離婚調停カーアクション映画『アオラレ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

映画の中の最高なあおり運転ベスト10を作るとすれば選者が誰でも確実に上位にランクインすること間違いなしの名あおり運転といえばデヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』に出てくるロバート・ロッジアが食らったあおり運転である。ロバート・ロッジアはのんびりドライブが大好きなほっこりギャングボスなのだが安全第一ゴールド免許の模範的運転にどっかのイキった若造がクソなあおりをカマしてくる。

ガキが…だがロッジアは模範的ドライバー市民。ムッとはするが先どーぞとハンドサインを出すと若造はロッジア車を追い越しながら中指を突き立てる。ロッジア、アクセル全開。天塩をかけてチューニングしたロッジア車にそこらのイキった若造が敵うはずもなくロッジア車のボディアタックを食らった若造車は路肩にドン。ロッジアは全力で車から若造を引きずり出すと殴る蹴るのギャング暴力を行使しながらお前は法定速度で走っている時の車間距離は何台分だか知っているのか! 6台分! およそ30メートル! 自分が何メートル距離を開けていたか言ってみろ! いいか! 合衆国での去年の交通事故死亡者は5000人にも上るんだぞ! お前のようなバカどものせいでそれだけ人間が亡くなっているんだ! 交通教本を買え!

…とあまりにも正しすぎる恫喝をするのであったがギャングはギャングだし恫喝は恫喝、『アオラレ』も長引く離婚調停とか親の介護問題とか仕事の失敗とか貯蓄が雀の涙とか同居してるのに家に金カネを入れない不肖の弟とかそれら諸々からくる睡眠不足とかでメンタルがダンデスピークに達したシングルマザー(カレン・ピストリアス)がクラクションの嵐を浴びながら割り込むやら渋滞するフリーウェイの路側帯を突っ切ってまたクラクションの嵐を浴びるやらのワイルドスピード運転を繰り返した挙句に信号が変わっても発進しない前のでけぇピックアップ・トラックに特大クラクションを食らわせたところこれが前妻と前妻のニュー夫殺し&放火で手配中の殺人犯ラッセル・クロウの運転する車であったので殺人チェイス開始とそれ見たことか展開になるわけですが、危険運転をしている人なら殺していいという法律はないので殺人犯ラッセル・クロウも殺人チェイスに入る前にクラクションはもっと丁寧に鳴らすのがドライバーのマナーだろう、確かに考え事をしていて信号が変わったことに気付かなかった俺も悪いがお互い様、俺も謝るからあなたも謝ってくださいそれでチャラにしよう、とシングルマザーに和解案を持ち掛ける(しかしシングルマザー拒絶)優しさといえば優しさもあったかもしれないが、ゆーて殺人犯だし謝らなかったからとかいう理由だけでシングルマザーとその関係者をぶっ殺してまわるのでどっちが悪いかといえばどう考えてもラッセル・クロウが悪いに決まっている。

パンフレットを買ったら載ってたアンガーマネジメント協会だかの胡散臭い奴の「トラブルのきっかけは、すべて彼女」「やらなければいけないことをやらず、やらなくていいことばかりやる」「(ラッセル・クロウの凶行に巻き込まれたことで主人公が)どれだけ人に迷惑をかけるのか」とかいうレイプされるのはレイプされそうな格好をしていた女が悪い的なムラ社会論理を上から振りかざすクソ浅薄映画感想にムカついたので私もアンガーをマネジメントすべくここにこのようにエア反論を書くのでした。書いたので今はアンガーすっきり、ムカついたらどこの馬の骨とも知れん奴らのアンマネ講習なんぞにカネを落とすよりも無料ですぐにできる思考のテキスト化がやはりよいのではないでしょーか。

そんなことはいいんだよ。そんなことはどうでもよくて『アオラレ』、清々しい気持ちになる映画でしたね。公開が去年の8月ということでコロナ禍が撮影を直撃してしまったのかそれとも単に予算がなかったのかはわからないが屋内の会話シーンなどは必要最小限でキャストも少ない。人と人が接触できないなら…車と車を接触させてみてはどうだろう? ということかどうかは定かではないがラッセル・クロウの暴力運転で巻き添え事故多発、激突が激突を呼んで交通事故のクラスター発生、これぞ車の濃厚接触! クロウが撥ねた通りがかりの良い人がポーンと道路に投げ出されて別の車に粉砕されるところとか最高でしたな。

