今度は怖いぞ映画『事故物件ゾク 恐い間取り』感想文

《推定睡眠時間:0分》

中田秀夫をJホラーの巨匠の座に押し上げた最大の要因は俺が思うに『女優霊』で開花したピントが合わず画面の後ろの方に何気なく映り込んでいるボーッと立ってるだけの心霊写真のような幽霊の描写であった。Jホラーでは既に1988年の『邪願霊』や鶴田法男による1991年のOV短編『霊のうごめく家』で試みられていた描写ではあるが、中田秀夫のボーッと幽霊はそんな中でもひときわ怖かった。見える部分と見えない部分の配分が絶妙なんである。

そこに人っぽいものが立っているのはわかる。しかしピントが合っていないし照明も当たっていないのでそれがどんな表情をしたどんな人なのかがわからないし、近寄ってよく見れば人ではなくなんか服をかける木人椿みたいなやつの可能性だってあるのだ。そのわからなさ、しかし確実に何かはいる…という得体の知れない感じを出すのが中田秀夫は巧かった。そのためいろんな大人の事情などもおそらくあってこうしたボーッと幽霊が前作『事故物件 恐い間取り』も含めて出なくなっちゃった最近の中田秀夫ホラーに対する世間の風当たりはまことに厳しく冷たいものとなった…。普通のホラーなら「出し惜しみしてないでオバケちゃんと見せろや!」かもしれないが、中田秀夫の場合は「なにちゃんとオバケ見せてんだよ見せるな!」ってなっちゃうのだ。いや、俺は見せるタイプの中田秀夫ホラーも好きですけどね。

で『事故物件ゾク』なのだがこれは恐怖の朗報、ついに中田秀夫ホラーにあのボーッと幽霊が帰って来た! 厳密に言えば『貞子』にも1シーンだけボーッと貞子が出てきていたが『貞子』は怖い映画ではなかったので見なかったことにしよう。主人公の事故物件住みますタレント(渡辺翔太)が一軒目の部屋にお邪魔するシーン、妙に薄暗く居心地の悪い室内に主人公が足を踏み入れると、照明の落ちたおそらく洗面所と思われるスペースにボーッと何かが立っている。主人公は気付かないし音楽が高鳴ることもなく、カメラの前を主人公が横切った後にはもうその何かの姿はない。ゾクッ! である。この見てはいけない映像を見てしまった感。いや~コワイですね、コワくてイイ。こんなコワイ幽霊描写が今回はいくつもあるのだから最終的にバトル仮装大会になっていた前作とかなんだったんだと思う(その頃はネタ性の強いホラーの方が客が入ると映画会社の偉い立場の人どもが考えていたのかもしれない)

中田秀夫ホラーのもうひとつ重要な要素といえば闇の濃い空間造形。マンモス団地という格好の舞台を得てそれが最大限に発揮された『仄暗い水の底から』は中田秀夫のホラー空間造形の見事さが堪能できる傑作だが、それほどまでとは言わずともこの『事故物件ゾク』の空間もコワかった。とくに二軒目の事故物件にあたる山奥の謎旅館の二階。この二階の照明の当たらない闇の部分ときたら和ホラーの厭さが凝縮されてまったくおそろしくもう絶対にこんな宿には泊まりたくない感じである。そこに例のボーッと幽霊が何気なく立っていたりするこの恐怖、あるいは何もいなくてもその闇を見ているうちに段々と何かがいるような気がしてきてしまうという想像の気持ち悪さ。いや~、コワイよ今回は。

前作は実話の映画化という体だったが今回はもはや実話の縛りもなく事故物件住みます芸人・松原タニシの実体験を参考にした程度の完全フィクション、ということで主人公がいろんな事故物件を巡っていくオムニバス的構成は踏襲しつつも展開はよりダイナミックでドラマティック、霊に憑かれた人が飛び降り自殺を図って顔面大破という実話ベースだとできない厭なサービスシーンもきっちり盛り込まれて嬉しい限りだし、最近公開された別のホラー映画とネタ被りしてしまったラストもいささか強引とはいえなかなかキマっていた。それでいて各々の幽霊の詳しい背景などはよくわからないという実話怪談らしい良い意味での腑に落ちなさは維持しているのだから立派なもの。そうなのよ、詳しくわかっちゃうとコワくないのよね。よくわからないからコワイのよ幽霊も人もさ~。

それにしても、様々な事故物件を転々としていく主人公の姿にはどこかハードボイルドな苦味と哀愁が漂う。この世には不幸な出来事が山とあるがその不幸を解消するのはまったく難しい、生きてる人間でも難しいのだからもう死んじゃって介入できない感じの幽霊なんか尚更である。ということで主人公は各地でさまざまな形の不幸と絶望を目にしていく。目にするだけでどうすることもできない。仮に幽霊が存在するとすればその幽霊は主人公が来る前にも恨んだり苦しんだりしているし、主人公が去った後も相変わらず恨んだり苦しんだりを続けるに違いない。

そうした存在に対するドライな憐れみの視点が、単なるホラー見世物と中田秀夫のホラーを区別するところかもしれない。自分には何もできないがだからといって悲劇から目を背けていたくもない。こわいこわい中田秀夫のホラーにはいつもではないとしてもどこか世の中の痛みに対する憐憫と諦観がある。だからこそそれを半歩だけ突き破るこの映画のラストはシナリオはいささかチープだとしても意外なほど感動的だったりするんじゃないだろうか。

古典怪談映画のオマージュと思われる化け猫ババァなどトンチキ感のある場面も一部あるものの、そんなわけで全体的にはかなりコワく、そして怪談的な切なさも漂う、これは中田秀夫がまだまだJホラーの第一線で戦えることを示した貫禄の一本じゃあないだろうか。それはそうと主人公がタレントを志すきっかけになった人物が想定外で一人爆笑。いやお前なのかよ!!! これがギャグだとしたら、中田秀夫はやはり鬼才と言わざるを得ない。

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2 Comments
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カモン
カモン
2025年7月27日 12:19 PM

中田秀夫の話でなくて申しわけないんだけど気になったので訊きます…黒沢清の『回路』や『降霊』における描写はどう評価しました?あのこっち向かってくる途中でカクってなるあれとか…