映画『宮本から君へ』感想文(TV版も原作も未見)

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《推定睡眠時間:0分》

テレビドラマ版を見てないので血だらけの宮本(池松壮亮)が幽鬼のようにどっかの公園に現れる場面から始まる思い切った構成に唸ってしまった。その直後のシーンで会社の人・古舘寛治に取引先を殴ってお前! みたいな怒られ方をしていたのでそうかぁテレビドラマ版の最終回で宮本は取引先の誰かと大喧嘩したのかぁ。知らないけどよほどのことがあったんだなぁ和解成立して云々とか言っていたぐらいだから。

と思ったら。これは物語の時系列的にはずっと後の方の場面らしく。明確に今描かれている出来事はココダヨーと教えてくれる編集にはなっていないので、むしろ現在と過去の境目を積極的にぶっ壊していく映画だったので、テレビドラマ版を見ていた人ならそれでもだいたいわかるのだろうが(いくつかの場面はテレビドラマ版のダイジェストだったんだろう)、原作も読んでないので完璧に宮本初対面の俺としては大いに混乱させられた。

とりあえず宮本の歯が折れてないのが過去の場面で歯が折れているのが現在の場面でということらしいが、最終的には差し歯を入れて見た目は歯を折る前の宮本に戻ってしまうので難儀な映画だ。
難儀な映画はこっちが勝手に考えて観るしかない。これはあれだろうたぶん、恐怖と怒りに震えながらヤンキー討伐に向かっているときの宮本の混乱した意識の流れとでも捉えればいいんだろう。あるいはすべてが終わって新たな物語が始まるときの宮本の頭の中、でもいいのだけれども。

こういう激情型の人間ドラマは苦手だ。叫ぶ! 泣く! 食う! ヤる! 殴る! 酒を飲んで笑う! ぐらいしかしない。ゲームでもすればいいのにとか警察行けばいいのにとか思ってしまうので向いてないんだと思う。縄文様式というか古事記的というかで、おおらかなあらぶる神々たちの血なまぐさいエピソードの濃縮現代版は度が過ぎて逆に笑ってしまう、というのは狙ったところなんでしょうきっと。笑って愛おしくなってしまうぐらいに無様に必死に全力で空回りしながら突き進む宮本、みたいな生き様の讃歌。テメェらも宮本みたいに生きてみろよのアジテーション。

出てくる全員とできれば関わらないで生きていたいし、なんならこういう価値観をすんなり受け入れられるような人ともあんまり関わらないで生きていたい軟弱人間なので、どうしても引いて観てしまうが(腹ボテの蒼井優が「こっちは二人分の命を抱えてんだ」と啖呵を切る場面とか本当苦手である)、それでも絶対に負けられないが絶対に勝てそうもない戦いに向かう宮本を見て何かがたぎってきてしまったし、端から見ればあまりにみみっちくて情けないラスボス戦にはラスボスが超こえーので心の中で(宮本がんばれ! 宮本たのむから勝ってくれ!)のエールが不可避。

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さすが監督が『ディストラクション・ベイビーズ』の真理子哲也、喧嘩の名匠。場所も内容も小学生の喧嘩の延長みたいな感じなのに燃えること燃えること。「指、折りますよ、宮本さん」バキィ! いてええええ! ちくしょおおおお! 気分的には『ブレードランナー』のラストバトルみたいである。ところで前からずっと思っていたがロイ・バッティがデッカードの指を折るときにこれはゾーラの分! これはプリスの分! と女レプリカントの名前では折ってくれるのに映画の最初に出てきた重要キャラにも関わらず男レプリカントのレオンの名前では折ってくれなかったのは本当に酷いと思う。その話は宮本には関係ないだろ。関係なかったですすいません。

そんなことはどうでもいい。とにかくここですねここ。喧嘩はやはり映画の華。指折ったり金的狙ったりとやっていることはショボイがどうやって撮ったんだみたいな地味におそろしい絵の連続。そんなショボいことのためにどれだけ本気なんだ。宮本はそこに命を賭けているが、宮本がやるならと監督以下スタッフも全力である。常に全力だと思うが全力の中の全力である。喧嘩の中でサブリミナル的にインサートされる何かなんて物語上は絶対にわざわざ入れる必要はないのに、それでも危険な橋を渡って入れてしまうぐらい全力なのだ。この監督は超めちゃくちゃ『ファイトクラブ』が大好きなんだろう。

あぁやだやだ野蛮な人たちばっかりで、の理性的童貞的スノッブ的スタンスもこんな喧嘩を出されると多少、ゆらぐ。ちょっと良いなと思ってしまう。警察とか近隣住民が存在しない世界なのでどんなに叫んでも血が出ても誰一人その暴力に彩られた濃密な人間関係には近づいてこない。その中で殴って殴られてヤってヤられて食って食われて、みたいに生きられたら楽しそうじゃないですか? 池松壮亮の迫力のない啖呵に笑いながらも普段は決してそんなことをしない情けない自分を重ねてみたりしてしまわないですか?

と思いつつ、暴力の快楽を過剰に発散しながらも一方でホモソーシャルな秘密結社の中で人為的に育まれた男性性にしがみつく男たちをシニカルに嗤う『ファイトクラブ』が図らずもイスラム国的な心性、ローンウルフ的な心性を先取りしていたように、本能的な暴力や性欲の解放というロマンティックな理念は時代に対する批判にはもはやならなくて、むしろ時代への順応となってしまうということを思えば、その衝動もどこか虚しくなってくる。

現実が野蛮な時にフィクションの野蛮は本当に不利。生々しければ生々しいほど逆にヴァーチャルな印象が強くなる。野蛮系映画作家には苦しい時代よね。この野蛮に単純にうおおおおおおってギン勃ちできるぐらい、現実の方が理性的になってほしいものです。なにそれ。

【ママー!これ買ってー!】


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それはそれとして『斬、』に続いてまた池松壮亮と蒼井優かよ! って思ったよね。関係性も似てるし。

↓原作


定本 宮本から君へ 1

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