映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の下品な悪口ネタバレ感想書く

そういえば『オデッセイ』っていう映画、あれ見逃しちゃったが、なんか火星に取り残された宇宙飛行士マット・デイモンが理性と科学の力を駆使してディスコサウンドを聴きながらポジティブにがんばるハナシだと聞いた。
『エヴェレスト 神々の山嶺』観てたらなんとなくそれが頭に浮かんだんで、名画座でやるときにはこの映画と二本立てでやって欲しい。観てない分にはなんとも言えないが、たぶん好対照を成す二本に違いないぞ!

ほんで、血気盛んな山岳カメラマンの岡田准一がカトマンズで偶然にも元天才登山家の阿部寛に遭遇した。あれこの人死んだんじゃないの、と思って色々調べてみたら、阿部寛は山のことしか考えられないとんでもない人だと発覚。
おもろいやんすげーやん、ってなワケで野人みたいになった阿部寛に共鳴してまった岡田准一は、彼の元恋人・尾野真千子を引き連れて、エヴェレストの難攻不落ルートをたった一人で攻略してやろうとしてる阿部寛に同行するのだった。
それが『エヴェレスト 神々の山嶺』とゆー映画。

えーと、すっごく悪口書くっていうか、以下悪口しか書かないと思うんで、イヤな人はここで引き返すよーに。
あとネタバレとかもはや一切気にしないので、それもイヤな人は引き返してください。どーぞ。

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いやしかし、コレはスゴイ映画なのだ。なにがスゴイって、なかなか一言では言えなかったりするが、たとえばこんなシーンがあった。
山岳バーで山岳雑誌の編集者・ピエール瀧と呑んでるカメラマン岡田准一。すると近くの席に登山同好会かなんかのリア充若者たちがやってくる。壁に貼られた登頂写真を見ながら「みんなすげーな天才だなー」「でもみんな死んでるよ」「マジかー。俺は無理だなー。死にたくないよー」とかなんとか楽しくお喋りする若者たちに、ピエール瀧が水を差す。
「お前ら言葉に気をつけろ」
いきなり見知らぬオッサンに絡まれて困惑する若者たち。「あの、俺たちなんか失礼なこと言いました?」。ピエール瀧は相手にしない。「いいから黙って呑んでろ」。さすがにイラっときた若者たちはピエール瀧に詰め寄るが、そんな彼らを岡田准一は一方的にブン殴るのだった。理不尽。

こんなのどう考えてもピエール瀧と岡田准一が悪いと思うが、この映画の視点は完全に二人の側についてるので、悪いのは軽薄にも山で死にたくない発言をしてしまった若者たちの方なのだった。
つまりアレか、山にヤラれた人たちの狂気を描いた映画なのか、といえばそうでもなく、スーパー身勝手な岡田准一と阿部寛がここでは山のロマンに生きるヒーローとして描かれてたりするが、はてそのロマンとはどんなもんじゃいなと言えば、要するにデカイもんを俺が征服する、それに尽きる。

神々の山嶺とサブタイトルにあるが、神呼ばわりしてるワリには少しもエヴェレストに対する畏敬の念がない。なんせ阿部寛はロクに準備もせず単身エヴェレストの最難関ルートに挑み、当然遭難するのだが、それを知った尾野真千子は叫ぶのだ。
「いったい何人殺すんです! 私たちがなにをしたんです!」
なにをしたって、お前らが勝手に登ったんだろ。逆にエヴェレストが何をしたんだと言いたい。
無思慮な人間に勝手に登られたうえ人殺し呼ばわりされるエヴェレストが不憫でならないが、そんな具合に、巨大な自然を征服しちゃおうとする俺たちってカッコイイよね、自然と闘おうとしないヤツは全員バカだよね、的な思想に貫かれてるのがこの映画であり、その上で山をナメ腐ってるので傲岸不遜と言うほかない。

