特集上映全部観た感想文「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」

今日2021年8月12日の時点でこの特集上映開始から一ヶ月ぐらい経ってると思うんですけどびっくりするよな、何日か前に行ったらまだめちゃくちゃ人入ってるんですよ、減ってきたとはいえ。平日はまだ空いてるのかもしれませんけど最初の二週間ぐらいは土日全回満席の勢いで全然チケット取れなかったからなー。どこで火が付いたんだよって思うよ。だってかなり渋い映画ですよ全部。意図的に退屈を導入してるから睡眠系っていうか、少なくとも楽しいなっていう感じの映画では全然ないですからね。反娯楽。

でもこういうのがなんでか知らんが都会のナウなヤング(だと思いたい)にもちゃんとヒットしているらしい。エエ話だ。ゴダール現象とかジャームッシュ現象の最新版みたいなものかもしれない。こういうことがたまに起こるからミニシアター映画興行はおもしろいですねということで一応全部観たので俺なりの感想文。睡眠鑑賞の都合どんな映画か知りたい人の役には立たないからそこらへんはわかれ(ちなみに順番は観た順)

『ミークス・カットオフ』(2010)

《推定睡眠時間:0分》

ガンファイトも劇的なドラマも何もなくひたすら荒野を移動するだけの生活西部劇。公開されたばかりの『すべてが変わった日』っていうダイアン・レインとケヴィン・コスナーが共演した現代西部劇を観た時にこの『ミークス・カットオフ』をちょっと思い出して、ストーリー的には全然違うんですけど安息の地を探し求めることの過酷さを描いた映画っていう意味ではよく似てるっていうか、眼差しを共有してると思った。

でも極論西部劇って全部そういうことだよなみたいなのも思って。とにかく胸躍る要素は一切ないので『ミークス・カットオフ』は一見すれば典型的な西部劇のアンチテーゼみたいな映画に思えますけど、サイレント~トーキー初期ぐらいの時代の西部劇ってここまでストイックではないにしても今ほどマッチョな娯楽ジャンルではなくて、ガンファイトの有無に関わらず西部に生きる人たちの生活を見せることが主眼のジャンルだったので、そういう中で安息の地を求めての移動っていうのはよく出てくるし、それはフロンティア・スピリットとかそんな勇壮なものではなくてもっと生活に根ざした切実なものだったと思うんですが、だから『ミークス・カットオフ』は反西部劇っぽくありつつもめちゃくちゃ本質的な西部劇だと思ったりした。

俺は全部知ってるぜ的な案内役の男にとりあえずついて行った結果ぜんぜん目的地にたどり着けないという不条理劇的な展開には『砂漠の生霊』という1930年のガンファイトのない西部劇を想起する。あれはなんか水を求めて悪党が荒野をさまよう寓話っぽい映画で、まだ男性向けのジャンル映画として作り替えられていない頃の西部劇という感じなのだが、『ミークス・カットオフ』における俺はなんでも知ってるぜ男と彼の全能性を疑う主人公の対立はあたかもそうしたクラシカルな生活西部劇とガンファイトを主軸としたアクション西部劇の対立のようで、西部劇とはなにかということを鋭く問うた誠もクレバーな映画になっていたように思う。

『リバー・オブ・グラス』(1994)

《推定睡眠時間:10分》

この地を先住民は草の海と呼んだ、みたいな主人公のモノローグから始まる全部うまくいかない版『俺たちに明日はない』。『ミークス・カットオフ』にも先住民が重要な役どころで出てきたからこれはきっとケリー・ライカートという監督の作家性の核にあるものなんだろうと思う。先住民のように生きられたらなぁ、と憧れつつも現実にはそのようには生きられないし、現実の先住民の生活はきっと憧れるような楽しいものではなかっただろう(とくに女の人にとっては)。そういう幻滅と、それでも幻滅の先に何かがあるかもしれないというようなやけっぱちの希望が『リバー・オブ・グラス』にはあった気がした。

主人公の父親の拳銃を落としまくっちゃう刑事が笑える。なんかそのへんはちょっとロバート・アルトマンの映画っぽい。

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『オールド・ジョイ』(2006)

《推定睡眠時間:60分》

オッサン二人が日帰りで山の温泉に行って帰ってくる映画。ずっと寝てたのでほぼほぼ感想記述不能の域にあるが執拗に挿入されてその度に風景や会話を台無しにするラジオ討論がさっさと逃げ出したいこのつまらない現実というものを演出していておもしろいと思った。今回上映された四本はどれも劇伴が極端に少ないか一切使われておらず、そのぶん効果音や環境音を過剰なほど詰め込んだサウンドトラックになっているのでこれはケリー・ライカート映画の特徴なのだろうが、『オールド・ジョイ』は叙情的なアコギのテーマ曲みたいのが何度か挿入されてた気がしたので、ほぼほぼオッサン二人の関係性のみに着目した映画ということもあって関係性が大好きな最近のヤングには尊い映画としてウケるかもしれない。俺は尊いのが嫌いなのでこんなオッサンらどうでもいいと思った。

『ウェンディ&ルーシー』(2008)

《推定睡眠時間:0分》

今回の特集の中で一番面白かった。アカデミー受賞作の『ノマドランド』も題材にしていたノマドの女が愛犬と一緒にアラスカに向かっていたら突然の車故障、カネもないしどうしたものかなと途方に暮れていたところで泣きっ面に蜂、スーパーの前に確かに繋いでいたはずの愛犬までいなくなってしまったではないか。果たして車はちゃんと直るのだろうか。愛犬は見つかるのだろうか。そしてノマド同胞が言うには良い職場があるというアラスカにはたどり着けるのだろうか。

アメリカ片田舎のつまらない日常もアウトサイダーの目線で捉えれば一抹のユーモアを帯びる。一抹の、というのが良いところで面白いよね~的には撮らない。何の事件も楽しみもないつまらない日常はただただつまらないだけなのだが、その間をアウトサイダーが自由に右往左往するとこれが不思議とちょっと笑える感じになるのだ。あちなみに自由に右往左往というのはケリー・ライカートの作風を表現するための意図的な前後矛盾なのでよろしく。

しかし素晴らしいのはなんといってもサウンドトラックです。アメリカ片田舎の音という音を余すことなく(というのはまぁ大袈裟にしても)拾い上げたノイジーなサウンドスケープは圧巻で、貨物列車の警笛で主人公の心情を表現したりとか、環境音を単に環境音として扱うのではなく環境音でドラマを語り環境音でつまらない日常を破壊する。レジ打ちの音、エンジンの音、空き缶の音、葉ずれの音、保健所に入れられた犬たちの鳴き声大合唱。代わり映えしない風景につまらなさを感じたら音に耳を傾けたらいいじゃない。風景は変わらなくても音が変わらないということはない。

ただ延々とつまらないアメリカ片田舎を映してるだけなのにアナーキーにさえ感じられるのはケリー・ライカートという人が目ではなくて耳を信じているからではないだろうかと思う。音に注意を払えない人に危険を伴う放浪の旅は難しい。だから定住者の社会は目に見えるものばかり重視されて良いも悪いも目が決めてしまう。人種差別などは目が作るわけだからそれは安息の地であると同時に牢獄でもあるんじゃないだろうか。目をつむって音に従え。これは傑作、ぜひぜひ爆音上映とかで観たいっすねぇ。

【ママー!これ買ってー!】


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ノイジーなサウンドトラックといえばってことでなんとなくアルトマンのこれを。

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