大混乱感想:映画版『伊藤くん A to E』(ネタバレはある)

《推定睡眠時間:0分》

いやもうとにかく意識と記憶がかき乱されてわけがわからなくなってしまった。他の人は知らないが俺には大変な重荷映画でしたね。日曜朝に見たら日がな一日伊藤が発掘する玉石混淆の古記憶で脳が満たされまぁたく何も手がつかない。なにしてくれてるんだよ伊藤。

ジャンク発掘記憶の一例として伊藤が言う“ぼくの生き方は弱者の戦術だ”みたいな台詞を触媒としたものがある。聞いた瞬間なるほどなと思った。伊藤の生き方というのは端的に言えば定住と成熟の全面的拒絶であるから、これはスキゾとか逃走とか言うべきではないか。
思想家?の浅田彰は『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』でこんなようなことを書いていた。逃走は弱者の闘争なのだ。ところが読み返してみればそんな文言はどこにも見当たらない。

あるいはまた伊藤の女に目がないフーテン童貞っぷりと伊藤自身は童貞のまま関わった女たちは巣立っていくっぷりに図らずも図りたくなくともその裏側から車寅次郎を重ね合わせずにはいられずこれは、宗教学者の島田裕巳が『映画は父を殺すためにある』の中で、寅さんの周縁性とか他者性が通過儀礼において果たす役割として論じていたものではないかと思い再読するとやはりそんなことはどこにも書いてないしそんな論旨でもない!

バイト先のとくに目立ったところのない同僚にほぼストーキングなアプローチをかける伊藤。返信も既読もないのに「あれ? 送れてなかった?」的なチャットを10分間隔で送り続けた結果として間接的にバイトを辞めさせてしまっていたがぼくもそういえばバイト先の女の人に一方向メール乱打していたらすごい長文で「怖いからやめてください」との返信をいただいたことがありましたね。それからぼくは完全に沈黙したがその人は数ヶ月語に辞めました。

そんなことは思い出さなくていい。伊藤に惑わされている。伊藤に脳がヤラれている。寅さんに関しては内田樹の評論だった可能性もあるがともかく伊藤パニック、伊藤の存在を咀嚼しようとして伊藤に食われてしまった感じだ…。
もう伊藤に振り回されるのはうんざりなのでこういう時にはざっくりとおおらかに風通しのよい理論的視座を借りてとりあえずの感じで伊藤を分かったことにしておきたい。以下、山口昌男の引用。

道化は秩序に対する脅威を絶えず構成する。このことは、道化が常に従属的立場であることにより、可能になる。彼は絶えず中心的存在の分身として、あるいは影の部分として、演技の負の部分を担当する。(…)人は自らが従わなければならない秩序が崩れるのを見る。秩序の担い手のアイデンティティが、彼が嘲笑され、言い負かされ、盗まれることによって剥ぎ取られるのを見る。いわば道化は人がそれぞれ己れの中に潜めている自分でないものに対する攻撃を代行する。ところが、一度つき崩された秩序はかえって新鮮に見える筈である。
『道化的世界』ちくま文庫-p.30

たぶん読み方によってはラブコメ連想への道も開かれてしまうあらすじよりも文脈的には全然無関係のこちらの方が映画の内容を正確に伝えている。こういう映画です『伊藤くんA to E』。そうですね洋画で喩えるならアクションと殺人とハンス・ジマーがない『ダークナイト』かな。伊藤くんは道化であるし、道化であるからジョーカーなのだ。
またいつもの地方ロケものラブコメと思って見たら『ダークナイト』。パニックだろ。パニックだわ。

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まぁ『ダークナイト』がヒース・レジャー一世一代の名演によるジョーカーのための映画だったように『伊藤くんA to E』もタイトルになってるくらいだからとにかく伊藤、伊藤だったな。岡田将生の伊藤がヤバい。