そして愚かで傲慢な岡田准一と阿部寛の大自然への挑戦を阿部寛に捨てられたり別の女との間に子供を作られたり弟が殺されたり(実際はちょっと違うが)と散々な目に遭わされた尾野真千子は健気にも見守り応援すんのであるが、なんでそんなヒドイことされても阿部寛についてくのかとか微塵たりとも描かれない。
阿部寛がカトマンズで娶った現地妻(と子供)は、尾野真千子が阿部寛に会うためその家を訪れるとただ黙って外へと出て行く。もちろんその心情とか描かれないので(っていうかそこでしか出てこないしセリフすらない)、こんなコトされちゃあ女は黙って男についてくもんだ的なメッセージを観る側が受け取ってしまったとしても致し方ないトコである。

なんでもかんでもポリティカル・コレクトネスを徹底しろと喧しく言うのもどうかと思うが、こんだけ世の中がPCづいてる中で、女性活躍だ人種差別反対だなんだと言われる中で、未だにこんな女性描写・外国人描写の出来てる映画というのもそれはそれで貴重ではある。
貴重ではあるが、それ以上に作り手の傲慢を感じるトコでもあるのだった。

要するに、強烈に加齢臭の漂う映画なのだ。脂ぎったオヤジ臭の漂う映画なのだ、『エヴェレスト 神々の山嶺』は。それはもう清々しいくらいに。
途中、回想シーンで68年の新宿騒乱(たぶん)の記録フィルムが本筋とは無関係に挿入されるのだが、そのあたりも傲慢クソオヤジ感を助長する。
おい、俺たちは昔、巨大な権力と闘ったぜ。今に生きるオメェら若者はデケェもんに挑んでるか? …ナレーションで心の声が全部説明される(「俺は諦めない! やるぞ俺は!」とか)この映画にあって作り手の心の声だけは説明されなかったが、俺にはちゃんと聞こえたね!

そらまぁ全てを投げ打って巨大な何かに挑むというのは確かにヒロイズムではあると思いますよ。とゆーか、であったと思いますよ。
けれどもそのために犠牲になった者があるならその人たちにこそ目を向けるべきではないか、みたいのが今の世の趨勢じゃないかなぁ。
いや別に時代錯誤大いに結構なのだが、時代錯誤だろうがなんだろうが俺は俺のやり方を貫くとゆーのであればそれは確かにカッチョよく、また美しいのだが、時代錯誤であるコトを少しも認識しないまま昔のままの俺流を貫くのであればそれは単なるバカっちゅーもんである。そして迷惑っちゅーもんである。

身勝手で迷惑で無謀極まる登山家をヒーローとして賛美するだけでその狂気を少しも描けず、犠牲になった人々に少しも目を向けず、あまつさえエヴェレストを人間に征服されるべき存在としか描けていないこの映画にそのような視点(と知性)があるとは思えない。
困ったらとりあえず根性論。登山に関する具体的で細かな描写とかセリフは一切でてこず阿部寛が発するメッセージは「足がダメなら手で歩け! 手がダメなら目で歩け!」(と、遭難しちゃったので綺麗な字でメモに書く)。意味わからんが、ついつい阿部寛を追って遭難しちゃった岡田准一は大いに感動してその言葉を心に刻み、そして死のエヴェレストから生還するのだった。感動的なオーケストラ音楽をBGMに。
お前ら山をなんだと思ってるんだ。少なくとも映画の作り手よりは知性を持った(ということは大半の)常識的な観客を大層バカにしてるが、なにより山と登山家に対してこんな失礼な映画とゆーのもそんなに多くないだろう。

もう、満点花丸だこんなもん。満点花丸、純度100%の無知蒙昧傲慢オヤジ映画だ。昨日DVDでセガール映画観てたがセガールどころじゃない傲慢オヤジっぷりだ。人類最強の男セガールも神々のエヴェレストには敵わなかった。
こんなオヤジ、飲み屋でよく目にするな。昔泣かせた女自慢して、俺も昔は悪かった自慢して、今の若者は根性がねぇとうそぶく。世の中が女々しくなった、なんでもかんでも女が優遇されて自分は隅に追いやられた、そんな風に憤る。新入社員に仕事のダメ出しして、どこが悪いんですかと聞けば自分で考えろ根性なし! と怒鳴ることしかできない、そんなオヤジだ。そんなオヤジには、この映画がウケるに違いない…。

ちなみに監督は平山秀幸で、個人的には『学校の怪談』シリーズの監督だったりする。子供の頃よー観てたなあの映画。おもしろかった。
まぁオヤジをターゲットにしろと上から言われた結果が『エヴェレスト 神々の山嶺』なんだろなとは思いたいが。しかしそれにしてもこんなん撮るようじゃ老害と言われても文句言えないっての!

