ジェンダーフリー殺人事件映画『ポゼッサー』感想文

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《推定睡眠時間:15分》

男根の暗喩としての拳銃といえば陳腐を通り越してもはや死語ならぬ死表現ではないかと思われるが拳銃自殺に使う拳銃を男根の暗喩に…というのはちょっと観たことがない。よくあるやつだと男が女に拳銃を咥えさせるっていうあの構図じゃないすか。強姦的な。でもこれは違って自分で咥える。自分で咥えて苦痛に震える。

なんか、新時代だよね。男根新時代が来たなと思いましたよ。アッ! でもデヴィッド・クローネンバーグの『ビデオドローム』はちょっとそういうシーンがあった! こっちが頑張ってオリジナリティを見出そうとしているのに本人は全力で父親に寄せてくる『戦慄の絆』なブランドン・クローネンバーグです。お前はもっと飛翔しろ! 『ザ・フライ』だ! 観てるこっちも全然飛翔できてない。

でもそこは面白かったんですよ。そこはって書くとそこだけみたいですけどそういう意味じゃないんですけどただかなり眠くなる映画ではあるんですけど展開に起伏がなくて盛り上がりに欠く映画ではあるんですけどキャラは弱いしオチとかも捻りがなくてなかなかどこを楽しんでいいか困る映画ではあるんですけどなどと書いているうちにどんどんつまらない映画みたいになってくるんですけどいやそういうわけじゃないんですけど!

いや、だからですね、男根なんです。ここが最重要ポイント。拳銃の男根メタファーを見逃すとなにそれみたいな。そこで終わるんかいみたいな。なんだったんだよこれよくある話でつまんねぇなみたいになるんで男根は重要です。ざっくり言えば、まぁクローネンバーグ家的には『スキャナーズ』の変奏ですが、サイバーパンクの映画なわけですよ。他人の意識をジャックできるSF技術があるくせに現代と大して変わんない近未来が舞台で主人公は人様の脳を乗っ取ってターゲットをぶっ殺すプロの女遠隔暗殺者。酷い仕事もあるものだなぁと思いますね。ないですが。

で、暗殺に使った肉体の脳から抜け出すにはその肉体もぶっ殺す必要があるんです。本当はぶっ殺さなくても抜け出せるっちゃ抜け出せるみたいなんですけど殺しとかないと都合が悪い。わざわざ人様の肉体で殺しをさせる以上は依頼主にも思惑があって、こいつがこれこれこういう事情であいつを殺してその場で自殺した…というストーリーを描きたい。もし殺しに使った肉体を生かしておいたらそのストーリーが描けなくなるわけです。なるほど確かに。

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というわけで遠隔暗殺者はジャックした肉体を使った殺しを終えるとその肉体も一緒に殺す。そのために使うのが拳銃。まぁ別に拳銃じゃなくてもいいかもしれないが便利だからね。他の凶器痛いし。意識も痛覚も同期してるからナイフでセルフめった刺しとか絶対嫌ですよ。飛び降りとかは? それはまぁそういう選択肢もあるかもしれないが? でも怖いし。依頼によっては警官とかに取り囲まれて場所探す暇ないかもしれないし。いやしかし、そうだな、飛び降りオプションもないわけではないよな。そうなると何故か拳銃セルフキルができなくなってしまった主人公が乗っ取った男の肉体で逃げ惑う展開に無理が出てくるが…いいんだそういう粗探しは!

っていうかですね、その展開上の無理がこの映画が何についてのお話であるかっていうのを浮かび上がらせるわけです。つまりそれが男根としての拳銃。拳銃としての男根を自分の肉体に挿れるということ。それに対する拒絶反応。ここまでくれば女暗殺者が乗っ取った男の肉体を拳銃で殺せず街をさまよっているうちに自分が誰なんだかわからなくなってきてしまう展開にどんな意図を込められているかは明らかだ。主人公が夫と子供の待つ家に帰る時に「良き妻」を演じようと台詞を暗誦することの意味も、主人公とその女上司の親密な雰囲気の意味もまた然り。ジェンダーの揺れと抑圧についての映画だったわけです。

サイバーパンクSFと観れば美術や演出も含めてわりとありきたりな映画かもしれないが、ジェンダートラブルあるいはフェミニズムをサイバーパンクの鋳型に押し込んだ映画として観れば、そんな方向から切り込んでくるかと唸らされる。実際に切り込みますからね。拳銃使いたくないから主人公ブシャブシャって斬ったり刺したりして人を殺すんです。それでその度に主人公なんかちょっと解放された気分になる。倒錯しているがただの変態趣味ではない。拳銃で穴を穿って殺すかナイフで切れ目を作って殺すかの違いが意味するものは…みなまで言うな的な感じである。この人は男は斬って殺すが女は普通に撃ち殺せるのだ。

まぁ生理とかありますしやっぱ女の人の方が生物学的な男の人よりも血と関係が深いだろうというわけで血の解放が女も解放するのだという感じ、とにかく血がうつくしい映画でしたね。汚い血の出方じゃないんですよ、たいへんファッショナブルに血がめっちゃたくさん出る。出血にフェッショナブルもなにもないが俺が出血にファッション性を求めてるんじゃなくてブランドン・クローネンバーグが求めてるんだから映画が悪いしクローネンバーグの血が悪い。噴き出す血、溢れ出す血、こびりついた血、流れゆく血。全ての血が違った色合いや質感で血に対する拘りを感じます。みんな血がってみんな良い。ふたつの死体から流れ出た血がやがて一つになってロールシャッハ・テストみたいな模様を形作るところなんかおぞましくもちょっとだけ感動的である。

でもぶっちゃけ面白いかどうかで言ったら普通の意味で面白い映画ではないのでめちゃくちゃ捻くれたフェミニズムとかうつくしい出血を観たい人限定でどうぞ感ある。そんなニッチな! いやでも実際そういう映画なんだからしょうがないじゃん。脳ハック暗殺者同士がじゃんじゃん肉体を乗り換えていく肉体使い捨てバトルとかがあるわけでもないし…『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』でも強烈な個性を放っていた主演アンドレア・ライズボローの中性的異貌はジェンダーフリー時代の暗黒寓話ヒーロー/ヒロインとして実に見事なものではありましたが(思えばブランドン・クローネンバーグの前作『アンチ・ヴァイラル』もケイレブ・ランドリー・ジョーンズの不健康そうな面構えが最高な映画であったから、案外この人は役者の顔で勝負というタイプなのかもしれない)

※血の解放と女の解放とか書いてますが脳ハックを駆使したほぼ完全ジェンダーフリーが可能になれば性の決定はひとえに性自認にかかってくる、そのために自己の性とアイデンティティが常に不安定な状態に置かれる人も出てくるだろう、ということを示唆して映画は終わる。その意味ではデヴィッド・クローネンバーグ映画の素直な焼き直しと見えて、歪んだ形ではあっても肉体からの解放にユートピアを見ていた父親の価値観を否定するようなところがあるのは、前作も含めてブランドン・クローネンバーグ映画のちょっと面白いところだ。批判的継承って感じすね。

【ママー!これ買ってー!】


魔剣爻

肉体を乗っ取って斬りまくりといえばアトラスの変態的ヒーローアクションゲー『魔剣X』と移植リメイク版『魔剣爻』。まったく『ポゼッサー』と関係ないがゴリ推そう。

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