漢江の奇跡ダークサイドツアー映画『顔 -かお-』感想文

《推定睡眠時間:0分》

悪は上から下へと流れ落ちて弱者は自分よりもっと弱い者を虐げるというのはヨン・サンホという監督の基本的な世界観のようで、『新感染/ファイナル・エクスプレス』でブレイクする直前に作り上げた『新感染』の一応の前日譚アニメ『ソウル・ステーション/パンデミック』ではゾンビパニックがソウル駅近辺をねぐらとするホームレスから始まる。韓国には行ったことがないがソウル駅近辺ということは人通りはかなり多いはずで、まぁパンデミックなんてのは人通りの多いところで発生するのが常だから仕方がないとも言えるが、とはいえ『ソウル・ステーション』では明らかにヤバイ病気で体調を崩しているホームレスを少なくともホームレスよりは金を持っている人々がガン無視した結果としてホームレスゾンビ化→ゾンビ・パンデミックになるので、あーあ、ホームレスよりも恵まれているあなたたちがちゃんとホームレスに手を差し伸べていればゾンビパンデミックで世界崩壊にならなかったわけだしあなたたちもゾンビに食われて死ぬことはなかったのにナァ、てなもんである。

弱者が自分よりももっと弱い者を虐げることを当然とする社会の終着点としてのゾンビパンデミックは言ってみれば弱者の革命だ。ゾンビをモンスター界のブルーカラーと呼んだのはモダンゾンビのゴッドファーザーことジョージ・A・ロメロだが、『ソウル・ステーション』においては社会の最貧困層たるホームレスが自分たちを虐げる社会を粉々に粉砕すると同時に、人々を飢えと怒りにまかせて人間を貪り食うみじめなゾンビへとアッという間に変えてしまう。『新感染』は傑作ゾンビ映画だがどちらが好きかと言えば『ソウル・ステーション』の方が俺は好きだった。悪が上から下へと流れ落ち、弱者は自分よりもっと弱い者を虐げる酷薄な社会が、その構造によって自壊する光景は、たとえ救いがないとしても美しいとしか言いようがないじゃないの。

で『顔 -かお-』は今や韓国映画界屈指のヒットメーカーと化したヨン・サンホがブレイク以前の作風への回帰を志向したような作品、とくればまぁだいたいどんな映画かわかりますわね。あるところに盲目のハンコ職人がいた。その人は今や押しも押されぬハンコ界の巨匠なのだが、家が豊かなわけでもないし盲目というんで若い頃は大層苦労したらしい。そこでテレビかなんかの取材班が密着ドキュメントを息子氏協力のもと撮り始めたところ、数十年前に失踪したとされていた巨匠の妻の白骨遺体が発掘される。興味を抱いた取材班と息子氏はこの妻の足跡を追うことにするのだが、次第に明らかになるのは漢江の奇跡と呼ばれた韓国の高度経済成長期のドス黒い陰であった……。

邦題が『顔』で英語タイトルは『THE UGLY』、ということで巨匠の妻の家族や元同僚など彼女を知る人は口々に「あの女は本当に醜い顔をしてた!」と言うのだが、これはアレだな、バカって言うヤツがバカなんだ! みたいな話であった。なるほどバカと言うヤツがバカなんだ論は考えてみればよく出来ている。他人に対してバカという侮辱の言葉を発する人間は少なくとも思慮深いとは言い難いわけで、バカと言うことそれ自体がバカの行為なのである。この映画を観たのは新宿武蔵野館なのだがそこには凝った宣伝ディスプレイがあって、銀紙がこの巨匠の妻の形に切り取られて張られている、というもの。銀紙なので覗き込むとそこには覗き込んだ人の「顔」が鏡のように反射して映ることになる。この女はいったいどんな顔なんだと覗き込んだ我々観客はそこに自分の顔を見るわけだ。要するにこれは「あの女は本当に醜い顔をしてた!」と言う人々こそが醜くかったという映画なんである。

比較的早めにそのことを察知した俺は(見せ方が露骨なので誰でも気付くだろう)そうかきっとこの巨匠の妻という女の人は自分を見る者に自分の顔を見せるとかそういうテイストの超能力を持っていて、取材班の取材によると幼少期から行く先々でバカにされ除け者にされていたらしいのだが、除け者にされた理由がこの超能力で、だから彼女を知る人たちはみんな「あの女は本当に醜い顔をしてた!」と言っていたんだろう、この人たちは彼女を通して醜い自分の心を見ていたに違いない、などと推理したのだが、そのアテは外れてしまった。そういうSF的な飛躍はとくになかったので、ぶっちゃけて言えば思ったよりもずいぶん予定調和なところに着地したなという印象である。だってそりゃああんた、ヨン・サンホという監督がどういう世界観を持っているか知っていたらこの設定から導かれる結末は一つだろう。その予定調和を機械的になぞっているようでいささか生気に欠いていた気がする。

漢江の奇跡は朴正熙~全斗煥の軍事独裁政権によってもたらされたものであるってなわけで漢江の奇跡の裏側を描くこの映画では家父長制の罪多めの功罪がテーマになってるぽい。それが悪は上から下へと流れ落ちて弱者は自分よりもっと弱い者を虐げるという社会構造なので実にキレイにまとまっているし、スケールはだいぶちっちゃいが『砂の器』を思わせるような社会と弱者への眼差しも感じるけれども、序盤にある葬儀に現れた巨匠の妻の親族が不意に「遺産は贈与できませんがいいですよね?」とか言い出すあたりの異様さを超えるシーンはその後なかったので、もうちょっと枠をはみ出すような何かがあれば良かったのになぁと、なんかそういう感じの『顔』なのでした。

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