古典文学を栃木のヤンキー向けに再解釈映画『嵐が丘』(2026) 感想文

《推定睡眠時間:0分》

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』というのは名前だけは知っているが読んだことはない。この厳めしいタイトルからすればおそらくホラーとかSFとかではなく難しい内容だろうし、しかも古典文学だと思われるから何世紀か知らないが昔の話である。歴史の基礎教養がないから昔の話なんかわかんない。そんなわけでこの何度目かの映画版『嵐が丘』も格調高く高尚な映画になっているであろうと予想して観に行く気はなかったのだが、一日の終わりになんか一本映画観てから帰りたいなという時にちょうど始まろうとしていたのがこれであったから、内容は難しくてわからないかもしれないが、まぁシェリーの『フランケンシュタイン』とかは好きだし風俗とか衣装とかの雰囲気を楽しめればいいか、とあまり深く考えずに映画館に入ってみたのであった、が。

冒頭、黒画面に響く男の喘ぎ声とギシギシ軋む床の音からえっセックスから始まるの? と思ったらこれは実は公開絞首刑の処刑台の音、それを見ていた野蛮なる18世紀イギリス民衆は男が絞首刑で死ぬのを観ながら大盛り上がりでヤングカップルなんかは興奮してその場でおっぱじめてしまうのであるが、この民衆の中にアジア系の役者さんが混ざっており、その後主要登場人物の一人であるネリーという家政婦の人もアジア系のホン・チャウという人であることがわかるのだが、まったく居ないわけでもなかったかもしれないとしても(日本でも弥助がいたわけだし)、18世紀イギリスの人種構成においてアジア系の人は初代『モンスターファーム』のディスク種くらいの激レア存在なはずであり、広場の民衆をざっと見渡したら散見されるなんてものではありえない。

この冒頭シーンが示すのは2026年最新版のハリウッド映画『嵐が丘』は18世紀当時のイギリスの時代考証を行いリアルにその時代を再現する気はまったくないということであった。これは『嵐が丘』を時代ものの古典文学だからと敬遠していた俺にとっては見やすいという意味ではありがたかったかもしれない。実は何年か前に『ワザリング・ハイツ~嵐が丘~』という映画を配信で観たのだが、こちらは主役格のヒースクリフを黒人役者が演じているという点で新鮮味は感じたものの、映像はロケ主体でなんか侘しい山小屋とか荒原をうろうろするリアリズムのスタイルであったから、娯楽性に乏しく観ていてなかなか苦痛であった。

しかしこちら2026年ハリウッド版『嵐が丘』にそんな心配は無用である。冒頭であっけらかんとこの映画はリアルなものではありませんと宣言しているぐらいなので、以降はロケ1セット9ぐらいのほぼほぼセット撮影であり、そのセットは陰影もパースも造型も色彩もすべてが最先端のコンピューターグラフィックによる加工も用いて極端に誇張されているためリアリティなど微塵もなく、『ウィキッド』のような魔法ファンタジー映画の世界にしか見えない。なるほどハリウッド大資本で今『『嵐が丘』』を撮るとこうなるのか! 驚きの反面、困惑させられてしまう。たしかにこれは俺のような無学者にも見やすい『嵐が丘』には違いないのだが、こっちは18世紀イギリスの世界を映画の中で観光しようと思って映画館に入っているので、スクリーンからお出しされたのが魔法ファンタジーの世界で「え……」は不可避であった。

だが困惑ポイントはそれだけではない。というかここからがむしろインパクトのでかい困惑ポイントだったのだが、いろいろ説明をダイナミックに省いている気配が濃厚なのでぶっちゃけ社会的な立場とか人物像とかがまるでわからないマーゴット・ロビー演じる主人公キャサリンはある日、天井に開いた穴から馬小屋を覗くのである。するとそこには使用人かなんかのカップルがいてあきらかにセックス体制である。しかしそれは普通のセックスではなかった。女は馬具のハミを噛むと男はハミのヒモを引きながらバックでというややSM入りのセックスなのである。処女のキャサリンはこのセックスを見てからというもの頭がセックスでいっぱいになってしまう。そして翌日、矢も盾もたまらず家を飛び出すと岩の影で自慰行為に耽り、心配して後を追ってきたジェイコブ・エロルディ演じるヒースクリフに自慰行為を目撃されてしまうのである。

