邦画も頑張ればSFできる映画『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』感想文

《推定睡眠時間:0分》

たぶんこれが映画が始まって最初の台詞だと思うが主人公の山﨑賢人が「僕が生まれたのは三億円事件の犯人が捕まった年で」とか言う。それから本物のニュースフィルムと偽ニュースフィルムを織り交ぜて瞬間移動技術が発明されオウム真理教がテロを起こさず阪神大震災は現実と同じように起きてしまったもう一つの昭和平成史がダイジェストで綴られるのだが、なにこれグッとくる。

この「現実の日本とはよく似ているけれども三億円事件後に枝分かれした現実とは別のパラレル日本なんですよ」感、しっかりSF映画してるな~って思うよね。だってコールドスリープとか瞬間移動とか現代日本を舞台にして普通に出されてもそんなの嘘じゃん今の日本の技術力じゃ無理じゃん(そういう問題か?)とかなって白けるじゃないですか。だからそれをちゃんと違和感なく成立させるためのお膳立てとしてこの映画は冒頭でもう一つの日本現代史を見せるんです。

それがまた巧いのは現代といっても物語の始まりは1995年ということでifの日本の過去が物語の一つの舞台。もう一つの舞台はその30年後ということで2025年…という、2021年の現在から見てifの日本のちょっと昔とちょっとだけ未来で物語が展開するわけで、歴史のif化だけではなく時代のズラしでも設定的なツッコミどころを回避しつつ、同時に完全に別世界の話ではないってことで嘘なんだけれどもここで描かれるのは嘘日本なんだけれどもこんな昔があったような気がするノスタルジーを喚起しながら、あるかもしれない未来を垣間見せたりして現実の現在の日本とちゃんと地続きの世界を作ってるわけです。

ちょっとだけ感動してしまったかもしれん。同週公開なのでケン・リュウ原作の前評判の高かった和製実写SF映画『Arc アーク』をこの映画の前に観たのだが、その悪口は既にこないだ感想文でゲロ吐き出しているので繰り返さないとして、『Arc アーク』はSF設定をどう違和感なく見せるか、ファンタジーや寓話ではなくてあくまでSFとしてどう説得力のある形で見せるか、ということには無頓着な映画だったわけです。

それはそれで面白いけれども『夏への扉』の方はアプローチとしてはわりと逆で、コールドスリープや瞬間移動装置を出すならそれを所与のものとして「こういう映画ですけど?」とか開き直ったりしないで、どうやったら日本映画でSFが成立させられるかということをかなり真剣に検討してシナリオを組んでいるように見える。原作はなぜか日本でのみSFオールタイムベストの常連になっているハインラインの有名作というわけでその邦画実写映画化と聞けばメガンテを超えて『AKIRA』の冒頭ぐらいの大爆死完成度しか想像しようがないのですが、や、これは予想は大幅に反して実に堂々たる見事な実写映画化であったよ。サブタイトルがキラキラ映画風だからと完全にバカにしててすいませんでした。

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原作の方はオールタイムベストならと思って『虎よ!虎よ!』とかと一緒に教科書的に読んではいるはずだが内容ほとんど覚えてない。『虎よ!虎よ!』は強烈に脳に焼き付いているので『夏への扉』はたぶんそれと比べれば時間SFの超王道すぎて脳がスルーしてしまったんではないかと思う。王道ものは完成度が高ければ高いほど読んでいる間は没頭できるが思考の引っかかりがないので読んだ後はわりと忘れがちという悲しい宿命。果たしてそんなに王道だったのかどうかも忘れているから判断しようがないわけですが。

その意味ではこの実写映画版『夏への扉』も似たところがあり、ウェルメイドな映画なので観ている間は巧いなーと感心しきりだったものの鑑賞後数日、早くも冒頭の日本偽史ダイジェストや田口トモロヲのマッドサイエンティストなどなどの印象的な部分を除いて忘却の霧が出てきている。人物設定なんかの部分はかなり変えていそうだがコアアイディアは原作準拠だろうからストーリーはもちろんとても面白い。スピーディな展開もユーモラスな演出も透明感のある映像もさすがキラキラ系青春映画の職人監督・三木孝浩というわけでこの人はキラキラSFの佳作『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を監督した人でもあるが、浜野謙太が文字通りの意味でスベっていたようにギャグは全体的にスベっていた気はするもののそれ以外は全部面白い感じである。

