超惜しい系映画『九月の恋と出会うまで』感想(途中からネタバレあり)

《推定睡眠時間:15分》

これは久々にシナリオの面白さで見せるメジャー恋愛映画だなぁと唸ってしまった。
手入れの行き届いた植物でいっぱいの素晴らしい中庭がついてくる上にオーナーがミッキー・カーチスという理想コミュニティ・アパートに役なし旅行代理店勤務者の給与水準をだいぶ無視して引っ越してきた志織(川口春奈)は、引っ越し早々エアコンの空気口から“一年後の未来からの声”を聞いてしまう。

はぁ? ってなる志織だったがその声の語る未来予想は確かに的中しまくる。どういう原理かどういう理由かなにがなんだかまったく皆目わからないが、確かに未来から誰かが語りかけているようだ。
その声の主は自分は平野だと名乗る。平野…といえば同じアパートの別棟に住んでいる挨拶もしない朴訥で失礼で身なりの汚い隣人。声の主はその平野(高橋一生)を尾行するよう志織に告げる。理由なんか聞いてくれるな。とにかく尾行が必要なんだ!

人が良いのか何も考えていないのかあるいは単に暇だったのか、ともかく志織は平野の尾行を開始する。
尾行しているうちにちょっとずつ平野の人柄に惹かれていき、同時にそこらへんで拾った岩塊で突然トンネルの壁を殴りつけたりする平野の奇行っぷりに怯えたりする志織(当然である)。
志織の家に空き巣が入ったのはそんな中でのことだった。一体これは…問い正そうにもその日から未来の平野との交信は途絶えてしまうのだった。

以上開始20分ぐらいの展開ですが、いやぁおもしろいっすねぇ。謎また謎、伏線らしきものに次ぐ伏線らしきものの連続だ。
『億男』に続いてまたしてもコミュ障が爆発な高橋一生の挙動というか存在不審感も相まってミステリアスな展開に引っ張られる引っ張られる。
川口春奈のふんわり感も物語をテンポ良く転がすのにたいへんグッジョブ。高橋一生の陰性と川口春奈の陽性を両輪として、映画はどこかジュブナイル的なユーモア・ミステリーの空気を纏いつつコロコロ進んでいくのだった。

さて空き巣に入られてからというもの志織と平野は(尾行していたこともあって)急速に距離を縮めていく。
というのも平野は小説家志望。専門かどうかは知らないが今はSFを書いていて、その題材がタイムリープ。
私未来からの声を聞いちゃったんですけど的な志織のノーガード告白に平野はめっちゃ食いついてしまうのだった。

果たして未来からの声とはなんだったのか。二人が一緒に考えていると、ピンポーン、空き巣事件を担当した刑事が来訪。実は犯人捕まりました。逃走中の殺人犯でした、あなた、事件当時家にいなくてよかったですね。いたら殺されていたかもしれません…。

以下ネタバレ入ってきますよーはい注意してくださーい。

どうやら未来の平野の狙いは犯行時刻に志織を家にいないようにすることだったらしい。強盗による志織の死を知る未来の平野はその忌まわしい過去を変えようとしたのだ。
うわぁなんか知らないけど超ラッキー。ありがとう未来の平野を名乗る誰か。あんまり物事を深く考えないので素直に喜ぶ志織に、この不思議な出来事を解明すべくわざわざ有休を取って志織向けプレゼン資料まで作っていた平野は待ったを掛ける。

これは祖父殺しのパラドックスだ…未来の平野を名乗る何者かは志織の死を知っていたからその死を止めようとした…なら、その介入によって志織が死を回避したら? 介入する必要もなくなる…おそらくそれで事件以降、未来の平野との交信は途絶えた…。
だとすると…志織さんあなた死にますよ! 未来の平野の介入がない過去のあなたが再び死ぬことになる! そして過去のあなたが死ぬということは…現在のあなたの存在が消えてなくなってしまうということなんだぁぁぁ!

