《推定睡眠時間:0分》
ドラえもんが扇風機にへばりついている。もちろん夏の暑さをしのぐためだが、この描写がなんだか新鮮に映ってしまったのは2026年現在の日本で昭和スタイルの扇風機が現役で稼働している場所を見た記憶がないためであった。もはやエアコンなど当たり前、エアコンがないご家庭でもおそらく昔ながらの扇風機ではなく冷風扇とかサーキュラーなんていうしゃらくさいシロモノを使っているのではないかと思えば、現在のドラえもんテレビシリーズの時代設定がどのへんなのかは観ていないのでわからないのだが、少なくともこの映画は昭和後期、つまりはオリジナル版の『海底鬼岩城』の公開された1983年あたりを想定しているらしい。
『サザエさん』とか『ちびまる子ちゃん』みたいな劇中時代の固定された(といっても最近はスマホとかも出てきているとかいないとか)長寿アニメと違ってざっくり現代という以上の明確な時代設定のない『ドラえもん』というシリーズであえて一昔前を舞台とすることは意味のないことではないだろう。つまりは映画ドラえもんの原点回帰の姿勢である。ということでこの『新・海底鬼岩城』だが新映画ドラえもんの旧作リメイクシリーズの中ではおそらくもっともオリジナルに忠実な作り、オリジナルは映画ドラえもんの中でも屈指の完成度を誇る名編であるだけにいったいリメイク版ではどんなアレンジを加えてくるんだろうと思ったら、プロットはまったく同じ、オープニングが深海探査艇による沈没船発見というのも同じ、描写の細部はさすがに違うとはいえ新キャラもほぼナシで、最近の映画ドラえもんでは旧映画ドラえもん時代のガミガミ系教育ママから子供に理解のある優しいママへとキャラ変していたママなんか旧映画ドラえもん時代のガミガミ系教育ママに戻っていたほどのオリジナル尊重っぷりである。
これにはちょっと戸惑ってしまう。いや、オリジナルは超おもしろいわけだからそれを忠実にリメイクしたこの映画も当然おもしろくはあるのだが、同じことをやるならリメイクする意味はないわけで、あいやいやそうは言っても『新魔界大冒険』くらい独自アレンジをされると「だったらリメイクじゃなくて完全新作でいいじゃん」とか文句を言う(人もいるし俺も言った気がする)ので難しいのだけれども、とはいえ、独自要素を入れないとそれはそれでそのまんまやんけ……とはやはり思うんである。
数少ないアレンジポイントは主に二つ。一つは映画ドラえもん史上の名キャラであるバギーちゃんとのび太のコミュニケーションが増え、そのことでバギーちゃんの心情変化が汲みやすくなったこと。『海底鬼岩城』前後の映画ドラえもんはお馴染みのメンバーの中からのびドラ以外の誰か一人にスポットライトを当ててキャラクターを掘り下げる試みを行っており、『大魔境』はジャイアン、『宇宙小戦争』はスネ夫、そして『海底鬼岩城』ではしずかちゃんだったので、のびドラ含めレギュラーメンバーの誰もがバギーちゃんに冷たく当たる中、しずかちゃんだけはバギーちゃんに理解を示すというシナリオになっていたのだが、今回のリメイク版ではそうした縛りは取っ払われていた。
もう一つのアレンジポイントは海底都市のムー連邦の描写がボリュームアップしたところだろう。『大魔境』もそうだがオリジナル版はバケーションが主軸になっており、あんなこといいなできたらいいな精神でもって「もし海の中でキャンプできたら?」をわくわくするアイデアいっぱいに映像化していたのだが、GoogleとYouTubeでなんでも見られるこのご時世にバケーションもあるめぇよということなのか、やっていることは基本的に同じでも海底バケーションの楽しさはオリジナルより薄く(海上に出て夕陽を眺めながらご飯を食べるというドリーミンなシーンは丸ごとカットされていた)、そのぶんムー連邦まわりの描写を増強してアドベンチャー性やアクション性を強めた、という感じである。
ほとんどオリジナルと同じ内容なのでその二点をどう捉えるかがそのまま作品評価にかかわってきそうなのだが、俺としてはぶっちゃけわざわざ変える意味のあるアレンジではなかったなみたいな感じというか、アレンジするならもっと強めにアレンジしないと単にオリジナルの面白さを希釈するだけになったりしない? とか思ったりしたのであった。ムー連邦まわりの描写が増強といっても新キャラと交流を深めるとかムー連邦の文化を深く知ってカルチャーショックとかそういう展開はとくにないわけだし、いやそれをやってしまうと『竜の騎士』とか『雲の王国』になってしまうのだが、結果的には背景の描き込みを深くしたぐらいのことで、他のシーンをちょっとずつ削ってまでそうする価値があるとはあまり思えない。
数少ないオリジナルから削られてしまった要素の一つは沈没船とアトランティスの関係性の説明なのだが、F先生の映画ドラえもん脚本の面白さはまるで関係のないように見えるものが鮮やかに繋がっていくところで、たとえば『竜の騎士』ならネッシーの都市伝説と地球空洞説がつながり、地球空洞説と恐竜絶滅の謎がつながり、そして恐竜絶滅の謎とネッシーの都市伝説がつながり……という感じで「なるほどそういうことだったのか!」の連続、ところがこのリメイク版だと沈没船の謎とアトランティスの繋がりがわかりにくくなってしまったので、「なるほどそういうことだったのか!」とちょっと薄まってしまっているのであった。
バギーちゃんがのび太ともコミュニケーションを取り、その心情がわかりやすくなったのも必ずしも良い点ではないかもしれない。というのも今でこそバギーちゃんの最後の行動など映画ドラえもん好きなら誰でも知っているわけだが、オリジナル公開時には当然知られていなかったわけで(原作の大長編を読んでいたりパンフレットのあらすじを読んで知っていた子供も多かったかもしれないが)、しずかちゃん以外とコミュニケーションを取らず、ひねくれ者でのび太たちとケンカをしてばかりのバギーちゃんは、旧映画ドラえもんのロボ声といえばこの人であった三ツ矢雄二の個性の強烈な演技も相まって、最後の行動に出たときに「あのバギーちゃんが!?」と思わせたわけである。
そうした意外性はバギーちゃんのコミュニケーション描写が増したことでいくらか薄まってしまったし、だいたいオリジナルに比べてこちらのバギーちゃんはそんなに性格が悪くはないので、最後の行動に出ても収まるところに収まったなという感じで、あまりドラマティックな盛り上がりは感じられない。とか言いつつ新バギーちゃんの激走を見ながら俺はガン泣きしていたわけだが、まぁほら泣くのとグッとくるのは同じようで微妙に違うんで。オリジナルのバギーちゃんはグッとくる、リメイクのバギーちゃんは泣ける、とそういうわけですよ。バギーちゃんとの思い出をしずかちゃんだけが抱えて……というのもグッとくるじゃないですか。なんかオトナな感じだし。
あとポセイドンはオリジナルの方が迫力あって怖かったな。あれはなんでだろうね。今のアニメ技術の方がポセイドン怖く演出できそうな気もするけど。実際部下のメカ兵たちはオリジナルより迫力あったし……と、まるで不満タラタラみたいな書きっぷりだが、いやべつにそういうことでもなく、すごいおもしろかったんですけど、ただオリジナルにかなり忠実なリメイクなのでどうしてもオリジナルと比べながら観てしまって。オリジナルの『海底鬼岩城』は実に絶妙なバランスで成り立っている映画だったんだなぁとか改めて思いましたね。名作のリメイクというのは難しい。