無駄に絢爛映画『LORO(ローロ) 欲望のイタリア』感想文

《推定睡眠時間:15分》

結構寝たわりには観ている時間が長かった気がしたが劇場を出て腕時計を見ると想定していた上映終了時刻より1時間近くも遅い。何があったのかと思ってすぐにスマホでタイトルを検索するとランタイム204分と出る。俺そんな観てたの!?

しかしこれはオリジナル二部作のランタイム、今上映されているのは二部作を一本にまとめたインターナショナル編集版153分らしいのでややこしい。いや別にややこしくないのだがややこしくなったのは俺が寝ていたからだが、いやはやなんというか、狐につままれたような幻惑的な映画体験だった。

実際、幻惑的な映画である。端的に言ってよくわからん。悪名高いイタリア元首相ベルルスコーニの伝記映画と思っていたが、それは別に間違いではないのだがオリジナル二部作ではベルルスコーニがメインなのは第二部の方、第一部ではドラッグとセックスでベルルスコーニに取り入ろうとする女衒的な青年虚業家の絢爛たる空虚の日々が描かれるらしいので、この153分版でもそこからお話が始まる。

物語のアウトラインは(たぶん)同じままオリジナルから50分も削ってる上にダブル主人公体制なので頭の中の人物相関図とかストーリーの流れはもう初めからぐっちゃぐちゃである。かつ、ベルルスコーニ自身が腹の読めない食えない人間。かつ、「(フェリーニの)『甘い生活』みたいだな」の台詞が示すように後期フェリーニオマージュ系。

煌びやかで退廃的な都市の諸相は『甘い生活』、エロい女を大量投入した幻想ミュージカルは『女の都』、虚実入り乱れるあたりは『8 1/2』みたいだったのでよほど好きな人が作ったんだろう、フェリーニも女も。冒頭からしてエロい女のご開マンで下半身のロビー活動という素晴らしく品のない男のファンタジーであった。

その女が腰にベルルスコーニのタトゥーを入れていたことから女とコカイン吸入セックスをしていた虚業家はベルルスコーニ接近を思い勃ち…とこのへんはフェリーニっていうかそのビンビン加減とバカ加減からいって『スカーフェイス』みたいだったが、フェリーニとスカーフェイス。こんな混ぜても混ざらないものを無理に圧縮編集しているわけだからそれは狐につままれるのも道理である。

オープニングはベルルスコーニの保有するテレビ局でやってる大人の『おかあさんといっしょ』みたいな謎クイズ番組を見ていたヤギがエアコンの自動温度調整で死ぬ場面ってなんなんだそれは! シュール過ぎると思うがアニマトロニクスと本物をわざわざ切り替えて撮ってる風のヤギの名演とクイズ番組のお姐さんのあやしい動きが目に焼き付いてしまったので、諸々わからないがわからないなりに見てしまう、魅せられてしまうのだった。

それにしても何かを持っている映画である。というのも女衒的青年虚業家が金とドラッグで釣ってきたベルルスコーニ供与用ウーマンズをプール付き別荘に開放して開いた大乱痴気パーティの場面ではキラキラ輝く大量のMDMAが空からプールに降り注ぎドラッグ博士がどこからともなく現れ「説明しよう! MDMAとは…」とMDMA講釈を始めてしまうのだ。これ書いてるの2019年11月19日。時間が経ってから読んだ人はあまりピンとこないと思うが、今現在とても持っている感じなのである。

その降り注ぐMDMAはネズミを避けようとして横転したナポリのゴミ収集車の破裂したタンクから噴き出したゴミからディゾルブされるので皮肉が効いている。今どうか知りませんが映画の時代設定は下野したベルルスコーニが首相の座を虎視眈々と狙っていた2008年から同年首相に返り咲いてからの2年間ということで、マフィアまで絡んできてしまったナポリのゴミ未回収問題が世間の耳目を集めていた時期。