キャサリンは自分の自慰行為が見られたことに大いに動揺する。昭和のコンテンツではきゃーこんな姿を見られたらもうお嫁に行けない! みたいなのがよくあったが、逆方向にキャサリンもそのような心情になったらしく、自慰行為をした手も洗わずそのまま衝動的に近所のお金持ちの家に嫁いでしまうのである。ショックを受けたヒースクリフは馬を駆って何処かへ去ってしまうのだが……ここまで書いたところで学のあるみなさんにぜひともお聞きしたいのですがブロンテの『嵐が丘』ってこんなエロマンガみたいなストーリーなんですか? 読んでいないからわからないとはいえ、これなら原作:団鬼六とか宇能鴻一郎とかクレジットした方がよっぽど納得感があるような気がするのだが……。

よく知らないが原作の方の『嵐が丘』はなんとか三大悲劇とか言われているそうで、この最新バージョンの『嵐が丘』もさてこうして悲劇が幕を開ける、らしい。らしいというのはどのへんが悲劇かあんまりわからなかったからであった。どっかに言ってる間に謎の金持ちになったヒースクリフ(ヒースクリフが何をして金持ちになったのか、家出している間に何をしていたのかは一言も語られないので本当にわからない)がお金持ちの夫とセックス以外は幸せな結婚生活を送っているキャサリンのもとへやってくるのである。

間髪入れず二人はひたすらセックスをする。お屋敷の食堂でセックス、馬車の中でセックス、あえてお金持ちの夫が見ている前でセックス、とにかくセックス、セックス、セックスしまくりであり、そこにはロマンチックな言葉や魂の交感などなく、ヒースクリフはセックスのためだけにキャサリンのもとに現れると、膣内射精を二三発済ませた後にサササッと去って行くので、セックス以外にキャサリンとヒースクリフを繋ぐものはない。その完全に体だけの関係性にキャサリンは言いようのない悦びを見出していた。そう、キャサリンは処女時代に馬小屋でのややSMセックスを目撃して以降、優しくされるよりも強引にヤられるとか人から非難されるとかそういうシチュエーションに欲情するマゾとなっていたのだ!

これなんの話なんですか? お金持ちの夫のアホの妹(処女)が「あなたの好きなお花とキノコを立体絵本にしたの!」とキャサリンに見せるその花とキノコの立体はどう見てもマンコとチンコでキャサリン失笑という下ネタのギャグシーンが唐突に出てきたりするがそれはなんだったの? SM官能映画として……ならまぁ、そのわりには濡れ場に気合いが入っていないとしても、一応わからなくはない。しかし『嵐が丘』の映画版と考えるとわからないことが多すぎる映画である。ストーリーもおそらくめちゃくちゃ省かれているのでよくわからない、心理描写が欠如しているのでキャサリンとヒースクリフはもとより出てくる全員なにを考えているのかよくわからない、更にはヒースクリフを演じたジェイコブ・エロルディが垢抜けない風貌のため片田舎の農夫にしか見えず、どんなにカスでも見た目が良ければ人は抱かれたくなってしまうというのも一面の真理かもしれないが、このヒースクリフは見た目が魅力的というわけでもないので、何が良いのかよくわからない。このセックスだらけの内容で魔法ファンタジー風の映像を採用したのも、流れる音楽がエモく薄っぺらいポップソングというのも意味不明である。

いや、正直に言えば、そうした演出の意味はちょっとだけわかってる。アメリカのティーンエイジャーはこういう色の悪いお菓子みたいなエログロ映画なんか大好物なので、人間の心の機微などまるで読み取ることができない無学なティーンエイジャーのカップルに映画館に来てもらって発情してもらいたいということではなかろうか。『スプリング・ブレイカーズ』という映画が昔あったがちょっとあれみたいな感じである。『スプリング・ブレイカーズ』は登場人物全員の学歴と精神が中学ぐらいで止まっていたがこの『嵐が丘』のキャサリンとヒースクリフも言動や思考回路や見た目が栃木の中卒ヤンキーみたいに見えたので、明らかに大人向けではなくそういう層がターゲットである。つまりこれは栃木のヤンキー版『嵐が丘』なのだ。なるほどたしかに栃木のヤンキー版『忠臣蔵』などがあれば赤穂浪士に対する興味がマイナス800の最近のわけぇもんでもイケメンヤンキーたちを拝むために観に来てくれるかもしれないので、それは興行的にはそれなりに正しい判断というところもあるのかもしれない。

ただ作品の質という意味ではすごくラジー賞。どんだけがさつで無思慮な人が作った映画なのかと思う。今のハリウッドは膨大な資金を投じてこんなどうしようもない映画しか撮れないのかと思うと笑うしかないが、とても悪食の映画なのでジョン・ウオーターズは年間ベスト10に入れてくれるかもしれないし、50年後にはカルト映画として学生たちがパーティで酒飲んでハッパやってツッコミ入れて笑いながら観る映画へと成長しているのかもしれません。『ザ・ルーム』か?

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments