寝ながら映画感想『凱里ブルース』(ネタ無し注意)

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《推定睡眠時間:45分》

今すごい眠いので布団に入ろうかと思ったのだが眠い映画だったし邯鄲の夢とか胡蝶の夢とか中国ってそういうの本当好きよね、っていう夢幻映画だったのでじゃあ感想だった明瞭な意識でもって理路整然と書くよりも半分眠りながら書いた方が映画の精神に近づけるんじゃないか、それはすばらしい試みだ! 明日読み返したらバカじゃないかと自分で思う気がするが今の脳みそではそんな冷静な意見は出てこないので目が覚める前に明確に方向の誤った自己評価のまま書いてしまおう。

それにしても眠くても手を動かすことは人間あんがい出来たりする。社畜のみなさまなら言うまでもなく何を今更な御存知事項でありましょうが思ったね、みんななんでオウムの連中はあんな馬鹿げたテロたくさんやったんだろうとか考えたことあるでしょう。あれね、みんな寝てないからです。修行なので一日最長4時間睡眠ほかの時間はワークに全振り余った時間で個人的な瞑想ヨガその他雑事、寝ないから手だけは動きますが思考は死んであっちの世界にふらふらふら~っと飛び出ていってしまうのでみんなのグルにお前サリン撒けとか言われてもへぇ? サリン? 知らないけど人たくさん死んじゃうんじゃないの? よくないんじゃないかなぁ。でも尊師命令だしなぁ。まぁいいやなんかよくわかんないしはいわかりました尊師サリン撒いてきまーす。

こんな感じで、とオウム信者ではない私が軽々に断じることもできませんけれども睡眠不足は基本にして重大なオウム暴走の鍵と見た。あまりに当たり前すぎて逆に目立たないがそれほど睡眠不足のネガティブパワーはでかい。社畜のみなさまには言うまでもないかもしれないが…しかし! 社畜とオウムの出家信者が違うのは社畜は往々にして仕事はルーチンでやり甲斐を感じられないことがおおい! オウムは二つの点でやり甲斐を搾取するシステムが整っていたのだ。一つは五島勉『ノストラダムスの大予言』以来のハルマゲドン恐怖と救済の待望である。

麻原はこれをとにかく煽った。ハルマゲドンが1997年に勃発するから私と君たちはその地獄絵図から世界を救うのだ! まこれは麻原の総選挙惨敗後に急激に内向き化・陰謀論化して教団による世界の救済から世界が抹殺しようとする教団の自己防衛の側面を見せていくわけですが、その核には世界を救えるのはオウムと麻原以外になしの確信があったので、結局はヒロイックな大義が出てくるわけですな。これがひとつ。

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さてもう一つは、もう一つは。もう一つは…さて書くぞと思って間に広告を挟んだら忘れてしまったから前睡眠段階の脳はおそろしい。これでは思考などできやしない。そもそも『凱里ブルース』がどんな映画だったか思い出すのも至難の業だ。断片としてはあるが流れとしては? そうだ思い出した、オウムのやり甲斐搾取のもう一例は麻原の一存、省庁制を敷いて以降は各省庁の大臣の令で昨日あんなワークしたかとおもったら今日はまた全然違うこんなワーク、という風にコロコロと違う仕事、それも麻原のなんとなくの思いつきとマインドコンロールの一環としてのワーク割り振りだったりするのでしばしば自分の専門外の重大ワークを急に任されたりすることにあった。

想像したまえ。一日最長4時間(繰り返すが「最長」で、である。最澄ではない)の睡眠を何年も続けて朦朧とした意識の中でとりあえず目の前の仕事を片付ける、すると終わったときにはなんだかとても充実感があるのではないだろうか。そしてあぁワーク終わったと思っているとまた別の知らないワークが尊師もしくは大臣指令で入ってくる。こんなことを繰り返していれば人間頭がおかしくなって身体はゲッソリ眼窩はぼつーんと落ちくぼんで骸骨みたいになるとしても「俺ってできる男だな」とか思ってなにもクスリなんか使わずとも超気持ちよくなってきてしまうに違いない。しかもその目的は世界の救済と来た。気持ちよくてしかも世界の為になることをしている。

この後者を売り上げアップとかキャリアアップとか卑近なものに置き換えてみれば、実はブラック労働から抜けられない社畜のみなさまだってオウムと五十歩百歩と言えるのではないだろう。ワークは苦しい。ワークは辛い。ワークなんかしたくない。これは意識が明瞭なときの判断。睡眠不足の時には判断が逆転してしまうのである。年端もいかぬ子供まで巻き込んで殺人に直接加担させていた、日本犯罪史上稀に見る凄惨さでもって知られる北九州(連続)監禁殺人事件においても鍵は「電気ショック」である。

