映画『立ち去った女』『静かなふたり』の感想

長い映画と短い映画。犬の映画と猫の映画。ランタイム228分途中休憩無しの超大作『立ち去った女』とたった70分の小品『静かなふたり』の感想。
どちらも引用まみれのシネフィルおとぎ話風味。

『立ち去った女』

《推定睡眠時間:110分》

監督ラヴ・ディアス、原案ラヴ・ディアス、脚本ラヴ・ディアス、撮影ラヴ・ディアス、編集ラヴ・ディアス…のパーフェクト俺布陣で送る四時間モノクロ映像、これは超級俺様映画。ラヴ・ディアスという人のセンスに乗れるか乗れないかが全てな気がする。
なんか俺コンテの通りの画を作ることに終始しているよと書こうと思ったが半分しか見てない映画をそのように評すのはさすがにどうか。終始とは言えないがしかし俺の見ていた範囲の映像は俺にとってそのような印象なのでこれは覆られない。コンテ映画です。

むかしむかしあるところに一人の女がいて…から始まる民話みたいなストーリーテリング。キマった画だなぁの連続。おもしろいのだけれどもこういうのは豊かなのか豊かじゃないのかわからない。もうすこし己の画力とか意図じゃあなくて俳優の人とか環境変数に賭けてもよかった、かどうかは知らないが個人的にはそういう偶発性とどう上手く付き合うかが映画の充実感の源泉。
要するにあざとく、最後、女の痕跡が街に散っていく場面での犬の使い方とか見るとあーあってなる。4時間見てそれかよと。最後までコントロールコントロールコントロール、俺俺俺かと。まぁ4時間見てないわけですが。

予告編に有名監督の名が列挙されていてこんな監督あんな監督が一つの画面に同居する驚異の! みたいなコメントが付いていたと思うが確かにそういう感じだったかもしれない。ここでは誰々の映画みたいな画が、あそこでは誰々の映画みたいな画が、ていう名画コラージュ的な。
映画マニアの映画なんじゃないすかね。ということになると俺様映画という点でもいつまで経っても終わらないという点でも『シベリア超特急』が比較対象の可能性が出てくるが『シベ超』もどれ見ても寝るので保留にしておく。

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『静かなふたり』

《推定睡眠時間:0分》

タイトルバックでパリの風景がパッパって切り替わってくんですけど何枚目かのショットで川沿いの遊歩道の欄干にとまった鳥が映っており、よく見ると動きがない。静止画だったのだ。
なにやら意味深ふしぎな幕開けでお話もふわふわして掴みどころがない。物静かな女が客の来ない(来たら追い返す)マニア古本屋で働き始めたら原因不明の鳥落下死蔓延。街に出れば意識低い系の反原発デモ(だいぶ揶揄している)。新聞読んだらアイスランドのハッカーが原発システム侵入? などと怪情報。このごろは停電がよくある。
仄めかすだけで一向に核心に立ち入ったりしないからなにがなんだか分からないが、不穏。あの冒頭のパリの静止画が『ラ・ジュテ』に見えてくるがどうだろう。在りし日の記録としての。

この主人公の女というのはルームシェアしてるアパートで同居人が昼夜を問わず野獣のようによがっているが聞こえないことにしているぐらいのスルースキルの高さ、外界のノイズをシャットダウンして猫と自分だけの静かな世界を生きようとしているのですがゆらっと燃える情熱の片鱗のようなものが時折見えるのがエロい。
猫と自分の世界に古本屋のちょい悪老人が入ってくるがこいつが『幻想殺人』のジャン・ソレル。『幻想殺人』のという紹介がフィルモグラフィー的に正しいのかどうかはわからないがまぁいいか。ちょい悪とか書いてはみたがちょい悪のレベルではないから危険な色気。
トークショー回で見たら監督のエリーズ・ジラールが「ソレルに出演をオファーしたら家に来いと。ワインスタイン的なアレかと思った」。笑いながら言っておりました(ワインスタイン的なことはなかった模様)

背徳感の映画だったな。表立っては何も言わないが退廃の願望というもの濃厚。不可能な愛の成就とイコールで結ばれた無責任な大破壊を待望するある意味ダークな『アメリ』。『アメリ』がそもそもダーク入っているのではないかとの異論は受け付けない。
デュラスの引用がある。ヌーヴォーロマンか。これはこれで思わせぶりな映画とか文学の引用が散りばめられた良くも悪くもフランス的インテリ恋愛映画の系譜。物語の内容は古スタイルな左翼映画ぽいも、微妙なユーモラスをまぶしたサラッと軽やかキュートな70分はちょっと『中国女』みたいだったな。

『中国女』ほどアナーキーな結末を迎えない、パーソナルな話に留まるところは現代的なんだろうかなどと考える。おもしろい映画。あと猫は名演。

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