映画はシナリオ講座の場面から始まる。講師は『東京ドールハウス』なる「作者の実体験に基づく」「等身大の」ドラマで一世を風靡するもあまりにもさっさと局にも視聴者にも飽きられたがその現実を受け入れられずバカな金づる生徒相手にシナリオのイロハだなんて半年で20万30万も払うまでもなくネットなり本なり見ながら毎日書いてれば身につくだろうがこれじゃあ職にあぶれた紋切りライターの救済事業じゃねぇかなんだこの仕組みはなんだこの腐った業界はと若干私怨が混じっているがそういうことをやっている元売れっ子シナリオライターの矢崎莉桜先生(木村文乃)です。

でその矢崎先生が才能のなさそうな生徒たちに問いかける。互いに思いを寄せている男女が偶然街で再会した、これってシナリオとしてアリ? それが良いシナリオの条件かどうかは知らないが、シナリオ教室で教わるのはシナリオは作為と因果の体系であるということである。偶然と無意味には価値がない、テーマがないものには価値がない、価値がないシナリオは売り物にならないから職業ライターになりたければまずは合理的な世界観への懐疑を捨てなければならないのだ。
そのことを鵜呑みにした従順なる凡庸生徒諸君は矢崎先生の問いを無いっしょぉと一笑に付すが我らが伊藤くんは違った。

「ぼくはアリだと思うなぁ。現にぼくはそういう経験があるよぉ? だいたい君たち、その程度の想像力もなかったらシナリオなんて書けないんじゃない? そうでしょう? 矢崎女史」。

一応確認しておくが伊藤くんはシナリオ講座の生徒である。しかも出されたシナリオ課題を一度も提出したことがない生徒である。着ている服は胸元に四つ★をあしらった荒木飛呂彦的センスである。
あまりのヤバさ、あまりのキモさに開始十分も経たずに震えが走ったがどうせ入る気もないシナリオ講座の説明会に乱入してその講座がいかにダメでほかの入学志願者がいかにつまらない人間か熱弁を振るったのちじゃあお前なんで来たんだよの至極真っ当な反撃を受けてひとりで帰った経験のある人間だから自分の過去に震えていたのかもしれない。気分はもう『影の車』のラストシーンにおける加藤剛。

クソヤバイ伊藤くんだが女を切らしたことはない。顔は良いしスタイルも良いし根拠はないが自信には溢れている。なんとなく世の中を甘く見ていたり自分に自信がなかったりメンタルがヘラってる人はバンバン引っかかる、また伊藤くんの方でも浅薄話術とストーキング手法を駆使してバンバン引っかけに行くのだった。さながら歩くハエトリソウ。
ところが伊藤くんは相手の人が精神的距離を詰めてくると拒絶して別の女に向かうのであった。大人の関係を迫られると急に突き放してヒステリックに大非難。先週『ブリムストーン』で見て辟易させられたばかりの『狩人の夜』的童貞サイコパスがまたしても来る。

「実は童貞なんだ」と告白した直後、「最後まで行ったことはないんだ」と性体験を若干盛ってくる伊藤。なんて情けない男。いつもガキみたいにヘラヘラ笑っちゃって。だが取るに足らんと油断を見せたところを突くのが和製ジョーカー伊藤であった。
伊藤にマウンティングをかけていたつもりがいつの間にか伊藤にマウントを取られている。伊藤を嗤っていたつもりがいつの間にか伊藤に嗤われている。初体験を求める伊藤に身体を許してやったつもりでいた関係性上位の人間の方が、実は伊藤に精神を犯されていたりするわけだが、ジョーカーもまたこのようにしてゴッサムをカオスに引き込んだのであった。

ジョーカーのように伊藤は決して反省しない。ジョーカーのように伊藤は決して本気にならない。ジョーカーのように伊藤は神出鬼没。ジョーカーのように伊藤は秩序と常識を揺さぶり続ける。ジョーカーのように伊藤は決してそれを止めない。
いや俺はあんま盛って書いてないと思うよ伊藤マジでやべぇんだってマジでこうやって関わった人間みんな壊していくんだってマジで『ダークナイト』かつ黒沢清的サイコホラーなんですよ『伊藤くん A to E』は。
ヒース・レジャーのジョーカーとか『CURE』の萩原聖人とか、現代映画の破壊的道化の系譜に連なるんだよ岡田将生の伊藤は。

