マガイモノ大迷惑奮闘記映画『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

オープニング・タイトルが精子である。つい先日『スペルマゲドン』という精子たちの冒険を描いたバカ映画を観たばかりなのにまた精子! 俺の知らないところで世界には精子ブームが到来しているのだろうか? 精子とタイトルといえば『殺し屋1』の精液から浮かび上がるタイトルだが、こちらは精子たちが熾烈な生存競争を繰り広げた先に待っている卵子にタイトルが浮かび上がる。一匹の精子が卵子に入り込むとその卵子がピンポン球になるのだが、そこには『マーティ・シュプリーム』と刻まれており、これは主人公のアマチュア卓球選手マーティが友人と共に作っているピンポン球の商標であった。

バカバカしいとしか言いようのないこの精子卵子のオープニング、実はラストシーンと呼応していたことが映画を最後まで観ればわかる。表向きのストーリーはどうしてもプロ卓球選手としての栄冠が欲しい主人公がどこまでも身勝手に周囲の人々に破滅と死を撒き散らしながら自分だけ王座を目指す的なおそろしいものだが、それと並行して語られる主人公の不倫相手の妊娠と出産がこの映画の隠れた主題である。オープニングの受精シーンは主人公の不倫相手の妊娠を示す映像であり、対してラストは生まれた赤子と主人公が向き合うというもの。この主人公はろくでもないので自分が妊娠させたにもかかわらず頑なにその責任を取ろうとしないのだが、そんな人がどのようにして自分の子を受け入れるようになるか、というその過程を描くのがこの映画だったのだ。

さて主人公はニューヨークの卓球クラブで賭け卓球をやって小銭を稼いでいる小悪党。この人、卓球はたしかに強いのだが、それはあくまでもアマチュアレベルではという話。時は1950年代ということで卓球の競技化も世界的には今ほど進んでいなかったと思われ、主人公のようにアマチュアレベルで強い人も世界選手権に食い込めるような状況ではあったらしい。ということで主人公は卓球王を目指して全英オープンに向かうのだが、そこで対戦した日本の遠藤選手に完敗を喫してしまう。遠藤に勝たなければならない。だって俺の方がきっと遠藤より強いんだから! その一心で主人公は再戦のために手段を選ばぬ金策に走る。そして行く先々で武装強盗やガソリンスタンド爆破や誘拐事件や銃撃戦誘発など数々の事件を巻き起こすのである。

いったい何が主人公をそこまで駆り立てるのだろうかと言えば、それは主人公が何もない人だからなのであった。監督のジョシュ・サフディはサフディ兄弟名義で『グッド・タイム』とか『アンカット・ダイヤモンド』といった傑作秀作を手掛けた人だが、この人が描くのは金がなかったり才能がなかったりするオッサンが金なり地位なりを求めてなりふり構わず奔走している内に逆にどんどん底辺の泥沼にハマっていく姿ばかり、そんなわけでこの『マーティ・シュプリーム』もモデルとなった人はちゃんと実力と実績のある卓球選手なのだが、主人公は金も地位も名誉も倫理もそしてたぶん才能も何もない。何もない取るに足らない凡人だからホンモノとして世界に認めてもらいたいという思いに駆られているのだ。

主人公はユダヤ人なので友人には絶滅収容所からの生還者もいる。その人が事も無げに語る収容所での過酷なエピソードはホンモノだ。主人公が完敗する遠藤選手は太平洋戦争時の空襲で聴覚を失った。そして戦後、誰のためでも何のためでもなく自分が生きるよすがとして見出したのが卓球だったのである。この二人には切実さがある。それ以外にどうしようもなかったというような切実な状況が二人をホンモノにしている、と少なくとも主人公の目には映る。なぜなら主人公にはそんな切実な経験などおそらくなかったからだ。

アメリカ代表として強引に全英オープンに潜り込んだ主人公は見栄を張って豪華ホテルに記者を呼ぶと自分がどれだけ大物でどれだけ波瀾万丈の過去を送ってきたか語るのだが、記者たちはあまり相手にしなかった。たぶん波瀾万丈の過去というのは嘘なんだろう。それが言動から透けて見えるから主人公は人からホンモノとして見てもらえない。全英オープン後、卓球のワールドツアーに出た主人公が各地で行うのはぶっちゃけ卓球というよりもサーカス的な芸であった(アシカと卓球対決というとんねるずの番組みたいな企画もあった)。要するに主人公はおもしろい芸をしてくれるイロモノとしてしか見られていなかったわけだ。決してホンモノの卓球強者なんかじゃない。あるいは卓球という競技自体、1950年代のアメリカでは児戯の如しものとしてマジメには扱われていなかったんじゃないだろうか。

