快作お猿さんスラッシャー映画『おさるのベン』感想文

《推定睡眠時間:0分》

上野のパンダさんたちが故郷へ帰ってしまったことの埋め合わせのようにオランウータンのぬいぐるみを引きずり回すニホンザルの子供パンチくんが世間を賑わす昨今だがそんな中で満を持して公開されたこの映画『おさるのベン』は狂犬病に罹った家飼いチンパンジーのベンくんが無慈悲に飼い主たちを殺戮していく猿スラッシャー映画というわけでヒグマ騒動により「どうぶつは怖い!」と呑気な日本の人々が改めて認識させられたのが昨年であったからその点でも時宜に適った映画となってしまった。今観るべき映画をあえて一本選ぶとすれば『超かぐや姫!』ではなく『おさるのベン』だろう。もちろん興行的には比較にならない惨敗であることは知っている。

それにしても怖くて楽しいよい映画だった。『羊たちの沈黙』によりサイコホラーがブームになった1990年代以降、殺人鬼が人を順番に殺していくだけのスラッシャー映画という芸の無いジャンルはずっとホラー業界の片隅に追いやられ、『ハロウィン』のリブート版三部作や『テリファー』シリーズという例外を除けば映画館で新作スラッシャー映画を観る機会はほとんどなかったのだが、『おさるのベン』は久々に正統派のB級スラッシャー映画。開始3分で早くも狂犬病に発症したかわいそうなベンくんがもっとかわいそうな獣医さんの顔面の皮を引っぺがす豪快な殺人を繰り広げ、以降も頭髪をむんずと掴んで頭皮を引っこ抜く、力任せに顎を引き裂く、頭蓋骨を粉砕するなど、やたらと頭部破壊に集中した殺人に余念が無く、それ意外の要素、たとえば無駄なヒューマンドラマなどはやらない潔さで実にアッパレ、快作という言葉はこういう映画のためにあるのだと言いたくなる。

ベンといえば殺人ネズミ軍団の出てくる『ウィラード』の続編『ベン』(※マイケル・ジャクソンがテーマ曲を提供)だが、お猿が怖い映画というとリチャード・フランクリンの『リンク』やジョージ・A・ロメロの『モンキー・シャイン』。この2作は猿の知能の高さを怖さに変換して「動物なのに人間のように考えている……!」と観ている人に思わせたわけだが、『おさるのベン』の飼い猿ベンくんは『クジョー』のように狂犬病なのでその逆で「人間のように意思疎通ができると思ってたけどやっぱ動物だった……!」と思わせるのであった。この逆行によって内容的には単なるスラッシャー映画だがほのかなエレジーが漂っているのもよかったな。さっきまで手話のたぐいで会話をしていたと思ったのに今はもう殺意剥き出しの猛獣で、よく知っているはずの人(猿)が見知らぬ怪物に変貌してしまうその怖さ哀しさはゾンビ映画と通じるものがある。

これは一見すれば残酷な視点と見えるかもしれないが俺はどうぶつリスペクトだと思った。だってどうぶつって何考えてるかよくわかんないじゃないですか。どうぶつの考えてることや求めていることを自分は全部わかってるなんて人間の勝手な思い込みだし、どうぶつを自分に都合の良いペットとしてしか見られない人が陥りがちなことですけど、それって要はどうぶつ蔑視だよね。なんかふわふわふさふさしてる系のどうぶつなどを見ればついつい人は可愛いとか可哀相とか思ってしまいがちだが、可愛いとか可哀相とかというのはその対象を上から見下ろす時にしか生じない、言うならば保護者の感情なわけで、それが保護の必要な子供のどうぶつに向けられるならともかく、大人のどうぶつにも向けられるとしたら、その人は大人のどうぶつを大人として見ていないことになる。

大人のどうぶつというのは重い障害のあるどうぶつを除けば親の保護がなくても自分の力で生きていくことのできるどうぶつである。ということは人間の保護もまた必要ない。俺もワンちゃんやネコちゃんは大好きだがペットという概念はその点で人間のエゴであることは否定できないだろう。本来なら人間の保護の必要ないワンちゃんやネコちゃんを家の中に閉じ込めて飼育して、そしてそれをワンちゃんやネコちゃん自身が望んでいることなのだと思い込む人間の心理は、よく考えればなかなかグロテスクである。

『おさるのベン』に目を転じれば、ハワイの豪邸でベンを買う主人公の金持ち一家はベンは家族なんだと誇らしげに語るのだが、その一方で自分たちが寝るときはしっかりとベンを檻に入れて外に出ないように鍵を掛ける。本当に家族ならどうしてベンだけ例外扱いして檻に閉じ込めたりするのだろう。もちろんその理由は家族ではないからなのである。家族ではないし、そして心底から分かり合えているわけでもない。狂犬病によって凶悪殺人鬼と化し飼い主の人間どもを惨殺していくベンの姿が暴き出すのは動物愛護の名の下に隠蔽された人間とどうぶつの非対称な関係性なのだ。

だからこの映画はどうぶつ映画として立派だと思う。チンパンジーをいつ人間に牙を剥くかわからないどうぶつとして描くことは、チンパンジーを人間には把握しきれず管理もしきれない、人間とは別の思考や感覚を持った別種の生き物として尊重するということなのであるから。その意味ではチンパンジーの凶行から始まる『NOPE』と共通するもところがあるかもしれない。

と、くどくど言うような映画では本当はない。殺人チンパンジーの凶暴さに戦慄し、数々の頭部破壊や素足でガラス片を踏むなどのゴア描写にイテ~と悶絶し、殺される用のエサとして投入される男子学生の異常な鈍感さにツッコミを入れたりするだけの89分。スラッシャー派の俺としてはこういうものが観たかったんだよこういうものが! という一本であった。これはおいしい定食です。スラッシャー定食。

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