《推定睡眠時間:5分》
ここで映画の感想を書くときにはタイトルとかスタッフ・キャストを間違えないように映画サイトでデータを確認しているんですけどそれでこの映画のデータを見たらなんかこれベン・レオンバーグっていう監督が飼ってる犬のインディくんを本犬役で起用した映画だそうでいやそんなのお前んちのホームビデオじゃねーかと思うのだが実際最初の数分間はホラーとは関係ないインディくんのプライベート映像(飼い主とインディくんの絆を説明する場面なのだ)でいやそんなのお前んちのホームビデオじゃねぇか。微笑ましくていいですね!
そんな全編犬視点ホラーということで、いやまぁ厳密に言えばPOVではなくカメラポジションが犬位置ということだから犬視点というかカメラが犬に寄り添う映画(?)みたいな感じなのだが、俺も含めて観客の大多数が見たいのは可愛いワンちゃんだよな。可愛いですね~ワンちゃんは。やはりね健気ですから。ネコちゃんは自分のしたいことしかしない気ままさと奔放が可愛いですけどワンちゃんはなんか頑張って生きてる感が可愛いんだよな。健気なのでワンちゃんは飼い主が謎の悪霊に襲われたら助けようとしてくれる。なんか勝手に殺人鬼とワンちゃんが戦う映画だと思ってたんですけど悪霊だったよ。ワンちゃんが何もないところをジッと見てるとか何もないところに吠えてるとかそういう犬飼いあるあるから着想したんだろうなこれ。
ワンちゃんは可愛い。いろいろ頑張る。インディくんに百点満点。おやつあげちゃう。でも怖くはねぇな。最近読んだホラーの本に(と、このブログでは過去5回は書いた気がする)ホラーの観客はなぜ自分が直接怖い目に遭ってるわけでもないのに画面の中の出来事に恐怖を感じるのかということ(これは美学の分野ではホラーのパラドックスと呼ばれているという)の理論的考察が書かれていて、その説によれば観客は画面の中で怖い目に遭っているキャラクターの状況を「自分がこうだったら」と脳内でシミュレートして怖さを感じるらしい。この説ではたとえば呪いのビデオみたいな不気味な映像の怖さを説明できないという欠点はあるものの、たとえば頭の中で地上500メートルのビルとビルの間に一本だけ掛け渡された鉄骨を綱渡りしている自分を想像するとヒュ~ってなるので、これは多くのホラーに当てはまる有力な説ではないだろうか。
で、そう考えるとホラー映画で観客を怖がらせるための手段として重要なのは主人公を恐怖に晒すということではないかと思う。主人公が幽霊なり殺人鬼なりに襲われれば観客はその状況を自分に置き換えてこわ~いってなるわけだ。なるほど、『グッド・ボーイ』が怖くない理由がわかってきた。この映画、ワンちゃんが無事なのである。主人公インディくんは肺結核のような何かしらの病気の療養を求める飼い主と共に呪われた家に引っ越してくるのだが(病気を忘れるために心機一転して呪われた家に住むことにしたんだみたいなことを飼い主は妹に言うのだが完全に致命的な判断ミス過ぎる)、どうやらそれ以前からこの飼い主一族に憑いていた気配のある謎の悪霊……これは悪霊というよりは病魔のメタファーのように描かれるのだが……は飼い主しか襲わない。健気なインディくんは悪霊と死の運命から飼い主を守るために懸命に戦うものの、悪霊の眼中にはまるで入っていないんである。
なにせ愛犬だしたかだか人間ごときのために命を張ってくれるワンちゃんの健気さを見せたかったみたいなことだとは思うのだが、そうなると単に可愛いというだけで、前述のホラー理論に照らし合わせれば、これでは観客は怖さを感じることがあまりできないだろう。その怖さの欠如は退屈さにも通じているようで、上映時間73分とかなり短い映画なのだが、その短さにもかかわらず妙に間延びしているように感じられてしまった。演出というよりもたぶんシナリオ設計の問題だろうな。まず主人公のワンちゃんが悪霊に襲われないという問題(と言うなら)があり、それから一般的なホラー映画だと最初は小さな怪異が段々大きな怪異になっていくというエスカレーションがあるが、この映画には明確なエスカレーションがなく、小さな怪異が断片的にいくつか現れるだけという問題もある。
なぜホラーでエスカレーションが重要なのか。これもどうやら人間の脳に由来することではないかと思われ、1が2になり2が3になるというのを見せられると、人は「じゃあ次に4が来るな」と予想するわけである。ホラーの場合、1コワが2コワに、2コワが3コワにという風に出来事を連鎖させてエスカレーションしていけば、観客は「次は4コワが来る……!」と勝手に想像して、その想像によって怖がってくれるのだ。この映画の場合はそうしたところがなかったし、というか犬目線というコンセプトなのでプロット自体もなんだかふわっとしていて、いろいろ怖そうな出来事は起こるのだが、それが恐怖の連鎖反応を起こしてくれないのであった。
『サランドラ2』のように犬POVのパートが出てくるホラーもあるにはあるとはいえ全編犬視点のホラーというのは斬新だし、主演ワンちゃんも可愛くてよかったけど、コンセプトだけじゃなくてもう少し内容を煮詰めた方がよかったんじゃないだろうか。犬視点の映画が観たければ『ストレイ 犬が見た世界』という犬視点ドキュメンタリーもあるわけだし。
たしかに怖くない龍はそれか…と納得しました。ホラーの本はなんてタイトルですか?
ノエル・キャロルの『ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス』という本で、これは美学分野でのホラー研究の基礎文献だそうです。美学研究者によるある程度専門的な本とはいえ所々ジョークもあって面白いんですが、取っつきにくく感じられましたら同じく「なぜ人はフィクションのホラーに恐怖を感じるか」というテーマを扱った戸田山和久の『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』というNHK新書があるので、そっちから読んでみるのもいいかもしれません(この本ではキャロルの『ホラーの哲学』に批判的検討が加えられています)