内容としては『激突!』と『ヒッチャー』をニューオリンズの市街地に持ち込んでB級映画のお手本『セルラー』のアイディアとテンションとかブチ切れの名作『フォーリング・ダウン』のキャラクターとか雰囲気を突っ込んだような感じなのでタイトルを並べるだけで映画をよく観ている人なら「あ…」と察しが付くと思うがコンスタントにラッセル・クロウがブチ切れ殺人を起こしてくれてだいぶ無茶な状況設定の中でシングルマザーが孤軍奮闘してくれるだけの90分なのでたいへん潔くてよい。だけって別にバカにしてないからね、だけができない映画が現代のアメリカ映画には多すぎるのでだけはむしろスキルです。

前妻の家の前に張ってオピオイド(麻薬性鎮痛剤)の錠剤をバリボリ嚙み砕くラッセル・クロウの図を映画の冒頭に置くこの簡潔明瞭な作劇! それを見れば誰でもこれがどんな種類の映画かわかりますからネ! それにしても、錠剤を噛み砕くといえばスティーヴン・キングの原作版『シャイニング』も暴力夫ジャック・トランスが錠剤を噛み砕く場面から始まっていたが、どうしてアメリカの暴力マンは錠剤を飲み下さずに噛み砕いてしまうのか。効果ちゃんと出ないんじゃないかそれ。

だけの映画とは書いたもののこれは脚本がウェス・クレイヴンの『パニック・フライト』や『裏窓』の現代版アレンジ『ディスタービア』を書いたカール・エルスワースなのでだけの面白さしかないわけではない。このへん『ヒッチャー』からのイタダキであると思われるが暴発寸前の荒れた生活を送っているシングルマザーとすでに暴発してしまった役名ズバリ「Man」のラッセル・クロウをコインの裏表として、あたかもシングルマザーの負の願望を叶えるかのように「Man」がシングルマザーのストレス元でもあるその関係者をぶっ殺していくあたり、ちょっとだけ知的な不条理劇の趣である。

言うまでもなく二人の関係性は単純にお互いが相手に前妻・前夫の姿を重ねたものであり、だからこそラッセル・クロウは結局謝罪を引き出す前にぶっ殺してしまった前妻の代わりにシングルマザーに執拗に謝罪を要求するし、シングルマザーは前夫への憎しみをぶつけるかのように謝罪要求を拒絶するのだ、という風にきわめて表面的に観ることもできる。つまり泥沼の離婚調停を殺人劇として描いた一種の寓話。例のアンガーマネジメントの人はその程度の読解力も残念ながら持ち合わせていなかったようだが、やってることはちょっと展開が詰まったらとりあえず誰かを轢き殺すかカークラッシュを入れるだけであったとしても、あえて言えばその単純さが逆に抽象的なドラマを可能にして、単なるゆかいな殺人映画に終わらない奥行を物語にもたらしていたように思う。結構重層的な映画なのだ。

ピックアップ・トラックVSステーション・ワゴンの対決っていう絵面もいいよね。アメリカVSアメリカって感じで。ラッセル・クロウはさすが暴行で逮捕歴がある人だけあって元気も狂気もいっぱいの暴力ドライバーが実に馴染んでいたし(馴染むなよ!)、サラリと流す程度ではあるが合法麻薬たるオピオイドの問題を取り入れたところは社会派のスパイスが効いている、町中華の定食のような安定感とサービス精神のカークラッシュはどこか『バニシング in 60』を彷彿とさせる匠の技で派手さはないが大満足、思わぬところでジャンピング目玉突きをかますシングルマザーの野獣系アクションには笑いながらサムズアップだ。

ラッセル・クロウに付きまとわれてるうちにどんどんシングルマザーがラッセル・クロウ化してくるんだよね。そういうところ、ちゃんと考えられてるんですよ。で最後はあおり運転やめましょうね、交通マナーは守りましょうの教訓もあって…いやぁ、よくできたおもしろいB級映画だったな~。あおり運転って、本当にコワイものですね!(水野晴朗の声で)

【ママー!これ買ってー!】


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内容的にはあまり関係がないがそのB級精神はよく似ていた気がする。B級ってダメな映画って意味じゃないですからね。安くて早くて美味しくてしかも栄養が…まぁ栄養はない場合が圧倒的に多いがとにかくコスパの高い映画がB級映画!

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