真面目にまじめ映画感想文『ビーチ・バム まじめに不真面目』

《推定睡眠時間:0分》

なぜ邦題がかいけつゾロリのキャッチコピーをパクっているのかはわからないがこの主人公のビーチ・バムことムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)がゾロリよりもまじめに不真面目していないことは酒とマリファナの力を借りないと不真面目になれないことから明白であり、単に不真面目に不真面目なのだが、まじめに不真面目することさえできないビート詩人気取りの西海岸ヒッピーくずれの悲哀ときたらない。

なぜこんな映画を撮ったのだろうと一見して思った。監督のハーモニー・コリンといえば大人の抑圧を食らったガキどもの反逆的自傷行為に虐待行為や痛々しく逃避的な快楽主義を映画にしがちな人という印象だったので確かに『ビーチ・バム』にも一種の自虐行為や快楽主義はあるがその主体はええ歳こいた金に超余裕のあるオッサンども、ブレないといえばブレないが行為としては同じでもその主体がガキからオッサンに変わってしまったら意味するところは反転してしまうのではないだろうか。とくにハーモニー・コリンみたいに大人とガキの対立を主題にしてきた人の場合は。

でも映画館の帰りの電車で映画を反芻してたらなんかピカーンときましたね。そうかそうかこれはきっと不真面目の虚勢で頭からケツの穴まで塗り固めてしまって抜け出せなくなったヒッピーくずれおっさんの痛みを描いた映画だったんだろう。いったいこのヒッピーくずれおっさんとはなんであろうか。「元天才詩人」と公式のあらすじなどを読むと書いてあるし地元の人はみんなこの人を知ってるのでそれっぽいが、あの頃はよかった的な感じでこのヒッピーくずれおっさんことムーンドッグが一人繰り返しビデオで観るのはいかにも退屈そうな顔をしたまばらな客の前で詩を朗読するかつての自分の姿である。

天才がいつでも世の中に理解されるとは限らないがそれにしてもこれが天才詩人の栄光の日々とは到底思えないし、あの頃はよかった感に浸るのならもう少しマシな映像の一つや二つありそうなものである。でもムーンドッグは実に楽しそうにこれを観るのだな。それはたぶん全盛期の映像がこれしか無かったからで、要するにこの人に全盛期などそもそも来ていなかったのです。

人間わからんもんでこんなしょうもない感じの人でも西海岸大金持ちウーマンに惚れられまして大豪邸で暮らしているうちに地元の名士のようになってしまった(と仮定しよう)。でも本当は名士たるに十分な功績も才能もなにもない。そんなことは本人が一番分かっているから苦しいが、一番というか、本人以外は誰もわかってないようなので、酒を飲んでマリファナをやって女を買っては詩と称して何のひねりもない下ネタを酔客の前でひねる日々。どうせ詩なんかわかんないバカな酔客だから何を言っても「ヨッ! 天才ムーンドッグ!」と拍手喝采。

ヨッ! じゃないんだよ。お前は才能がないと誰かわかったやつが一言真顔で言ってくれたらどれだけ楽になれるだろう。まぁ言われたところで受け入れられずにぶん殴ってしまうかもしれないが…とムーンドッグが思っていたかどうかは定かではないが、彼が行く先々で出会うのは他人に甘い代わりに自分にはその10倍超甘い犯罪人間ばかりなので、車椅子のジジィを暗がりでぶん殴って金をもぎ取るなどのゲスい犯罪行為の片棒を担いだり、心中的飲酒運転で同乗していた家族を殺し衝突した向こうのドライバーにもおそらくは重傷を負わせたりしても、彼が咎められることはついぞない。

俺はこの映画は優しさの残酷さについての映画だったと思う。なにも精神的に追い込めば才能が爆発するものでもないとしても、自分の存在を空気のように受け入れてくれる人間相手の創作活動なんてあまりに張り合いがないし、これは駄作でこれは傑作という無情で客観的な評価に対してそれとは食い違う己の主観を創作物の形で投げ返すのが創作活動っていう面はあるじゃないですか。でもそういう環境がムーンドッグの周りにはなくて、小説書けば戻してやるの条件付きで彼を豪邸から追い出した金持ち妻はおそらくそれを期待していたが、彼はそこから逃げてしまった。で、その逃げを誰もが肯定するわけです。ヨッ! 天才!

映画のまとうゆる~いムードは観客の目にもムーンドッグの葛藤を隠してしまう。こんなものを見てなにやら愛の溢れるハッピーな映画だと受け取った人は残酷である。泣いてスッキリしたいからお涙ちょうだいの難病映画を求めるぐらい残酷であるが、残酷な人は得てして自分がなぜ残酷なのか理解できないくらい残酷が肌に染みついているので、それを残酷だと非難する俺の方が残酷異常者に見えてしまうという倒錯した世の中もまったく残酷。

この「愛」に溢れたゆる~い空間を守るためにムーンドッグはニュースを見ないしスマホも持たない、衝突事故を起こしても相手の顔を見ることだってしやしない。しないというかできないのである。現実世界にべったりと張り付いた残酷を一目見てしまったら、もうペラッペラの「愛」を支える根拠など微塵たりともなくなってしまうに違いない。だからムーンドッグは全盛期のビデオだけを見る。買った女をはべらせて酒をやりマリファナをやって何事にも物怖じしないオスを気取る。言うまでもなくそれは不安と孤独と絶望の裏返しでしかないのだ。

で、その逃避を映画は逃避としては提示しないのである。ノリノリの音楽を流し続けバカなギャグを垂れ続け最後はドカンと花火でも打ってイエーってなもんです。これが詩人の幸せな人生さってそんなわけないよな。「金があるっていいよな! 誰でもペコペコ頭を下げる!」みたいなムーンドッグとその友人の会話は、映画全体を覆う強烈なアイロニーの皮膜をチラっとだけめくってくれるように思う。そのような救助信号的ヒントもしかし、映画に愛と感動と幸せを求める残酷な観客たちによって、入水自殺のパロディのように(ムーンドッグの自殺衝動は見逃すべきではないこの映画の最重要ポイントである)一人でナイトプールに沈んだり、トイレで一人涙を流すムーンドッグの痛みに劇中の優しい人々が誰も気付かないように、あるいはムーンドッグ自身が現実の悲惨さを直視しないように、存在しなかったことにされてしまうのであった。

毒ですねこりゃ。残酷で偽善的な観客にツバを吐く毒映画。毒々しくて最高でした。

※あとマーティン・ローレンスのバカっぷりも最高。

【ママー!これ買ってー!】


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なる前にと言いつつ既に酔いどれ詩人になってる映画ですが。

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