書いても書いても終わらなそうだから書かなかったが実際観て頂ければ想像を遥かに絶する古色蒼然っぷりにたぶん悶絶する。片岡千恵蔵の時代劇かと思うほどの大芝居(エキストラ含む)、どこまでもステロタイプのキャラクター、大仰すぎるサウンドトラック、吹雪のエフェクトをかければ雪山に見えるだろうという安直さ、エヴェレストをバックにイル・ディーヴォの歌う『歓喜の歌』が流れるエンドロール…。
時代錯誤とか関係なく岡田准一がボーっと突っ立ってたらストーリー上の大事な人物を見失ってしまう、みたいなシーンが頻発するくらいなので、心の声をボイスオーバーで全部喋らせる(しかも、心の声と同じコトを普通にセリフでも言ったりすんのだ。意味ないじゃん!)あたりも含めて脚本もあまりにアホである。
原作は夢枕獏というからソッチはもっと面白いのかもしんないが…まぁ、読んでないから文句は言えない。原作と映画両方見た人は是非感想を教えてください。

説教! 思い出! 中身のない根性論と薄っぺらい現代批判! オヤジとは、オヤジ性とはなにかの答えはここに全てある。
ともかく俺にはそんな風にしか見えなかった『エヴェレスト 神々の山嶺』なんであった…。

あぁそういえば、これ文化庁の助成を受けた映画だそうです。ふーん。

(文・さわだきんたま)

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とくに関係はないが雪山+学生運動+オヤジ魂の組み合わせから頭に浮かんだ。
いや比べるの失礼なんすけど…。

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匿名さん

55年の人生で最も鋭く的確な映画批評です。

シンヤヨシノリ

>原作と映画両方見た人は是非感想を教えてください。

もし、管理者さんがこの作品の原作をお読みなるおつもりならば、かなりのネタばれになってしまうのですが・・・・。

私は、この作品は、夢枕さんの小説をもとにした谷口ジロー作画の漫画版がり、後者しか読んだことがないのですが、実は、この物語はもうトンデモないお話なのです。

初め、映画化されるという情報を知ったとき、「そりゃ、絶対無理でしょ・・・・」としか思えなかったですね。

阿倍さんが演じた羽生という登山家には、実在の登山家(すでに故人:山で遭難死)がいるのですが、その人のイカレっぷりがスゴイのです。

その狂気ともいえる山への執念に、生きる目的を失っていた岡田さん風する深町カメラマンが、ジワジワとん感化されていくのです。

物語のなかでは、羽生丈二はまさに「修羅の男」として描かれています。管理者さんは、「ロクに準備もせずにエベレストに登った」とのご認識のようですが、原作では「エベレスト南西壁冬季無酸素単独登頂」は、「人類という“種”に可能なギリギリの行為」として描かれており、「超一流の登山家でも、それが可能なチャンスは、一生に一度か2度あるのみ。登山家がどんなに努力しようと、最後は神に愛されないと成功できない」ような行為であり、原作における羽生は、恋人の小野真知子を捨て、日本から行方をくらまし、ビザをごまかしてネパールでシェルとして働きながら、ひたすらエベレスト南西壁踏破を人生の目として一点にしぼり、一人っきりで、なんと8年もの歳月をかけて準備しているのです。そして「エベレスト南西壁について世界一熟知している人」という境地にまで達している。

しかし羽生は、その偉業(?)も、登山界にひけらかして再び名を売るなどという陳腐な目標などではなく、”自らの登山家人生のケジメ”として、盟友であるシェルパのアン・ツェリンと、たった2人で成し遂げ、誰にも知られぬままひっそりと身を引くつもりだったのです。