そんなマガイモノとしての主人公が遠藤選手というホンモノに叩きのめされる。そしてそのことで主人公は自分がホンモノであるという証を立てるために遠藤選手との再戦に執着するようになる。なんだかこれは『はじめの一歩』で一歩のライバルになる悪役系ボクサーを主人公にしたような映画である。アツい。これは超アツいと思う。とにかく主人公は本当にカスなのだが、それはたぶんある程度本人にも自覚はあるんだろうな、カスだからこそ「俺はカスじゃない!」と世界に言いたいし、ホンモノとして認めてもらいたい。でもそのためにダイナミックに空回りして益々カスになってしまうというこの滑稽。な、泣ける! いや、実際にはやることなすことカス過ぎるのでまったく泣けないのだが、このね、まるで同情できないし可能な限り人生で関わりたくない人の狂奔を一抹の憐憫を込めて描くのがサフディはホント上手いのよ。

だから一つの建物を爆破して三人ぐらいの死者を出して六つぐらいの犯罪に手を染めた末ついに主人公が遠藤選手との再戦にこぎつけた時にはもうめちゃくちゃ盛り上がっちゃったね。盛り上がったといってもこいつカスだから遠藤選手にボコボコに負けて欲しいと思ってるんだけど、勝ち負けとかそういう話じゃないっつーかね。そこまでして世界からホンモノとして見てもらいたいのかという切実さにグッと来るし、最初は遠藤選手の強さを認めていなかったフシのある主人公が遠藤選手の遠い影を追い求める中で敗者としての自分を認めてさ、そのことで遠藤選手はたぶん自分よりも強いということを受け入れるわけですよ。で、それを受け入れたからこそ遠藤選手とまた戦いたいと熱望するわけですよ。たとえ負けても遠藤選手と全身全霊を賭けて本気で戦えるなら、そのときに俺は俺をホンモノとして認めてやれる、とか思うわけ。

こんなもんもう『ロッキー4』ですよ。『ロッキー4』の卓球版。『ロッキー4』に出てくるソ連のボクシング・サイボーグ(ドルフ・ラングレン)はリング上で元世界チャンピオンを撲殺するほど鬼強いボクサーなのだが、その行動はすべて当局に管理されており、リングに上がるのも国家の威信のためでしかなかった。だからいくらリングの上で成果を上げてもドルフの心は満たされない。自分はしょせん国家の操り人形でしかないじゃないか……しょせんは国家に造られたニセモノじゃあないか……そんなドルフがリングの上でロッキーと拳を交たことで自分の存在を自分で認めることができるようになるという感動作が一般的にはバカ映画枠の『ロッキー4』なわけだが、それと同じものがねありましたよ『マーティ・シュプリーム』には!

いやもう感動したね、あのカスの主人公が試合後に遠藤選手に抱きついてお前は世界最高の選手だよ! と涙ながらに口走るところ。この主人公はカスなのでこれまで他人をリスペクトしたことなんてなかったんですよ。他人なんてものは全部自分が得をするために利用する存在だってなもんでね。でもそんなだから主人公は世界から、そしてまた自分自身からホンモノとして扱われなかったんだよな、本当は。だから主人公がおそらくはじめて他人をリスペクトすることのできたあの瞬間、この人の大迷惑な迷走は終わるんです。他人をリスペクトできない人は結局のところ自分をリスペクトすることもできない。そして自分をリスペクトすることのできない人は他人もリスペクトできない。その悪循環を遠藤選手との激戦によって断ち切ったことで、主人公はようやく自分の子供と正面から向き合ってその生を引き受けることができるようになるわけだ。そこに至るまでの被害がデカすぎるので主人公には40年ぐらい刑務所に入ってほしいとはいえ、実にイイ話ではないだろうか。

サフディらしい覚醒剤でもやってんのかみたいなどんどん人を巻き込んでいくハイテンション転落犯罪劇はスコセッシか『スカーフェイス』かという面白さ。でもそのノリノリっぷりの裏にあるのは取るに足らない凡庸な人たちの必死の悪あがきと這い上がり願望。そして最終的には他者との関わりが人をどう変えるのか、社会の中で人が生きるとは何かみたいなものが浮かび上がってくるってなわけで、いやぁサフディは本当に見事な映画ばかり撮りますねぇ。これも傑作でした!

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