その醜さで父に抗え映画『ハウス・オブ・グッチ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

父親の経営する小さな運送会社で働いているダブル主人公の一人パトリツィアが初めて画面に登場するシーンでこのパトリツィアを演じるのはレデイ・ガガなのだが胸も尻もぐいんと前後ろに突き出してその上にハイヒールを履いているのでガガの背の低さもあって横から見たときの身体のラインが不細工なS字を描いていかにも品のない漫画的な風貌だなぁとか思ってしまった。実際この人は性格面でも品がなく漫画的滑稽をまとっているのだが、ビジュアリストのリドリー・スコットはキャラクターの性格を外見で観客にわからせようとするのでこれぞルッキズム、残酷な演出である。

しかしファッションというのはいかに弁解したところでルッキズムを免れ得ないのではないか? との問題意識はもしかしたらCM出身のビジュアリストだからこそリドスコにはあったのかもしれない。外見で全てが決まる世界、所作と言葉遣いでガチガチに自分を武装しないと何も手に入れられない世界。そんなファッション世界に徒手空拳殴り込みをかけて一財産築いたろやないかと怪気炎を上げるチャレンジャーもしくはデュエリストを印象づけるためにリドスコはパトリツィアをあえて醜い見た目の人物として描いたのではあるまいか…と考えるとリドスコの代表作『ブレードランナー』において逃走レプリカントの一人プリスが初登場シーンでホームレスのような格好をしてゴミ捨て場に横たわっていたことと何やらピーンと直感の線が繋がってくる。

プリスはどうしてゴミ捨て場に転がっていたか。全てのレプリカントの父たるタイレルと会うために、逃走レプリカントのリーダーであるバッティと結託してタイレルと親交のあるレプリカント技術者セバスチャンを騙そうとしたのである。首尾良くセバスチャンに拾われたプリスは正体を隠してセバスチャンの廃墟のような部屋に入り込む。そこはセバスチャンが作り上げた動くオモチャの楽園だった。遺伝子疾患で若くして全身が老化し出世の道の閉ざされたセバスチャンは半ば世捨て人となって日夜友達オモチャをせっせと作り上げているのだ。

『ハウス・オブ・グッチ』に登場するグッチ家の除け者パオロ(ジャレッド・レト)はパトリツィアと並んで過剰に醜い見た目の人物として描かれる。俺にはパオロとセバスチャンが重なって見えた。二人とも「父」に挑戦しようとする女に騙されるし、そして二人とも役に立たないモノを愛して誰にも理解されずに作り続けるアウトサイダーなアーティストなのだ。実質的に『ハウス・オブ・グッチ』はこの二人のアウトサイダー、パトリツィアとパオロの物語だったのかもしれない。「父」に挑みそして破れていった愚かなる創造者/挑戦者。ダブル主人公のもう一人でパトリツィアの夫マウリツィオ(アダム・ドライヴァー)はそんな愚かで勇敢な人間に一時はなろうとして結局はなる勇気を持てなかった高貴な傍観者で、狂言回しでしかない。

映画の最後にどこか挑戦者バッティを看取ったデッカードを思わせる表情でマウリツィオが自嘲混じりに微笑むのは、自分がそうはなれなかったことに対してなんじゃないだろうか。リドリー・スコットを一方的にライバル視する愚かで勇敢な(?)創造者テリー・ギリアムの『ドン・キホーテを殺した男』においてアダム・ドライヴァーの役柄がドン・キホーテに憧れるCM出身の映画監督だったことは奇縁である。

と、ひとしきり言いたいこと言ったので後はボーナストラックです。いや~普通に面白かったですね~『ハウス・オブ・グッチ』。俺ファッションとか全然ですからえ~リドスコの新作ファッションなの~とか思ってたんですがあんまファッションとか関係ねぇっていうか見る人が見ればここのシーンのファッションはあれでそこのシーンのファッションはあれでとか説明のないファッション演出を堪能できるんでしょうけど基本これあれだよね、実録ヤクザ映画みたい。

金も身分も教養もなにもねぇパトリツィアがグッチ家の御曹司マウリツィオと出会ってさ、それでどんどんマウリツィオ煽ってグッチ家に戦争仕掛けてくんですよ。グッチ家っていうか弟アルド(アル・パチーノ)と共にグッチの全権を握るマウリツィオの父ロドルフォ(ジェレミー・アイアンズ)の方はあんな下賤な女にお熱を上げちゃってみたいな感じでパトリツィアを相手にしない、ブランドにも口出しを許さない。でグッチの「父」たちが老舗のブランドの上にあぐらをかいて油断してる裏でパトリツィアの方は怪しい占い師の助力を得つつ権力掌握のために東奔西走、その過程で憐れなパオロを騙くらかしたりする。おもしろいですねー。

リドスコ映画には珍しく軽快なテンポで進んで音楽もオリジナルスコアはあまり使わず同時代(80年代~90年代前半)のヒット曲を湯水のように使う。同じビジュアル派のイギリス人監督でいえばダニー・ボイルに近い作風で、リドスコの前作は硬派な史劇の『最後の決闘裁判』だったのでその落差たるやですよ。どんどん大阪のおばちゃん化していくガガとかパオロを演じたジャレット・レトのアホアホ演技とかあれあんなもん遊んでるだろ意図的に。怒られるぞ本人に…っていうか既にグッチ家から怒られが発生しているらしいが。

まそんな感じの映画っすね。大した映画だとは別に思いませんが飽きるところのない楽しい映画だったと思います。リドスコ流の挑戦者ものがたりとして見ればなおたのし(長年無視してきたテリー・ギリアムに対するようやくの応答か!? と妄想を飛躍させれば更にもっと)

【ママー!これ買ってー!】


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一時期は毎晩ブレラン見てたけどそういえばもう5年ぐらい家でブレラン観てない。

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