ネパールで偶然に羽生に出会い、ただらなぬものを感じた深町は、羽生にジワジワと食い下がり、半ば強引な取材を取材を続けるなかで、羽生がかたくなに語ろうとしなかったモロモロのいきさつを知るところとなります。

そして、ついに羽生にとって「そのためにこれまでの生涯はあった」とまでのエベレスト挑戦に無理やり同行することを嘆願し、「羽生がそこでなにをやろうとするのか」を、その目で見届けざるを得なくなってしまったのです。羽生が、見事登頂を成功しようと、絶壁から滑落して死亡しようと、「とにかく俺は羽生を観届けなければ・・・・」そんななってしまったのです。

ついに、二人はエベレスト南西壁をめざして出発するのですが、あくまでペアとしてではなく、「互いに単独行」という約束で出発しました。羽生が出した条件は、「どっちが死のうと一切関わらない」こと。

羽生と深町では、登山家として力量に雲泥の差があり、深町はたちまち体力の限界に達し、遭難死一歩手前の状況になってしまいます。

朦朧とする意識の中で、深町は「死」を覚悟しますが、そこに、なんとあの羽生が、深町を助けにあわられる。深町は絶句。羽生個人にとっても、エベレスト南西壁はできるか、できないかギリギリの挑戦だったはずなのに、深町の救助のためにあらわれた羽生は、深町をおんぶして暴風が荒れ狂う氷壁をのぼっていく。

「ここでこんなに体力をつかってしまって、この男(羽生)は明日行動できるのか?!」「やめてくれ羽生!おれはあんたに助けられる資格はないんだ!」「黙れ!」

・・・・羽生が、深町をここで助けた理由は、小野真知子の兄をかつて悲惨な遭難死においやってしまったことが、羽生の人生にわたる心の傷として残っていたのでした。

羽生に助けられたもの、深町はその夜、エベレスト南西壁途中に張った小さなテントのなかで、幻覚まみれの「死の一夜」を過ごします。このとき深町が、うかつに言ってしまった「一言」が、羽生の「山男としての狂気」に火をつけてしまうのでした。

羽生はエベレスㇳをなめてなんかいません。エベレストという山に「人格」さえ、認め、嵐の夜の中、エベレストと闘い続ける・・・・突如、テントを突き破って襲ってくる落石。落下点がほんの10cmズレていれば、爪先がつぶされていた・・・・。「深町、ここではどんなラッキーも期待するな・・・・」。

かろうじて一夜をあかした2人はエベレストの氷壁で別れをします。深町は生きるために山をくだる。羽生は頂上へ。

なんとか安全な場所までたどりついた深町は、カメラの望遠レンズで羽生の動向を追うモノのですが、エベレストの天気は急変し、羽生の姿は厚い雲のなかに消え、結局帰ってこなかったのでした。

深町はまもなく、帰国するのですが、その心は羽生にとりつかれてしまっていたのでした。「俺の中に巣くった救った羽生丈二という”獣”を飼いならすことができるのか?」「俺もエベレストにらなけば、俺の人生の旅は終わらない!」というわけで、元・羽生の彼女である小野真知子に付き添われ、単独・無酸でエベレスト再挑することになります。羽生の盟友アン・ツェリンの協力を得て・・・・。

深町は、ギリギリのところで登頂をはたすも天候の悪化で、遭難一歩手前となってしまいます。精神が錯乱し、深町が「死」の誘惑に負けたときに、突如、エベレストの上で、凍りついたままにになって羽生の亡骸に偶然出っくわすのです。そして、あの映画ラストの「テレパシー会話」となるのです。これによって気力をとりもどした深町は決死の静観を果たすことができた・・・・。

まあ、こういうお話でして、とにかく羽生丈二という山男の「修羅」っぷり、「キチガイ」っぷりが、こってりと描かれる必要なくしては、物語が成り立たないのですが、2時間という映画の尺のなかでは、到底不可能。描かねばならな部部分が、全部端折られていて、「肝」となる部分がまったくお粗末。というわけで、映画として最低のものになってしまったでした。

以上、長文失礼いたしました。

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