……?……ッ!(『ザ・トライブ』って映画見たから、感想書きます)

《推定睡眠時間:5分》

……………。
(『ザ・トライブ』を観てきた。セリフ無し、字幕無し、音楽無し、説明無し、そして優しさ無し!あるのは手話と暴力とセックスのみ!ってなストロング・スタイル映画)
(なんでしょう、ただボーっと画面観てればいいだけの映画なんでとても楽なんですが、反面とても疲れたので、そーゆー感想書く。途中からネタバレある)

(とりあえずあらすじから書きたいトコですが、セリフも字幕も説明的な描写も皆無なんで、なんとなく輪郭は分かるが、細かいトコまで分からん)
(でもまぁボーっと観てた限り、どうやら舞台は聾者の寄宿学校で、主人公の男の子がソコに転校してきたとっから始まるらしい)

(んで、主人公は早速ヤンキーたちからカツアゲされたり暴行されたりするが、ソイツらに反撃、お前やるじゃんってコトで仲間にしてもらい、一緒に強盗とか売春とか、色んな犯罪に手を染める)
(説明されないんでよく分からんが、映画の中(ちなみにウクライナ映画)では聾者は底辺中の底辺らしく、それが彼らを犯罪に駆り立ててるらしい)

(誰も俺たちを救うヤツはいねぇ。ヤツら健常者には俺たちが見えてすらいねぇ。だったら、たとえこの手を血で汚しても自分たちで自分たちを救うしかねぇ。そうさ、俺たちはトライブだ…)

(余談ですが、ヤンキーの一人がなんとなくルトガー・ハウアーっぽくてカッコよかった。あんま活躍しなかったが)

……………。
(それにしても恐ろしい映画で、なにが恐ろしいって1カット最低3分って感じの長回し。なので、二時間二十分くらいある長い映画ですが、総カットはせいぜい40程度。しかもドキュメンタリータッチで、クロースアップはおろかミディアムショットとか皆無)
(ずーっとロングショット・ロングカット。しかもセリフも字幕もないってんだから、もう観る側に対するイヤガラセとしか思えない作りなのだ。それが恐ろしい)

(でもって更に恐ろしいのは、んな撮影スタイルなので徹底的に表面しか映らないコト。登場人物の感情の揺れ動きとか、そーゆーのを表情から推し量るコトすらできないんで、ひたすら乾きまくった暴力とセックスと激しい手話そのものだけを観るコトになる)

(映画好きな人はダルデンヌ兄弟の映画みたいの思い浮かべてもらえばいいが、しかしあーゆー慈しみみたいのは皆無だし、被写体との距離は遥かに遠い)
(甘い展開とか救いも一切ないんで、なんだか拷問みたいな映画なのだ)

(ところで改めて思ったが、コトバとゆーのは肉体を縛るものなんだなぁ。この映画は実際の聾者を俳優に起用したらしく、手話にせよ暴力にせよ、そのコトバから解放された研ぎ澄まされた動作には、なにか観てておーってなる)
(ヤンキーのリーダーたちが歩いてるのを見て、他の子供たちがゾロゾロ寄ってくるシーンが何度もあるが、その動きだけですでにちょっと感動的)

(音のコミュニケーションには意味と時間の猶予があるが、肉体のコミュニケーションは一瞬で始まって一瞬のウチに終わる。んですぐさま消える)
(その刹那の躍動の美しさ。生々しい暴力やセックスは不快だが、不快の末の感動とゆー、なんだか珍しい体験ができる映画なのだった)

……………。
(しかし音がすげーイイな、この映画は。セリフ無し音楽無しとすると静かな映画に思われるかもしんないが、物凄くノイジーでやかましい映画なのだ)
(効果音とか音響に拘ってて、作業所で木材を削ってるときの音、人を叩くときの音、堕胎手術(このシーンはイタすぎる!)してるときの器具の音、それにセックスしてるときの、AV顔負けの音。このあたりは中々ゾクっとくるものがある)

(音の演出の最高潮はラスト近くの強盗シーン、続くサイコーにイタくて見てられない鈍器での殺害シーンだ)
(強盗シーンではガラガラガッシャンと部屋中が引っ掻き回され、金属工具が散らばりガラスが砕け散る。その音の暴力っていったら!)
(映画観て音に恐怖したのは久しぶりだが、しかし殺害シーンの静かな怖さの比ではなかった。こらもう、ホラー映画だよ…)

(ところで、たまたまコレ観に行く前に小津安二郎の『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』(1932)を観た。トーキーだと思ってDVD借りたらサイレントで、しかもサウンド無しのオリジナル版。意外と共通点あった気すんので、ちょっと書く)