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さてこのようにヤバい伊藤くんを、というか正確には伊藤くんの餌食になった女の人たちをそれと知らず矢崎先生はプロファイルしていた。それがタイトルのA to Eの由来なのだがなんでそんなことをしているかと言うと新ドラマ企画のプロットを書くためで、「等身大」の女たちを書けとの局プロの命により痛恋愛または痛人生の平凡女を取材対象として集めていたのだ。

伊藤もヤバいが矢崎先生もヤバかったというかウザかった。なぜか、恋愛と人生の酸いも甘いも知り尽くした風の上から目線で取材対象の女たちをカウンセリング的プロファイル。
とはいえこちらから連想されるのは某Jあおいか適当な教訓系ブロガーだから『ダークナイト』とか『狩人の夜』の記憶を呼び起こす伊藤に比べれば小物もいいところだ。

まぁヤバさの面で小物というのは決して不名誉なことではないと思いますが、企画が通らないとそろそろシナリオライターとしての境遇の方がヤバくなる矢崎先生としては伊藤の発する人間的ヤバさは甘い誘惑に響く。ヤバくて俗なシナリオはいつの世でも売れる。
ていうことで捕食対象の/プロファイル対象の女たちを通して伊藤と矢崎先生は密やかな共犯関係に堕ちていく。バットマンがいるからジョーカーがいるし、ジョーカーがいるからバットマンがいる。
矢崎先生自身が信じているかどうかは知らないが(信じてないだろうな)金づる生徒たちにはしつこく吹き込んでいる合理主義的ハリウッド的シナリオ作法に従って、その関係の先には逃れられない宿命の対決が待ち受けているのだった。

町山智浩は『ダークナイト』におけるジョーカー像を『ダーティハリー』や『ブレードランナー』を絡めて過去すなわちリアルな存在を持たない純粋な抽象的悪とし、ミルトンとか引きながら『ダークナイト』の神話構造を論じていた。
過去もなければ言うことに一貫性もない、行動の動機も方針もよくわからない、それに、バットマンは帰るべき大邸宅があるが、ジョーカーには帰るべき病院はあっても家はない。家に帰らないから常に動き続けて捉えどころがない。

そういえば、人が主とかいて住とよむ、なんて文句があったけど、主体ってのはまさしくパラノ型の《住むひと》なのである。そういうひとはスキゾ型の《疾走する非主体性》に耐えられないもんだから、《主体としての自己の歴史的一貫性》なんかにしがみついているんだけど、その家の地下室からあたりでは、必ずトラウマってヤツが、大昔のふかーい心の傷あとが、腐臭を放ってるんだ。
『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』筑摩書房-p.7

2018年1月にもなって引用する『逃走論』は味がある。トラウマの語がわりとカジュアルな現代的用法ではなくて真面目に精神分析的な意味であることに留意しつつ、バットマンVSジョーカーおよび矢崎先生VS伊藤の図、を理解する簡潔明瞭な補助線ではいかと思われたので文脈を無視して唐突にねじ込んでみたがそれにしても浅田文なんかすごく伊藤のセリフっぽくないですか…。

逃走は逃走だから、アッケラカンと明るいワケじゃない。国境の町の薄汚れた安酒場の便所の匂いなんかがしみついてたりするワケね。だけど、それがまたいいんだなぁ。そういうところでくたびれたコートなんか着て周囲に眼を光らせてる逃亡者くらいサマになるものはないってのは、映画の紋切型で御存知のとおり。
それに、いつも受け身でビクビクしてるワケじゃない。逃走を続けながら機敏に遊撃をくりかえす。これこそゲリラ戦の基本じゃなかったろうか。それどころか、ドサクサにまぎれて異種交配をやってのけたりだってできるんだ。逃亡者を甘くみちゃいけないよ。
前掲書-p.6