虚業ばっかしてないで少しは人のためになる労働をしろよとかよく父親か誰かから説教される青年虚業家だったが、これは青年虚業家と同じように父親のコネと汚れた金をフル活用して不動産&メディア王の座に君臨、電撃参入した政界で一気にトップに登り詰めた(※ウィキ見て書いてます)というどこかで聞いたような経歴を持つベルルスコーニに対して言われた言葉でもあるんだろう。

お前は人里離れた大邸宅で優雅に女遊びとか政治ゲームに興じているが、その足元でどれだけの金のない貧乏人が苦しんでいるか知っているのか、というわけでこのへんから青年虚業家の物語とベルルスコーニの物語は一つになっていく。というか、この公職ないや好色な青年虚業家はヤングメン時代のベルルスコーニの分身なんである。

表面的には首相返り咲きに向けてビンビンなベルルスコーニも長年連れ添った妻に愛想を尽かされ心奥ではすっかり歳相応に萎れていた。ジョーカーの如く顔面に張り付いた胡散臭いセールススマイル(このへんも『ジョーカー』と通じたりするのだから、持っている映画である)とサービストークをいくら政治界隈のろくでなし連中に振りまいても妻の不在は埋まらない。その穴をベルルスコーニは美女軍団を引き連れた青年虚業家が体現する若さで埋めようとするのだが、それは同時にヤングメン時代には確かにあったはずの妻の愛を取り戻そうとする虚しい努力でもあった。

妻だったか若い女だったかに見せようと庭に作らせた火山噴火イルミネーションを誰に見せるわけでもないセールススマイルを浮かべながら一人寂しく眺めるベルルスコーニの姿は滑稽でもあるし切なくもある。俺だったらポンペイの噴火を再現することだってできるんだぜ、みたいな感じだろうか。権力者の孤独である。噴火を射精のメタファーとすればだいぶバカな感じでもある。

噴火イルミネーションで遊んでいたら本当にポンペイ最後の日のようになってしまった。映画は甚大な被害を出した2009年のラクイラ地震の際に相変わらず下々のあずかり知らぬところで権力ゲームに興じる青年虚業家/ベルルスコーニを尻目に瓦礫の撤去や復旧作業に尽力する作業員たちの疲れ切った、絶望しきった、崩壊した教会から取り出されたキリスト像に救いを求めるまなざしで幕を閉じる。

権力の寓話というには現実の側が寓話的虚構に寄りすぎている昨今ですが、ベルルスコーニ時代の虚実入り乱れる政治内幕劇であると同時に、あちらでもこちらでもあるある感のある、たいへん刺激的でおもしろい権力の寓話であったとおもう。エロい女とバカ場面いっぱい出てくるしね。パンツを脱いでバック転した女が着地するその瞬間にシーン変わって女の騎乗位! バカだとおもう。

追記
というバカが横溢する反面、ラクイラ地震の現地視察に入ったベルルスコーニが地震で入れ歯を失った老婆に寄り添う場面には苦い優しさが込められていたりする。なぜならベルルスコーニも入れ歯だったから。彼はその時に失った若さ=権力を束の間忘れて、老いを受け入れ老いと共に生きようとするんである。

もっともその光景はメディアを引き連れてのもので、その同情と理解もすぐさま単なるメディア王の政治パフォーマンスに成り下がってしまう。お得意の住宅建設で被災者救済に乗り出すが、メディア映えしない崩壊した教会や旧市街はそのまま放置。ここでのベルルスコーニは徹底してパフォーマンスと金品の供与でしか自分の存在を発揮できない、その中でしか生きることができない憐れな道化なんである。辛辣な映画ですね。

追記2
あのエアコン温度の上げ下げでヤギが死ぬシュールな場面は後々ベルルスコーニが反復するので、支持率の上下に一喜一憂する実は小心者で寂しがり屋(かもしれない)なベルルスコーニの心象風景なのかもしれない。人に好かれたいがあまり政治家としてのモラルを売り払ってしまう権力者の図。

【ママー!これ買ってー!】


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