電気ショック痛い。電気ショック怖い。電気ショックで眠れない。眠れないと逃げるとか立ち向かうとかそんな意志以前に、思考がなくなってしまうのだ。その意味で北九州監禁殺人事件は小さなオウム真理教であったと言えるだろう。そしてそのより小さくて犯罪性の薄い、しかしその分だけ摘発も啓発も難しい精神搾取のシステムは日本中の大から小まで様々な会社組織に見られるものである。いわばオウムとは、宗教団体である以前に日本の会社組織の極端なまでのカリカチュアだったのである。省庁制への移行によって教団内がオルタナティブ国家と化したことは宗教に馴染みの薄い人々には奇異に映るであろうオウムの教義の帰結ではない。それはそのまま、単にオウムが日本のミニチュアだったというに過ぎないのである。

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おそろしいことだ。『凱里ブルース』の感想を書こうと思っていたのに手が動くに任せていたらオウムの話になってしまった。睡眠不足が何をもたらすかこれでわかってもらえたと思うから社畜のみんなはとにかく一日最低七時間は寝るべきだろう。さすれば自分の置かれた状況のおかしさに気付いて運が良ければ脱出することもできよう。だが貴様ら社畜などどうでもよい! 今は『凱里ブルース』! 『凱里ブルース』の話だ!

といってもだ、正直に言うがストーリーも寝てたからよくわかんないし、だいたいストーリーがどうとか俳優がどうとか、そんな映画ではなくライド型アトラクションみたいな映画なので、そこから映画評論家がやるように理屈をひり出すこともできなくはないが、それは睡眠後の話で、前睡眠段階の現在の脳みそでは理屈をつけて筋道立った文章を書くことなど不可能だ。映画の方も30分はあろうかという長い長回しの中で途中でカメラが追う人物が変わったりなんかしてしまうので夢うつつ、つかみ所がない。たゆたう、というよりも震える(※ドローンなど何台かのカメラを併用したと思われる撮影機材特性により)カメラに流されて気付けば川のほとり、そのような映画であるからとりあえずそれが気持ちよかった、と言うに留めておこう。感想なのに? しかし感想だからこそ留めるということもあるのだ。

それにしても現代中国の先端映画はこういうのが多いね。基本、長回し。説明はしない。漢詩の朗読やテロップを使う。夢と現在と過去がシームレスに接続される。そしてロードムービー風味がある。地方の鄙びた風景を切り取る。その年のマイベストだった『長江 愛の詩』もやっぱそういう映画でしたよ。そっちも寝たな。思えば現代中国の先端映画で寝なかったことはないかもしれない。『薄氷の殺人』も寝ている。これもその年のマイベストだった『迫り来る嵐』も、こっちは前衛ではなくノワール・サスペンスだったけれども、でもこれだってしっかり寝ているし、夢と現実と過去の混淆の中でさまよう男…というモチーフは他の現代中国先端映画と共通している。『帰れない二人』も寝た。これも素晴らしく面白い映画だったのだが。

果たしてここから何が導き出せるのかはわからない。一番お手軽でわかったような気になれるのはゆーても中国映画検閲システムあるので社会批評を展開しようと思ったら夢と現実のあわいが揺らぐ曖昧模糊な作劇に逃げ込むしかない…という身も蓋もない話になってしまうがそれだけで片付けられるほど中国映画の作家たちは単純ではなかろう。なんせ国自体が広漠として複雑怪奇なものですから。
まぼろしの列車が刻む壁の落書き時計、鳴るはずのない汽笛、ボロ遊園地の退屈な鈍行ライド。そうだひとつ思いついた、この映画もそうだが『長江 愛の詩』も『迫り来る嵐』も『帰れない二人』、バスや列車やバイクなんかでの物理的な移動がそのまま過去への回帰という時間の移動になっているのである。

はてこれが何を意味するか? やめよう、どうせ考えても無駄無駄無駄。ただそこに、戻れない過去へ必死にしがみつこうとする、ありえない時間移動を急激な経済発展のひとつの成果としての長距離移動(それは「あの頃」にはなかったものなのではないだろうか)で補おうとする、在りし日への切実な想いが見出せたので、俺としてはそれで充分なのである。オウムの万年睡眠不足出家信者たちもやがて地下鉄サリンへと至る教団の武装化の混乱の中で、過激ではあってもまだ平和なヨガ・サークルに過ぎなかったあの頃を夢に見ることがあっただろうか。

【ママー!これ買ってー!】


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社会派っぽいがわけわからんユーモアだらけのたのしい映画。UFOとか出る。

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