それはともかく。映画においてその人を表す最も明瞭な映像表現は住処であるときっと誰か偉い人が言っているに違いないが、さっきからジョーカージョーカーおこの一つ覚えみたいに言っているのは仕事場を兼ねた金持ちハウス(表現の貧困)からほとんど出ようとしない矢崎先生とは対照的に家そのものが画面に出てこない、ゆえに神出鬼没な伊藤の存在が、一見して等身大の現実から一歩も足を出さないあるあるだらけの痛恋愛群像ものがたりを『ダークナイト』のように説話的な方向に、そしてそこからもう少し先へと変質させていたように感じたからだった。

『昼の思考と夜の思考』という論考で、再びの山口昌男は始原の神を両義的な存在とした上で、その貶められ一義的に分割された形態、過程を次のように書いていた。

法の管理人として奇蹟を喚び起こし、結合と離散を惹き起こす神は気まぐれで、どんな姿にも変身できて、気のむくままに姿を変え、幻想、騙り、危険な術者、そして黒呪術者とされる。
己を秘し匿して全く姿を現さない神は、決して特定の形におさまりきらない。海原のごとくどんな形にもなるが、たちまち姿を消す変化自在の神ということになる。
こうした神話の神々を媒介として次のような諸悪の観念が姿を現す。吝嗇、破壊者、幻覚使い、騙り、影法師、形を持てぬ者、不能者といったものがそれである。これらの神話的諸悪を今日の哲学的な文脈で言い換えるならば、コミュニケーションの拒否、純粋恣意性、恣意性と不条理性に満ちた世界、世界の中で定義される形姿に自らを託すことの不能性、もっと一般的な次元では解き放たれた攻撃性そして増殖不能という表現をとる。
『文化と両義性』岩波現代文庫-p.25

なにもそこまでおおげさな話にしないでよい気もするがこの神話的論理のミニチュアに、『伊藤くん A to E』のストーリーは収斂されていったと思ったので大変とても動揺してしまったのだ俺は。
ミニチュア、神さまのミニチュア、結局これはものがたりの神さまたる作家先生の、創作をするということについての捨て身の告白のような映画だったように俺には思われたのである。

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むかしといってもぼくは若い人なので大したむかしでもないが映画学校のようなものに通っていたとき、シナリオコンクールに入賞して商業ドラマを一本書いたという人が同じクラスだった。
どうして業界に食い込みかけた人が高い金払ってなんも実績がない人たちと同じ部屋で自主映画なんて撮ってるのかというと、なんでも商業ドラマを書いた際の担当プロデューサーが脚本をまったく読めないし読む気もない人でこれじゃあやっていけねぇと思ったから、とのこと。
声とバイタリティが全力の我の強い人でぶっちゃけ嫌われていたが、いちばん卒業制作で妥協しなかったのはその人だった。創作で飯を食っていける人というのは大なり小なりこんなものなんだろうなぁと思ったものである。

俺はその人ととく交流があるわけではなかったが、一度だけ飲みにいったときにシナリオ次回作の構想を聞かされたことがあった。詳細はまぁどうでもいいのですが要するに登場人物の行動に対して善悪の判断が容易に付かないむずかしいシチュエーションを提示して社会に倫理的な問いかけをしたい、という主旨。
それは創作者の傲慢なんじゃないだろうかとおもった。作者の自分は答えを出さないで特権的な立場から客を試すっていう態度は。何か引っかかるものがあったので深い考えもなくそう言ってはみたが、とくに返答もなくその場は流れて、今その人がなにをやっているのか俺は知らない。

『伊藤くん A to E』は監督が廣木隆一だが廣木隆一という人の映画はわりあいいつも映画内世界の輪郭がアバウトだなぁというのは前の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』からの印象だがこれも、たぶんこの場合は意図的にアバウトなんだろうと思った。
伊藤に狂わされた女たちのエピソードは次第に女たちのエピソードの書かれた矢崎先生のシナリオ(プロット)世界と区別がつかなくなっていく。実はそれとほぼほぼ同じシナリオを偶然にも伊藤も書いていた。
じゃあ、いま客席から映画を見ている俺の目に映っているのは女たちの現実なのか、矢崎先生の創造した願望混じりの虚構なのか、それとも伊藤のいつものホラ話なのか。現在なのか過去なのか、なんだかもうわからなくなってくる。

