住めば都とか嘘つけよ映画『ドリームランド』感想文

《推定睡眠時間:30分》

どこだか知らん海蝕洞に置かれたカメラが外の海を眺めると、その強烈なコントラストで洞窟が楕円形の真っ黒なフレームのようになる。これは作物なんか育ちようのない荒れ野に生まれ職なしカネなし希望なしのドン詰まり生活からの脱出を夢見る空想がちな主人公の貧乏田舎青年の心象風景として度々インサートされるイメージショットだが、闇に覆われた洞窟からの出口としての海を心に思い描いて不毛な日々を耐え忍んでいたのは主人公だけではなかっただろう。

その一人は銀行強盗&殺人のかどで指名手配中のマーゴット・ロビーかもしれないし、「空想ばかり見やがって!」とやたら主人公くんに当たりの強い彼の家族だってそうかもしれないのだ。肥沃な新天地で一攫千金! を謳う山師に騙されて荒れ野を買ってしまったのがこの家族なのであるから、家族にしたって前の居住地からの脱出をかつては夢見ていたはずなのだ。両親ではなく家族、と書いているのはこの家族は夫が出て行って今は二番目の内縁の夫らしき人が親父代わりになっているから。この人はどこから脱出してきたのだろうか。

海蝕洞のイメージショットを見ているとあれこれ前見たなとデジャヴュが到来、俺にしては比較的簡単に思い出せたので20代から既に脳細胞の死滅は始まっているとの科学トリビアを聞いて以来老化の残酷さに怯えるばかりであったがまだまだ俺の脳細胞も生きとるな…と生の実感を得たわけだがいやそんなことはどうでもいい、デジャヴュ元というのは現代アーティストのフィオナ・タンによる「近い将来からのたより」というビデオ作品である。

これはどっかの博物館とか美術館が持ってる記録フィルムをあれこれ繋ぎ合わせたフィルム・コラージュで、その最初の場面が暗い海蝕洞に置かれたカメラがそこから海岸を撮っている、その海岸にはいかなる関係かは知りようもないが日傘を差した女となんとなくフォーマルに見える格好をした男が親密な距離感で立っている…と、『ドリームランド』のそれとよく似たショットなのだった。

「近い将来からのたより」のタイトルからすれば『ドリームランド』はこれを引用したんじゃないだろうか。主人公くんは実父からたまに届く綺麗な西海岸の絵はがき(「たより」だ)を後生大事にしていたし、あの光溢れる海と海岸の親密男女は鬱屈主人公や逃走犯マーゴット・ロビーが思い浮かべる「近い将来からのたより」であったはずである。いずれたどり着くべき風景。脱出した先でのささやかな幸福。しかしそれはどうも叶いそうもないということは容易に察せられる。それはフィオナ・タンの「近い将来からのたより」においては遠い昔に過ぎ去って博物館だか美術館に保管されて誰も見ることのなくなった、夢の残滓のような失われた風景だったからである。

ま実際に引用したのかどうかはわからないが現代美術から引用するにせよ偶然にも現代美術と発想が被ったにせよこの作り手がかなり美意識の高いめな人っぽいことはわかる。というわけですばらしい構図、すばらしい美術、素晴らしいロケーションである。ドラマなんか添え物でその映像詩を観るための映画と言っても差し支えない(宣伝には差し支えるだろうが)

たとえば、例の洞窟ショットに限らず室内にカメラを置いてフィックスで窓をフレーム代わりに画面内画面を作るという絵作りが頻繁に出てくる。室内と室外を一画面に収めつつ薄暗く狭苦しい洞窟のような室内とその外に広がる広漠とした荒れ野の対比、そこから生まれるドラマ。この窓から主人公くんが外に出ることで物語は動き始めるわけで、構図の中に物語が描き込まれているし、窓の外に出る行為は日常から脱して心象風景の、空想的イメージの世界に入っていく行為とも言えて、それが映画にどこか夢幻的な印象を与えていて素晴らしい。

ノーマン・ロックウェルのようなアンドリュー・ワイエスのような30年代テキサスの辺境日常風景も見物であるがこれがですね段々風化してきます。風化していずれ何もなくなってしまいます。というのはダストボウルというでけー砂嵐がこの時期のテキサスを襲って住民は住めなくなってしまうわけです。そのダストボウルの風景、砂塵が荒れ野を覆い隠し家々の間を吹き抜け浸食する…というイメージは心象風景なのか実際に起こったことなのか曖昧な形で、例の洞窟ショットなどに混じって提示される。

ダストボウル後の廃墟の風景も現実かそうでないのかはわからない。しかし確実に何かが終わったんだろうと思う。冒頭、ナレーションが言うには「(災厄は)一人の女から始まったとみんなは言うが、本当はこの地に入植した時から始まっていた」。とすれば主人公くんと女銀行強盗の話なんか何の意味も成さなかったんである。そこは入植時から枯れた荒れ野で、開拓と繁栄のアメリカン・ドリームは最初から挫折が運命付けられていた。けれども町の男たちはその過酷な現実を受け入れることができなかった。その時に、あたかもその問題を解決すれば万事上向くかのように、あるいはそれこそが挫折の根本原因なのだとでもいうように、殺人強盗女の存在が浮上してくるのだ。

もちろん殺人強盗女を逃がすにせよ捕らえるにせよそれが彼らの生活に変化を与えることは少しもない。それでも彼らはその出来事に縋り執着する。さもなくばすべてが最初から失敗だったと認めなくてはならないから。それはどこか西部劇な物語だ。ベタな西部劇では町にやってきた悪者を倒せばハッピーエンドだが、実際の開拓地にはそんな都合の良い出来事なんかありはしなかっただろうってことで、この映画が描くニューシネマ的逃走の果てにある西武劇的対決の顛末はひどくわびしく大して意味のないものである。それをこの映画は淡々と観客に見せる。

開拓のノスタルジーと夢の残骸を拾い集めて「近い将来からのたより」よろしく末端開拓民の痛みや衰退を詩的に表現した映画という感じかもしれない。畏怖の念を生じさせる大砂塵、疲労の染みついた廃家屋の室内、なんのことはない果樹林もこっちはずっと荒れ野の狭くくすんだ人間関係ばっか見てるのでその鮮やかな色彩に目を奪われる。エンドロールはかつてその地に住んでいた様々な家族の記録フィルム…風のファミリー・ポートレート。こんなアメリカ開拓史もあったのだ、とも思うし、これがわりとリアルなアメリカ開拓史なんだろうとも思う。沁みるなぁ、沁みる沁みる。見事な映像詩でしたね。

※あと犯罪逃避行映画のクラシック『拳銃魔』のオマージュっぽいところなどもあり。

【ママー!これ買ってー!】


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『地獄の逃避行』とかいう攻めた邦題も原題は『Badlands』。というわけでまぁBadlands自体は荒れ野を意味する一般名詞だとしても若い男女二人が脱出を求めて旅に出る的な物語も共通するので『ドリームランド』のタイトルはその皮肉なもじりって感じなんじゃないすかね。

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