……………!
(『生まれてはみたけれど』はある一家が郊外に越してきたとっから始まる。一家には小学生の男の子が二人いて、この子たちは父親をとても畏怖してる。で、この兄弟はさっそく近所のガキ大将にイジメられるが、機転を効かせて逆にガキ大将の座に収まることに成功)
(ご近所を我が物顔で歩く兄弟だったが、ある日、尊敬してた父親が会社の重役にコビ売ってんの見て幻滅)

(「お父ちゃん!なんであんなヤツにヘコヘコするんだ!」)
(「それはね、お父ちゃんはあの人から月給を貰ってるからだよ」)
(「だったら、やっつけちゃえばいいじゃないか!」)
(「そんなことしたら、月給が貰えなくなってしまう。お前たちもご飯が食べられなくなっちゃうんだよ」)
(「だったらご飯なんて食べないやい!そんなお父さん嫌いだい!」)

(ここで父親の苦悩も明らかになる。そら当然、父親だって好き好んで重役にアタマを下げてるワケじゃない。子供たちの世界みたいに、勝った負けた、強い弱いの一対一の関係で事が運ぶなら、自分だってそうしたいのだ。けれども、オトナ社会はそうはいかない…)
(結局、兄弟も最後には父親に理解を示し、オトナ社会を知って少し成長する。もう前みたいに純粋には尊敬できないけれども、仕方がない。オトナはタイヘンなのだ。そうやって、やるせなく映画は終わるのだった)

(サイレント映画だからとゆーのもあるが、この映画ではコドモたちはほとんど会話をしない。肉体とその動きがコドモたちの世界の全てだ。片やオトナたちはどーかとゆーと、コトバで全てを済まそうとする)

(コドモたちの一人はいつも背中に「お腹を壊してますから食べ物を与えないでください」って張り紙が貼ってあって笑えるが、要するに肉体が全てのコドモたちは動物なんであって、あくまで小さな人間として扱う今の子供観からすると隔世の感があって面白い)

(そして動物的な肉体のコミュニケーションは一対一の直接的な関係の中にしかないが、コトバのコミュニケーションを行うオトナの関係は一対一に限定されない)
(オトナはコトバを介して関係を広げて、コドモは肉体を介して閉鎖的な関係を作るのだった)

(ところで、兄弟が父親に幻滅するのは重役の撮った8ミリフィルム(もちろんサイレント)の中で道化じみた動作をしてんのを見ちゃったからだが、すると兄弟は尊敬してた「オトナ」の父親のコドモ的な(肉体的な)トコを見ちゃったから、父親をナメて歯向かったのかもしれない)

(肉体を解放するコトのできる人がサイレント映画のヒーローだが、そんな人たちはいつもコドモなのだ。チャップリンとかさ)

……………?
(そして『ザ・トライブ』に戻るが、トライブ(部族)とゆーぐらいなので、出てくるヤンキーたちは完全に未開人とゆーか、動物である)
(一瞬一瞬を生きる動物たちのサバイバル。もはやネイチャー・ドキュメンタリーの様相すら呈したりする)

(そこで再び思い出したが、新藤兼人の『裸の島』(1960)とゆーケッ作があった)
(この映画もセリフ無し映画で、草木の生えない不毛の島を耕して暮らす、やはり聾者の一家を描く)

(こちらはセミ・ドキュメンタリータッチで、不毛の島での不毛(に近い)な労働を延々と追うワケですが、その厳しさにはグっとくるものがある)
(畑にやる水をこぼしたってだけで旦那は嫁をぶん殴ったりするが、不毛の島で真水を少しでも失うコトは生死に繋がるのだ)

(しかし実は、映画の中で主人公一家が聾者かどうかってコトは描かれない)
(一切喋らないが、不毛の島には主人公一家しか暮らしておらず、その閉鎖的な、かつ厳しい生活の中でコトバは不要ってだけなのかもしれない)
(そんなトコでコトバの論理もオトナの論理も通用しない。ただ肉体の動きだけが彼らにとって必要なのだ)

(そう考えると『ザ・トライブ』に出てくる底辺ヤンキーどもが聾者かそうでないかなんて、どうでもいいのかもしんない)
(どこにでもある底辺生活に、コトバの論理なんていらないでしょ。食えるか食えないかだけが問題なんだから)

……………?……………ッ!
(最後に思い出したのはジャック・オーディアールの映画。負け犬どもの悪あがきをドライなタッチで描くオーディアール映画の雰囲気は、かなりこの映画に近い)
(そしてオーディアールの代表作といえば『リード・マイ・リップス』(2001)で、タイトルから分かると思うが、難聴の人のハナシなんである)

(難聴ゆえの深い孤独を抱える女と前科者の野卑な男が出会う。二人は衝突を重ねながら、やがて互いの孤独を理解するようになる)
(孤独は理解するが、その孤独のせいで距離は縮まらない。だが、目指すところは一緒だった。人生の袋小路からの脱出。こんなくそったれなまま、死ねやしない!)
(で、二人は互いに激しく傷つけ合いながら、光を目指して犯罪行為に突き進むんである)