映画の終盤に至って伊藤の攻撃は映画のリアルというお客と作り手の約束事にも及ぶ。リアルなどあるか。こんなの所詮つくりものじゃないか。冒頭のシナリオ教室で、矢崎先生と生徒たちの暗黙の了解をぶち壊したようにである。
いやそもそも伊藤など存在したのか。矢崎先生の取材資料を読んだ担当プロデューサーは彼女たちが狂わされたのは全員同じ一人の男であると大胆推理、それすなわち伊藤であると矢崎先生は結論付けるが、女たちが矢崎先生に伊藤の名を口にすることはついぞない。
伊藤とはなにものか。伊藤とはなんなのか。伊藤とは。

もし伊藤が、面倒くさい生徒の伊藤ではなく片っ端から女たちを壊していくジョーカー伊藤が矢崎先生の想像の産物だとしたらどうか。矢崎先生のダークサイドの創造的反映だとしたらどうか。
職にあぶれて、売れっ子の幻想は潰えて、もう誰にも相手になんかされないのに肥大した過去のセルフイメージに囚われて身動きの取れなくなった矢崎先生が、ただ朽ちていくだけの自分を再生するために無意識的に呼び寄せた、もうそこには素材がなにもない玉座だけの作者の特権的地位の無様を映し出すために呼び寄せた自己破壊的創造物が伊藤だとしたらどうか。

それが作家先生の地位を得るためにかつて捨て去った禍々しい自分の半身だとしたら。幼稚で身勝手で欲望のままに動き回る道化的クソガキで、何者でもないが何者でもないから既成秩序を根底から揺るがすことのできた挑戦者の姿だとしたらどうか。
創作者として伊藤的悪神でも矢崎的善神でもふたりに弄ばれる女たちでもあった矢崎先生が、売れるためにガムテープでバスタブに封印していたその豊かな多義性を自分の中に再発見する過程がこのものがたりだとしたらどうか。

いや、どうかっていうか俺はそのように見たという話でしかわけですが、そう見ちゃったらそれは動揺もするよ。しばらく休止してたシナリオ公募を再開しようと思っていた矢先なので。お前は何者だって直に言われた気になるじゃん。伊藤の岡田将生、前に出たの『何者』だし…。
その矢先だからそう見えたという可能性もあるが、そう見せるメタ的な広がりもあっただろうということで、伊藤が徹底して中身のない道化であるがゆえに近づく者の暗部をそのまま映し出してしまうように、『伊藤くん A to E』も見ている人間が見たくないなにかを見せてしまうわけである。

今なんて原作ものドラマばっかじゃねぇか! あんなもんクソしかねぇわ! みたいな矢崎先生のシャウト台詞を演出する廣木隆一本人がクソいタイトルの女子高生向け原作もの恋愛映画を量産してるじゃねぇかっていうこの毒。
世界を毒すために自分を毒す破壊的道化の解毒作用は『ダークナイト』で証明済みだから『伊藤くん A to E』も痛みを伴う解毒の効用があると考えてよいに違いない。
見てしばらくは悶々としていたが今ははれやかな気分ですよぼくは。一度つき崩された秩序はかえって新鮮に見えるわけである。

※多少修正してます

【ママー!これ買ってー!】


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なおなお『伊藤くん A to E』が映画としてなにかを貫いているなとえらく感心したのが伊藤を最後まで正体不明の道化に留めたところで、『ダークナイト』はどんなに面白くともハリウッド大作なので予定調和的な善悪の争闘神話に落ち着くが、伊藤がチャリで疾走する場面から転がりだして今まさにチャリで走り出そうとする伊藤で幕を閉じる『伊藤くん』はそんなふわふわクッションを敷いた着地点は用意してくれない。
伊藤は走り続ける。伊藤は壊し続ける。伊藤はどこにでもいる。なんだか民話の世界であった。言うこと聞かないと伊藤が来るぞ!(子供ギャン泣き)

↓その他のヤツ

伊藤くん A to E DVD-BOX
伊藤くんA to E (幻冬舎文庫)

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