《推定睡眠時間:60分》
この邦題と葬儀の写真が歪んだポスタービジュアル(あとチラ見したあらすじ)から俺が想像していたのはこんなような物語だった。ある日突然、異なる時代を生きる四人の女の人たちが「ドスッ」という落下音を聞くようになる。どこから音がするのかと探してみてもどこにも音の発生源らしきものは見当たらない。しかし音は確実に聞こえるし、ドスッ、ドスッ、ドスッ……なんだか聞く度に大きくなっていくようだ。落下音はこうして徐々にそれを聞いた四人の女の人の精神を蝕んでいく。そしてその落下音がついに耳元で聞こえたとき、彼女たちが目にしたものは――。これでは『呪怨』ぽい気がするが、でもなんか配給さんの宣伝文句にうんたらかんたら怪異譚とか書いてあったのだから、そんな感じの映画をイメージするのもおかしなことではないだろう。
その予想は完全に外れました。これは……ホラーではないね。というかシネコンでかかるような娯楽映画でもないね。子供の目から見た大人の世界のグロテスクとそれがもたらす死の予感、漠たる不安を四つの時代を交錯することなく並行して描く155分のダーク・アンビエント調の映像詩だ。通例こういうのは渋谷の最前衛ミニシアターであるイメージフォーラムで単館公開されるものだし、東ドイツの農場を舞台に過去から現在まで四つの時代の四つの不安と死の形を描く年代記というのはイメージフォーラムで単館公開された『ハイゼ家、百年』というこれも150分ぐらいあるドキュメンタリー映画を思わせるところである。
作品の良い悪いは別にしてよくこんな映画をシネコン全国公開に持って行けたなと思う。いや、たしかにポスターを見るといかにも怖そうな、でも映像美がすごそうなアート系のホラーっぽく見えるから、これならイメージフォーラムに通うようなコアな層の映画ファン以外にも訴求できるだろうし、実際お客さんは俺が観た回ではかなり入っていたと思う。だから宣伝が上手かったな。だってこれ観たくなるもんポスターとか予告編見たら。ポスターなんて映画館に貼られているのを初めて見たときに思わず写真に撮って「今年度ベストかっこいい映画ポスター受賞間違いなしだ」みたいなことをBlueskyにポストしようとしちゃったぐらいである。
もっとも宣伝が上手すぎることの功罪というのも当然あるわけで、興行的に言ったらそりゃ客さえ来れば大正解ということにはなるのだが、なまじポスターと予告編が上手すぎたものだから、それで上がった期待値が映画の実物を観たら思わぬ方向にズラされてしまい、観ている間は結構退屈であった。これはこれでハマスホイの空気を纏った『天国の日々』や『ツリー・オブ・ライフ』などテレンス・マリック作品のフォロワーという感じで芸術的な映画を観るつもりで臨めばうーん芸術ですなぁという気分になるし、それこそイメージフォーラムで上映されていたらたぶんシネコンで観るよりも面白く観ることができただろうと思われるが、しかしこちとらホラー映画だと思ってシネコンで観ているのだ。
そしたらもう、ストーリーはわけわかんないし編集は一本調子だし音響演出も部分部分は良い効果を上げているが同じ手法を長い上映時間の中でさすがに何度も何度も使いすぎ、シャーリィ・ジャクスン風の心理ホラーと言えなくもないかもしれないがシャーリィ・ジャクスンと違ってこの映画の監督はストーリーを語ることに(聞かせることに)ほとんど関心を寄せていないのでただシャーリィ・ジャクスン風のコンセプトを頭の中でこねくり回すだけで満足してしまっているように見えるので迫真性がない、似たようなテイストの映画でいったらフィリップ・リドリーの『柔らかい殻』なんかわずか95分で見事に豊穣に病んだ世界を描破していたのにこっちは155分とか無駄に長いだけではないか、とそういう感じでマイナスの見方をしてしまうのだな。だいたいこういう感傷的な題材をあえて反商業的に演出することで一部の観客に「自分だけはこの映画の良さがわかっている」とか「自分だけはこの登場人物たちの痛みをわかっている」と感じさせて優越感(とナイーブな感傷)に浸らせるようなA24タイプのエモ映画というのが俺は好きではないのだ。
映画というのはどこでどういうものとして観るかで結構印象が変わってくるあやふやなものである。この映画をイメージフォーラムでまばらな客の一人として観ていたらどうだっただろうか。俺の予想では、たぶんそれなりに良い映画体験になっていたと思う。