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最近の映画だと『HELP/復讐島』が物語の背景知識(アメリカの自己啓発文化とリアリティ番組『サバイバー』)があるかないかで見え方が変わってくると思われる映画だったのだが『ブゴニア』もわりとそういうところのある映画で、原作となった韓国のカルト映画『地球を守れ!』にはなかったこのリメイク版独自の要素として重要な位置を占めているのがアメリカのオピオイド危機なのであった。オピオイド危機、これは日本のニュースや新聞ではほとんど取り上げられる機会のない話題なので俺も含めてなのだが大抵の人はピンとこないことだろう。アメリカでは1999年ごろから鎮痛剤オピオイドが流通し、これは依存性(ハイになる)があることから本来がん治療に用いられるものだったが、それ以外の治療でも安易に処方されるようになってしまったことで社会問題化、大量の依存症患者と過剰摂取による死亡者を出してしまったのである。(米国のオピオイド禍と日本への教訓〔シノドス〕など参照)
広大な国土を誇り連邦制をとるアメリカでは医療の地域格差が大きく、更には国民皆保険もないため経済格差がイコールで医療格差に繋がってしまう。要するに田舎の貧乏人ほど質の悪い医療しか受けられないので、こうしたオピオイド薬害の被害者は高所得者よりも低所得者に多いらしいのだが(そのため田舎の貧乏人を主要顧客とするトランプは一期目においてオピオイド対策を大々的にアピールした)、『ブゴニア』の主人公である陰謀論者の養蜂家(ジェシー・プレモンス)はまさしくそのような一人、この人自身はオピオイド被害に遭うことはなかったが、身内がオピオイド被害に遭ったというのがこの人が陰謀論へと踏み出す第一歩となったのであった。
この養蜂家の陰謀論はスケールが大きく人類は人間に化けた異星人によって操られ原因不明の蜂の巣の崩壊現象などもその異星人のせいで起こっているのだという。そこで養蜂家は今年の顔的な感じで雑誌とかの表紙を飾る気鋭の大金持ち女性CEOエマ・ストーンをバカの相棒と一緒に誘拐してくる。なぜなら養蜂家が言うにはこの気鋭の女性CEOは異星人の斥候だからだ。だが異星人を殺すことが養蜂家の目的ではない。この斥候に異星人の宇宙船に案内させ、異星人皇帝と謁見し、地球人の窮状を訴えてどうにか改善してもらおうとしているのである。
これをバカな陰謀論者と一笑に付すか、狂気の陰謀論者と恐れおののくか、それとも追い詰められた田舎の貧乏人の切実な妄想と同情してやるかは、オピオイド危機が頭にあるかどうかで変わってくることだろう。なぜなら、この女性CEOはオピオイド離脱剤の販売で利益を上げているらしく、養蜂家の身内はそのオピオイド離脱剤の副作用によって意識不明の状態で病院送りとなってしまい、そしてそんな仕打ちを受けていながら、お金も職もないからと女性CEOが経営する大企業の末端の配送工場で劣悪な労働環境のもと働いている人がこの養蜂家だからである。この図式を理解していれば養蜂家が異星人の殺害などではなく「皇帝との謁見」という一見すればバカでしかない要求を女性CEOにした理由もわかるだろう。下々の人間が何人死のうが顔色一つ変えない超お金持ちのお前らに俺たちがどれだけ苦しい生活をしている聞いて欲しい……! ということなのだ。
今年は『エディントンへようこそ』もその手の映画だったが『ブゴニア』もまたアメリカの分断をひねくれたブラックユーモアで描いた映画といえるだろうな。女性CEOがマスコミ向けの宣伝映像でやたらと我々は多様性を尊重しますとか美辞麗句を連発しつつオフでは「多様性多様性うるせぇよ!」と毒を吐くあたり、口では優しく美しく夢に溢れたことばかりを言うが、その実やってることは阿漕な金儲けと貧民搾取でしかないアメリカのセレブ経営者(マーク・ザッカーバーグとかイーロン・マスクとか)に対する皮肉である。オピオイド危機の主犯格として扱われる製薬会社パーデュー・ファーマのオーナーであるサックラー・ファミリーが欧米においては美術業界への慈善事業で名を馳せた「篤志家」であったことは、おそらくこの映画の作り手も知っているだろう。(蜜月の終わり。世界各国の美術館が関係解消を急ぐ「サックラー・ファミリー」とオピオイド中毒問題〔美術手帖〕など参照)
そのへんのアレンジは『地球を守れ!』を今のアメリカを舞台にリメイクするならばこうだろう、という感じでなかなか面白くはあったのだが、ただそのために『地球を守れ!』にあった破天荒な勢いは相当削り取られてしまったように思うし、『ゼイリブ』的なアメリカ社会風刺の要素が強まったおかげでラストの意外な展開が今一つ噛み合っていないようにも思う。紳士な陰謀論者と傲岸不遜な女性CEOの異常状況に反して奇妙に落ち着いた会話劇は見物なのだが、何じゃそりゃ!? の連続で最初から最後までぐいぐい引っ張っていく『地球に守れ!』の面白さとは、比較的オリジナルに忠実なリメイクではあっても別物かもしれない。鬼才ヨルゴス・ランティモスでも異常なオリジナルを超えることは難しかったらしいのであった。