(オーディアールの映画がホント好きなのは、薄汚れた負け犬どもの悪あがきが、たとえわずかでも光をもたらすからだ)
(んで、『ザ・トライブ』には救いが無いとか言ったが、目に見えるハッピーな救いが無いってだけで、ほんのわずか救いの可能性はあった)
(こっからネタバレ全開でいくが、説明皆無でよく分からない映画なんで、全然違うかもしんない。まぁ、そのつもりで)

(追記:コメントでご指摘いただいたが、どうもというかやはりというか、ちょっとラスト近くのシークエンスを勘違いしてたらしい。詳しくはまぁ各自映画をご覧になってご確認ください)

……………ッ!……………ッ!
(聾者ヤンキーの仲間になった主人公は、やがてピンプとして同級生の女の子の売春を仲介するようになる)
(女の子に売春させたり、そして恐らくヤンキーどもに強盗やらドラッグの売買をさせたりして、その背後で甘い汁を吸ってんのは寄宿学校の教師たちだ。彼らは立場の弱い主人公らを食い物にしてんである。教師のクセして)

(売春を強要され、苦界に生きる女の子は主人公と関係を持つ)
(悪徳と暴力が吹き荒れる希望のない世界に生きる主人公に、希望の光が灯った)
(女の子は手話でこう話す(話してるらしい))

(「いつまでもこんなトコにはいない。私、いつかイタリアに行くの。売春を続けてれば行かせてくれるって、先生はちゃんと言った」)

(でも、そんな淡い希望も崩れ去った。クソ教師はハナっからカネのタネである彼女を手放すつもりは無かったんである)
(主人公はなんとかして彼女を脱出させたかった。こんなクソ溜めから脱出して欲しかった)
(そうだ、彼女を救えれば、きっと俺だって…)

(主人公は決断する。あのクソ教師をぶち殺して、取り上げられたパスポートを取り返す。彼女をイタリアに逃がしてやる)
(そして…)

(パスポートとカネを手に入れた彼女は、寄宿学校から去っていった)
(万々歳だ。彼女の望みが叶った。俺の唯一の希望が…)

(彼は、一人寄宿学校に取り残された)
(もうなにも残されてはいなかった)
(もうなにも躊躇する必要は無かった)
(だから、くそったれヤンキーどもを皆殺しにして、その場を去った)
(寄宿学校の中でのこと。誰も彼の殺しに気付くヤツはいないし、誰も彼を目に留めない)

(去り際、彼はなにを考えてただろう?)
(なにも考えてなかったかもしれないが、もしかすると、イタリアの陽光の中で笑う彼女の姿でも想像してたかもしんない)
(そうやって、映画は静かに終わるのだった)

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通りすがり
通りすがり
2016年2月9日 7:36 AM

感想面白く読ませていただきました。
私もほとんど同じような感想を持ちました。全編を通して、息苦しさを感じる映画だなと。

一つ気になったのですが、最後にパスポートを奪ってボロボロに食い千切ったのは主人公でしたよね?
(売春行為のあとに教師の家に向かうシーンになるので)「こいつのせいで彼女は売春させられる」という思いから主人公は教師を殺害し、そのあとに「彼女は自分のものなのにイタリアになんて行かせるか」という思いからパスポートをボロボロに食いちぎり、そこに乱入してきたヤンキーどもに殺されかけたので復讐を果たして幕を閉じる、という風に私は解釈しました。
パスポートを彼女に渡したのは主人公ではなく、彼女を愛人にしていたヤンキーのボスです。そしてパスポートを最後に彼女から奪ったのは主人公です。
それとも偽物のパスポートを教師をが渡したという事でしょうか?
それでも、この主人公は結構わがままで衝動に駆られる人物に私には映りました。終盤は彼女のためというより、自分の衝動の爆発からあの様な結末に至った様に感じられました。

ミス・マープル
ミス・マープル
2016年10月27日 9:16 AM

こんにちは。一切セリフのない映画を、まるでセリフがあるかのように書いて下さりとても興味深かったです。主人公は実は「セルゲイ」と言うんですよね。エンドロールで初めて分かりました。パスポート申請書類を書くシーンは、黒毛の女の子が何度も書き間違えて、結局不良のボスが書いてあげる、という姿があって少しだけ笑いました。
木槌を上手に作ることができ褒められたセルゲイが、それでその教師を殴り、家中を漁ったのは何を捜していたのでしょうか?
ラストは音がないだけに、隣のベッドで何が行われているのか気づかない不良たちが哀れでもあり、セルゲイの怒りの強さも感じました。あの女の子(アナというらしい)だけが彼の希望だったのでしょうかね。
初めて見る不思議な映画ですが、衝撃は残りました。