【隙間創作】『狩人の像』

 村の中心に置かれた伝説上の狩人の立像は規範を示しているようだった。村人たちは抵抗のそぶりも見せなかったので将校はためしに一列に並んだ中から赤子を抱いた母親を選んだ。パニックは起きなかった。不安そうな顔も浮かばない。村人たちは静かで、立像と同じように動かなかった。あたかも獰猛な野生動物を前にして擬死を行うように。あるいは狩人が獲物に狙いを定めるように。将校が赤子を撃ち殺すと母親はハッと息を呑む。それでも叫ぶことはしない。逃げようともしない。まだ気付かれていないと思い込みたいのだろうかと分隊長は考える。自分は隠れ家の中に潜んでいて、黙ってさえいればいつか脅威は去るのだと。将校は分隊長から小銃を奪うと相変わらず一列に並んだ村人たちを一人ずつ撃ち殺していった。一息には死なない村人も多かった。将校は大して狙いも定めなかった。一面の銀世界に血の轍が出来ても誰も追うことはない。それは緩慢な死体だった。生の残滓に過ぎなかった。だから、将校と分隊が去った後も虐殺は続いていた。

 銅像の耐用年数は素材だけで決まるものではないらしかった。郷土の英雄として長らく町の中央に鎮座していた将校の銅像がいざ撤去される段になっても町の人間は実感が湧かない。銅像はいくら強く押しても倒れることはなかったし、精魂込めて磨き上げれば今でも鋳造された当時の輝きを取り戻す。町に生を受けた人間なら誰でも漠然と彼や彼女が死の床に伏しても銅像はそこに立っているに違いないと考えていた。町の人間ではない分隊長でさえそうだったので、銅像の永遠性はかえって銅像自身を毀損する結果になった。あの狩人の像のように将校の銅像がいつまでもそこに立っていることに、今やベッドに横たわって像と像を取り巻く世界を見上げることしかできない分隊長は義憤を感じたのだった。

 目線は虐殺の当時より下にあっても立場の上では逆転していた。歴史を打ち立てるための夾雑物の隠蔽は世界のどこでも非難されたし、そうして打ち棄てられた歴史の発掘は世界のどこでも推奨された。隠蔽に与した人間が遠からぬ死を前に発掘に転じたことの意味は重かった。それに明確な反論を加えることのできる人間はもういない。当の将校は村人の返り血を浴びた靴を履いたまま名誉の戦死を遂げていた。その死が彼を祖国防衛の英雄に押し上げたのだった。
 残ったのは分隊長と数名の部下たちだけで、分隊長の証言を受けてマスコミがかつての部下たちに脚光を当てると、一人として虐殺を否定する者はいなかった。否定しないばかりではない。彼らは将校の狂気じみた命令を受けて村人を殺した罪を我先にと自白し始めたのである。

 記録によれば分隊は村をただ通過しただけで、将校が分隊に同行した記述もない。激しい議論が巻き起こった。事実を確定するには証拠と言えるものが少なすぎた。緩慢な死体の残した血の轍はとうの昔の雪に埋もれてしまったし、虐殺の全てを目にした狩人の像は口を開く術がない。仮に口を開けたとしても、背負った弓矢で射る相手を探しているだけの狩人が何かを言うようには思えなかった。
 だが銅像の耐用年数は事の真偽で決まるものでもないようだった。生きた人間がそうであるように議論の種となること自体が銅像の寿命を縮めた。少なくとも町の行政に携わる人間はそう考えたのである。

 銅像が撤去される日、町は外から来た賛成派と反対派の特需に沸いた。行政官の憂鬱とは裏腹に町の人間の表情はどこかは明るかった。ただ立っているだけで一銭も出さない銅像よりは観光客の方が望ましい。町の人間からすればそれは久方ぶりの祭りであり、観光でしかなかった。生まれた時から町の中心にあった銅像に多少なりとも愛着を感じない町の人間はいなかった。だが愛着が銅像の撤去を妨げることはなかったし、どころか、この廃れた町に自らを犠牲にしていっときの潤いを与えるなんてさすが英雄だとか、愛着から銅像の撤去を肯定する声さえ上がったのだった。

 寝たきりの元兵士が血塗られた英雄の最期を見届ける構図は劇的な演出効果をもたらした。カメラは移動式の介護ベッドに横たわる分隊長の背後に回って彼の後頭部越しに倒れゆく銅像を捉えた。カメラマンは分隊長の表情こそ撮りたかったがディレクターの指示でそうすることしかできなかったのだった。無抵抗の村民を自身の手で殺害するよう将校に強要され、その忌まわしい記憶に戦争が歴史の教科書になってからも縛られ続けた人間が因縁の相手の今際の際を見つめるにしては、絵になる表情ではないとディレクターが判断したためだった。その眼差しは銅像のように生を欠いていたのである。

 命令書などあってもなくても同じだった。将校が監査と言えばそれは監査であり、分隊長がそれ以上考える必要はない。それでも一言ぐらいは訊いておく必要があるように思えた。「なんの監査ですか?」将校はぶっきらぼうに答えた。「戦争被害を見たいんだ」

 虐殺の間中、分隊長の脳裏をその簡便な会話が何度も駆け巡った。それは隙間が溶接された知恵の輪のように解きようのない問いかけだった。分隊長としては自分たちの軍紀違反が監査の目的だと思っていたのである。略奪は日常茶飯事だった。ある意味では略奪のために行軍を続けているとさえ言えた。どこかで兵站ルートが絶たれたのかいつからか食糧の補給はなくなった。同時に戦う意味も、意欲も、人間としての尊厳も、生存のための戦略も失われた。彼らにできることは方向感覚を狂わす雪の中をどこまでも歩き続けることだけだった。歩いて、略奪を繰り返すことだけだった。

「お前は殺さないのか?」不意の問いかけに分隊長はしばし言葉が出なかった。いや、問いだろうか? それとも命令なのだろうか? だが将校は分隊長の逡巡など意に介さず今度は同じ問いを隣の兵士に投げかける。沈黙。分隊と村人は将校を挟んで鏡合わせのように黙っていた。将校が片側の全員を殺して村を出る時までは。

「あの像はいいんですか?」どうしてそんなことを口走ったのか、それから数十年と経って彼が将校の虐殺を告発するまで分隊長にはわからなかったが、マスコミが決して捉えない堕ちた銅像を見つめる彼の眼差しは、ようやく彼がその意味を発掘したことを示していた。分隊長の問いに将校は答えた。「あれは狩人だ。あの像はずっとあるんだよ」

 戦争が終わると村から離れていた村民も悲劇の中心へと舞い戻った。この記憶を継承しなければならない。村を生き残らさなければならない。復興は生き残った村民の生きる目的となって、今では虐殺された人数を優に超える世帯が村――まだそう呼べるとすれば――を形作っている。その多くは虐殺の過去をワイドショーのミニコーナーで得られる知識程度にしか知ってはいない。村が生きれば生きるほど、皮肉にも過去は死んでいった。

 将校の銅像が土台を残してこの世から永遠に消えた日、虐殺の世代の最後の一人が村の自宅で息を引き取った。その部屋の窓からは背中の弓矢もすっかり風化して、口も鼻も無意味な凹凸でしかなくなった、ただ獲物を見つめる目だけは元型を残したあの狩人の像が見える。それが何を象った像なのか、何を見つめているのか、村人たちは知らない。

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