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『みんなのヴァカンス』という実にそのままな邦題の映画も撮っている現代バカンス映画の旗手ギヨーム・ブラックの新作が夏と言えばブラック映画という感じで2本も一挙公開である。しかも1本分の料金で2本立てのプログラム。ありがたいことだがこれは何も善意ではなく(善意もあるかもしれない)この『リンダとイリナ』と『また会えるよね』はどちらも短編、2本合わせて110分ぐらいなので、1プログラム80~140分ぐらいという2本の映画興行の商慣習に合わせる形で2本セット上映となったんだろう。なんであれ1本分の料金で2本観られるのだからありがたいことには変わりがないが。
で『リンダとイリナ』と『また会えるよね』はどちらも高校生が最終学年のカリキュラムを終えてから進学なり就職なりするまでの暇期間を捉えたドキュメンタリー、ぽい。ぽいというのはフランスの学校制度を知らないのでこれだけだと具体的に高校生のどういう時期を撮ったものなのかよくわからないから。海とか行ってるし暑そうだから夏っぽいけどその夏がどの夏なのか。日本だと4月入学で7月後半~8月いっぱいは学期間の夏休みだけどAIによるとフランスは9月入学なので夏休みが日本でいう春休みに相当するとかしないとか。たぶんだから卒業後の夏休み、ということなのだろうが詳しいことはフランスの学校に詳しい人に聞いて下さい。
さて夏休み。暇で楽しい夏休みだが今度の2本は今までのブラック映画のようにぐでーんと遊んでるだけの夏休みではないのでバカンス感は今までのブラック映画で一番薄かったんじゃないだろうか。それは単純にバカンスっぽいところにあんまり行かないというのもあるが、それ以上に「別れ」というのがテーマになっているからだった。ブラックのバカンス映画は、というよりもジャック・タチとかエリック・ロメールのような監督たちが作ってきたバカンス映画というジャンルは基本どれもそうなのだが、バカンスを出会いの場として規定する。ところがここに出てくる仲良し高校生たちは高校を卒業して9月からは進路が別々かもしれないし、同じだとしてもそこではまた新しい出会いがあるから、高校時代と同じ付き合いにはたぶんきっとならないかもしれない。
この2本は姉妹編のような内容なのだが、そうした別れのテーマがより強く出ているのは高校の親友コンビの心が夏休みを通して少しずつ離れて行くように見える『リンダとイリナ』。ドキュメンタリーといっても監督は編集で撮影素材をあれこれいじるので、高校の頃は親友だった2人が卒業後の夏休みで……というストーリーはある程度フィクショナルに受け止めた方がよく、たぶん実際には高校時代からいろんなズレとかすれ違いはあったんじゃないかな、みんなそんなもんだし、とか思うが、ともあれフランス真夏の陽光が照らし出す仲良し2人の静かな別れにはまったく切なくなる。
『また会えるよね』の方は表向きそうした別れは出てこない。なんかマルセル・モースとかフロイトとか言ってるし環境保護のデモに行ってる人とかもいるのでこれは人文学科(?)の生徒なのかな、この高校生たちはわりと全員パリピなので切なさ寂しさなど匂わせず基本ずっと楽しそうに遊んでる。けれどもその光景に被さる個々人の私的なモノローグはこいつらにしたってやっぱり内心では同級生たちと共有できないものを持っていて、高校という枠が失われたことでその個人性が仲間たちとの「別れ」を自然と作り出していくことを物語る。デモに参加した一人はそこで起こった警備側との衝突を権力に対する暴力は正当化されると語るが、別のデモ参加者はモノローグで暴力を目にしたショックで眠れなかったと打ち明ける。高校という同質的な空間では顕在化しなかった個々人の差異が、卒業後の夏休みという開放的なモラトリアムの中で浮き彫りになるわけだ。
やれやれ今回のブラックは切ないな。どうしたんだろうか。『また会えるよね』のエンドロールには「子供たちに」みたいなテロップが出ていたからブラックにも子供が出来てなにかこう、別れというものを前よりも意識させられるようになったのかもしれない。子供の成長なんて毎日が小さな別れだもんな。こないだ母親らしい人のSNSのポストを見てさ、その人は前までスパゲティをちゅるちゅるって呼んでた未就学児がある日「スパゲティ」と呼ぶようになってえーママはまだちゅるちゅるって言ってるよ~置いてかないで~みたいなこと書いてたのよ。これも一つの別れですよね。子供は毎日成長して毎日親の世界から離れていく。その切ない喜び。そういうものが今回のブラック映画新作2本にはあったような気がしますねぇ。