とここから話は未来の平野の正体探しと志織の存在抹消回避に進んでいって超面白くなるはずだったのだがカメラはそんなことなどもはや関心がなく志織と平野の恋愛模様ばかりを追っていく。

最終的に明かされる未来の平野の正体それは! やっぱ平野であった。未来の平野探しをしている間に未来の平野疑惑が濃厚な昔の恋人の乱入とか志織の転勤とかがあって離ればなれになった二人だったがこうして運命の恋人的に再会、未来の平野が平野の名を騙ってるだけの別人説の根拠となった現在の平野と声が違う点やそもそもなんでタイムスリップが志織の住んでる部屋で起ってしまったのか等々の謎を残しながらもまぁ二人が結ばれたからいいっしょ的に感動のエンドロールに突入するんであった。

…俺だったら云々ほど耳を貸す価値のない感想はないとは思っているが俺だったら未来の平野の正体は志織にするよ絶対。
「あなたは色々と無防備すぎます!」と平野が言うように最初は自分ではなんもできなくて平野に助けてもらってばかりいた志織が彼と関わる中で徐々に自立していってですね、それで最終的に過去の自分を救ったのは一年後の未来の自分だってことに気付くっていうか、自分で自分を救う強さを得るんです。
なんで未来の志織が過去の自分に平野を騙ったかって自立していく過程で彼女は平野と別れてしまって、けれどもまだ未練はあって…それで平野騙って過去の自分に過去の平野を尾行させるわけですよ!

平野との出会いで色々大事なものをもらったことを未来の志織は知っているわけだから過去の自分に平野と出会って欲しいんですよ! 今日の平野はこんなことしてましたっていう過去の自分の報告を聞いてその声色に芽生えたばかりの恋心を感じ取った未来の志織はおいおい泣くんですよ!!
『九月の恋と出会うまで』っていうタイトルはですね、平野との恋の終わった未来の志織が彼に恋をしていた一年前の九月の自分と出会うっていう意味なんですよ!!! 俺バージョンの『九月の恋と出会うまで』はそうでしかあり得ないんですよ!!!! だってそっちの方が絶対劇的で絶対泣けるもん!!!!!

…そんなことはいいんだ。それはどうでもいいのですがでもねー、もったいなかったよなー。細部に多少の粗さはあっても途中までは面白い時間SFだったのになー、二人はこうして結ばれましたで何の捻りもなく終わっちゃうんだもんなー。
未来の平野を現在の自分と区別するために平野はこいつをシラノって呼ぶ。『シラノ・ド・ベルジュラック』ですよね。だから才能はあるんだけれど風貌は冴えなくて…ていうんだったらやっぱ最後はこんな安易なハッピーエンドじゃない方が良かったと思うんですよ。じゃないとシラノを持ち出した意味がないもの。

原作ものとはいえ、ある意味でこういう全年齢向けの恋愛ものメジャー邦画のシナリオ作りというのは成人映画に近いものがあるのかもしれない。
成人映画における性交がこの手の恋愛映画の恋愛の成就で、最終的にネームバリューのある主演の男女がカップルになってキスのひとつでもすればそこに至るまでの展開はある程度なんでもいい的な。
成人映画を見ていて一番つまらないシーンは一回ぐらいは抜くとしても結局性交なわけで、その意味で『九月の恋と出会うまで』はクライマックスが一番つまらない映画なのだった。

あとエンドロールでは高橋一生と川口春奈の主演二人に続いて『雪の華』での微妙に空回った演技も記憶に新しい在日ファンクの浜野謙太がクレジットされていたのですが、びっくりするほど空気。完全に空気。せっかく音楽家のキャラ設定で少しだけ本業に近いのに全然出てこないしストーリーにも絡まないじゃないですか…。

タイトルバックはコミュニティ・アパートの中庭に集って楽しくおしゃべりしながら音楽を奏でたりしているハマケンら住民たち、の図。なのだったがハマケンはおろかこのコミュニティ・アパートというのも以後あまりスポットが当てられず、その舞台設定なんだったんだみたいな感じになる。
なんかこう、色々とせっかく作ったものを生かさない映画だったなぁ。ハマケンとミッキー・カーチス呼んだんだからセッションとかやってもらえば良かったのにね。そういう問題じゃねぇよ。

【ママー!これ買ってー!】


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↓原作


九月の恋と出会うまで (双葉文庫)

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