それでいいのか映画『ベイビー・ブローカー』感想文

《推定睡眠時間:0分》

張り込み刑事ペ・ドゥナが覆面ポリカーの中でひたすら飯を食いまくる! 豚串みたいなやつを食い辛ラーメンを食いミニトマトを食いハリボーグミを食う! 食いながらモゴモゴ喋る! あの蠱惑的な無表情で! 最高! 最高! 是枝裕和はリベラル常識人っぽい発言をよくするけどたぶんエロスセンサーは相当変態!

ジョニー・トー映画のラム・シュや『聖なる鹿殺し』のバリー・コーガンなど映画の世界には食いもんを食ってる姿がたまらないという種類の俳優がごくまれにいるがペ・ドゥナも紛うことなきその一人であることを世界に知らしめたという点だけでこの映画の存在価値は十二分にある。いい食いっぷりなんだよな~。美味そうに食わないんだよ。でもガツガツ食うんだよ。辛ラーメン3分待たないで食っちゃうからね。相棒刑事のイ・ジュヨンの分なんて考慮しないで一人でどんどんダッシュボードに置いたミニトマト食っちゃうから。でも美味そうには食わないんだよ!

ペ・ドゥナの暴食っぷりはまるで飢えた子供のようだが、たぶんそういう意図なのだろうと察せられるのはこの人は赤ちゃんポストに赤子を捨てた母親イ・ジウンに対してやたら当たりが強い。赤ちゃんポストに捨てられた赤子をぶん捕っては売りさばくブローカー2人組(ソン・ガンホとカン・ドンウォン)を現行犯逮捕すべくイ・ジュヨンと共に張り込んでいたペ・ドゥナはイ・ジウンの子捨ての瞬間を目撃すると「捨てるんなら生むんじゃねぇ」と吐き捨てるように言う。ペ・ドゥナの背景が具体的に語られることはないが、おそらくあまり良い家庭に育っておらず母親に対してうっすら恨みを抱いているんじゃないだろうか。母親に甘えることができなかった不満を、彼女は子供的暴食で晴らしているように見えるのだ。

「母親」への不満を抱えているのはペ・ドゥナだけではない。ブローカーのソン・ガンホとカン・ドンウォンは共に施設育ちで親を知らない。父親の代わりと言えそうな人なら施設の所長や赤ちゃんポストのある教会(カン・ドンウォンはそこに勤務している)の神父がいる。でも母親の代わりになりそうな人はいない。だとすればこの二人の赤ちゃん売買も単なる金儲けのための行為とは言えなさそうだ。いつもの是枝裕和の映画同様に悪人が視界に入らないやさしい世界が広がるこの映画の中では決して表面化することはないが、赤ちゃんを生母から引き離して里親に売りさばくことは、どこか自らの生い立ちの傷をえぐる自傷行為めいてくるのである。

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母親に対する過剰なほどの愛着と、それと表裏一体を成す自分に構ってくれない母親に対する不満は、是枝映画に一貫して見られるものだ。というわけでそのように見れば『ベイビー・ブローカー』が何についての映画だったかわかるんじゃないだろうか。母親になること。赤子を売るためにオンボロ車で旅に出るソン・ガンホとカン・ドンウォン、それに同行する赤子を捨てた母親イ・ジウン、彼らを逮捕するべく追うペ・ドゥナはいずれも母親の存在に飢えて大人になりきれない大人であり、その旅と交流を通じて彼ら彼女らは母親になることを学んでいくのだ。

この映画の「母親」は性別とは直接関係しない。ソン・ガンホが手芸や洗濯(この人の本業はクリーニング屋で赤ちゃん売買は副業なのだ)や赤子の世話といった主に母親が担ってきた家庭内労働を自主的に行っていることが示すように、母親になろうとすれば女でも男でも子供にとっての母親になることはできる。映画のラストにあるのはそのようなメッセージだろう。だからこそソン・ガンホが最後が下した決断は苦い。まそのへんは劇場でご確認ください。

テーマはわかった。メッセージもわかった。じゃあ映画としてどうか。う~ん、面白いけどわりと普通! 是枝裕和の映画っていつもそうですけどやっぱね悪人不在っていうのがつまんないんだよな。赤ちゃん泥棒でしょ? そりゃ悪いよ。赤ちゃん泥棒と人身売買で小遣い稼ぎしてるくせにソン・ガンホとカン・ドンウォンちょっと善人すぎるだろこれ。一応赤ちゃんを狙うギャングみたいのも出てくるんですけどいかにも記号的な悪人で血肉が全然通わないし、それが主人公たちのドラマに絡んでくることもあまりなくて、どう対処するかって視界の外に、つまりカメラの外に追い出すことで対処する。これも是枝裕和の映画はいつもそう。この人は本当に悪人とか悪に属する行為を描けないし描こうとしない。その罪も含めて目を逸らしてしまう。

悪の不在は同時に葛藤の不在でもあるんじゃないだろうか。確かに赤ちゃん泥棒のソン・ガンホにしてもカン・ドンウォンにしても、あるいはかなり重めの事情があって赤ちゃんを捨てたヤンママのイ・ジウンにしても、赤ちゃん売買旅を通じて己の罪をゆっくり自覚していくようなところはあるけれども、前作『万引き家族』がそうだったように結局その解決は公権力の介入という形で個人の外部に委託されてしまう。個人が自分の罪と向き合って、ということは言い換えれば自分自身が持つ悪と戦って、それを克服する人間的成長の過程が描かれない。清濁併せ呑んで、酸いも甘いもかみ分けて…という大人の態度を是枝裕和は拒絶するので、ソン・ガンホの最後もああすることしかできなかったんじゃないかと思う。

有毒の物語を美しく無毒化することにかけては是枝裕和は超一流なのでこれも美しく幸せなロードムービーとして楽しめるけれども、でもそれでいいのっていうのはこの映画の題材的にどうしても俺は思うところで、なんかそういうモヤモヤは残る映画だったな。あんな牧歌的な結末は夢でしかないが、人身売買プラスαの物語をそんな夢物語で終わらせるのは無責任じゃないのって思うのだ、俺は。

【ママー!これ買ってー!】


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ペ・ドゥナといえばこの映画が凄かった。

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