャーリーは性的志向については語っていないとのこと。そのへんプライベートなので外野がどうこう言う話ではないのだが、ドン・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリが『ムーンライト』において主人公の一時の親代わりだったことを思えばなにかしら意味が出てくる。

というのも『わたニグ』ではボールドウィンの同性愛には最後まで触れられなかったが、キング牧師的な「標準的な」性とマルコムX的なマチズモの間に黒人性で両者を繋ぐ存在としてボールドウィンを置くことで、図らずもその個人的な側面(性)を排除しボールドウィンが経験したであろう二重の差別を黒人差別に単純化する、抑圧に対するカウンターが別種の抑圧を生むというような図式がそこにはあったように思えるのだ。

なんでも『グリーンブック』のドン・シャーリーはシャーリーの家族の側にはまったく取材をしていないとことで、あんなもん全然デタラメじゃねぇかという家族からの文句が出ているらしい。
映画では天才かつ金も名誉も持っているが孤独な人間として描かれるドン・シャーリーだったが実際は頻繁に兄弟とも連絡を取っていて黒人社会にもコミットしていた、と家族。

そうとすると酷い話ではあるがアメリカ映画いつも酷いから(『ドリーム』とか…)平常運転だな感もある。事実に基づくアメリカ映画が事実に敬意を払ったケースなんてほんの一握りもない。
白人の観たい黒人白人(イタリア系ですが)友情物語がここにはあるのだと思えば、これはこれで『ビール・ストリートの恋人たち』とは反対側の視座に立つ(ボールドウィンだったら悲しみそうな)主観の物語なんだろう。

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しかし『ドリーム』がそうであったように客観を装った神話的フィクションが人種間の分断を埋める側面を持つことは否定できないので、あぁむずかしいむずかしい、映画って本当にむずかしいですねぇ…である。

というわけであのドン・シャーリーは実在の人物ではなくヴィゴ・モーテンセン演じる運転手との友情も事実ではない(雇用者と労働者の関係でしかありませんでした、と身も蓋もなく家族)かもしくはかなり誇張されたものとして、フィクション的に観た方がきっとよいんだろう。
逆にそうした方が映画の中のドン・シャーリーの持つボールドウィン的なイメージが鮮明になって『ビール・ストリートの恋人たち』や『わたニグ』とコンボを決められるので面白いかもしれない。

ちなみに『グリーンブック』の内容を俺は運転手がヴィゴ・モーテンセンで後部座席に乗ってる人がマハーシャラ・アリになっただけの『大災難 P.T.A.』ぐらいな感じで雑に受け止めているので、雑に笑ったし雑に泣きそうになりました。
『大災難 P.T.A.』超おもしろいよね。それぐらいの軽さで黒人差別語られたらたまらねぇよと俺の中のスパイク・リーがシャウトしているが、でも『大災難 P.T.A.』めっちゃ面白いからね…それはしょうがないよ。
逆に、このご時世になんのことはないヒューマンコメディの『大災難 P.T.A』を黒人キャストで普通にやることの意義というのもある。このへんはもうどっちが良いとか悪いとかない。

主観と客観、黒人性と男性性、現実的な分断と空想的な融和、と様々な点でなにか対照を成しながらぐちゃぐちゃ混ざり合う多義的な『ビール・ストリートの恋人たち』と『グリーンブック』だったわけですが、結論としては(間接的に)両者に噛むマハーシャラ・アリすげぇ。

※2019/3/9 多少加筆しました。

【ママー!これ買ってー!】


大災難 P.T.A (字幕版)

ちょうおもしろい。

↓原作


ビール・ストリートの恋人たち

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さるこ

こんにちは。
二つの映画とも、口当たりが良すぎる。『デトロイト』みたいなの期待してる私は、ピアニストをレストランに入れない白人と変わらない〝まず、差別ありき〟の愚かな人間だった。ナット・キング・コール(でしたっけ?)のエピソードとか、招待しといて袋叩きってなんなん?と思うのですが、『わたニグ』の諦観…まさに…。ゲイで黒人で南部で、ああ、なぜそんなに身を投ずるのか…
でも、『グリーンブック』の青緑色も
『ビールストリート』のたまご色も優しく、あたたかで好きだな。

さるこ

ヴィゴ・モーテンセンってこんなにガタイ良かったかな?『イースタン・プロミス』しか知らない…

さるこ

役作りのために太ったとかいう記事もあったような…ガセかな?『ブラックー』も予告編見ましたが、楽しみです。陰の作品賞?