山﨑賢人の気弱な若科学者っぷりもハマってましたしね。1995年を懐かしんで2025年に聴くミスチルとかめっちゃよいですよ。情感の点では原作超えてたんじゃないかねこれは。なんとしてもあの頃に戻らなければならないっていう理屈じゃない必然性があのミスチルでブワァッと立ち上がるんだよな。俺ミスチルなんてとくに好きでもないのにそこ完全にヤラれたもん。映画の内容はそのうち忘れるかもしれないがミスチル聴いて過去に戻る映画というかなりねじ曲がった形であの曲の記憶だけは残るかもしれない。

SF映画難しいなと思うのがさ、『Arc アーク』と比べていかに『夏への扉』がよくできているかみたいなことをさっき書きましたけど、どっちが記憶に残るって言ったら原作のアダプテーションには納得感がゼロだがスタイリッシュで変な映像を色々作ってる『Arc アーク』の方なんですよね。で、いけすかねぇけど映像とかキャラクターとか音楽とかはカッコイイなぁって思うのも『Arc アーク』の方で、『夏への扉』はアダプテーションは見事だけれどもキャラクターもSF描写もド定番で固めてきているから原作の古さを考慮しても「古いな~」って所々感じたりするし、山﨑賢人のお供アンドロイドとかも笑えるっていうよりは失笑って感じで、要はだせぇ。

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それで二作観て思ったのは、日本のSF映画ってたぶんSFの一つの醍醐味であるはずの現実の現在のそれとは異なる価値観とか倫理観とか、そういうのを提示することってできないんです。『Arc アーク』の原作は一種のポストヒューマンものなので今の世界の人間が持つものとは異なる世界観が下地にあるんですけど、映画版ではこれが骨抜きにされてしまったので観る者の思考を揺さぶるところがない。『夏への扉』は『Arc アーク』より遙かに原作の核を(たぶん)捉えてますけど、それは原作の核に別に思考を揺さぶるところがないからで、そういう安全な映画なら面白く作ることが出来る。

実際『夏への扉』は原作者のハインラインがそもそも保守っていうか右翼だからというのもあってか非常に保守的な映画で、記号的とも言えるわけですが、化粧の濃い女=間違いなく悪女、会社の偉い人=どう考えても悪い奴、太った女=動く生ゴミ、清純女子高生=絶対正義、オタク青年=可哀想な被害者、ファナティックなオタク中年=誰にも評価されないが本当は世界の歪みを正せるスーパー能力を持った人…とこんな風に登場人物それぞれの中核要素を抜き出していくとなんだか異世界転生もののような臭さですが、この臭さがストーリーの面白さや痛快さを担保しているところもあるわけで、センス・オブ・ワンダーというか、観ていて驚くところがなくて、ずっとぬるい安心感に包まれている感覚がある(それはストーリーの構成も関係している)。

90年代ぐらいまでの日本のSF映画はまだ観客を驚かせて難しいことを問いかけるようなところってあったと思ってて、『パラサイト・イヴ』はヒトという種の在り方についての話だったと言えるし、『リング』はビデオテープが機械的に媒介する無臭の呪いを見せた抽象的な映画だったし、『回路』は幽霊と生きた人間の境界を消失させる生の不確かさを描いたSFホラーだったしで、そりゃまぁ『回路』の黒沢清が最近撮った『散歩する侵略者』はかなりチャレンジングな邦画SFだったと思いますけど、でもあれがそういうものとして観客に受け止められたかというと、なんかそんなヒットしたわけでもないみたいですし違うんじゃないかなぁと思っていてですね。

なんかだから、『夏への扉』面白かったんですけど邦画SFの限界を感じるようなちょっと切ない映画でもあったわけです。最近のSF映画だと『JUNK HEAD』はちゃんと異なる世界観とか倫理観とかを描いてて素晴らしかったですけどあれは元々個人映画ですし、邦画メジャーでSF映画をやろうとしたらたぶん『夏への扉』ぐらいが限界で、その枠の中で完成されてるからすごい映画ですけど、なんとなく素直に喜べないところもあるんだよっていう…そんな感じなんですよ。かなり面白いけどね!

【ママー!これ買ってー!】


藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (1)

三木孝浩のフィルモグラフィーを見ると商業デビューが藤子SF短編の実写化作品らしく、なら頑張って『ミノタウルスの皿』とか『ノスタル爺』とか『流血鬼』とかのF先生の読者揺さぶり系SFをなんとかそのうち映像化してくれないかなぁとか無茶なお願いを心の中でしてしまう。

↓原作


夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF)

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