シモキタ人間大集結映画『街の上で』感想文

《推定睡眠時間:0分》

冒頭、古着屋を経営してるっぽい主人公のシモキタ男子がシモキタの路上でカメラを(つまり映画を観ている観客の側を)見つめててそれから何事もなかったかのように夜のシモキタ商店街を歩き出す場面がすげー良くてああ、街だなぁ、みたいな。街の音。街の色。街の動き。シモキタ男子が腐ってもとんこつチェーンなんかに鞍替えしねぇ創業数十年的な街角ラーメンののれんをくぐろうとするとそうは言っても時代の流れっていうわけでおそらくそのラーメン屋に集荷に来ていたウーバーイーツ配達員的な誰か配達リュックを背負って原付でブーッと音を立てて去って行く。

このシーンは手持ちカメラのワンカットだったと思うがそのあたりの段取りと音の入れ方は完璧だと思った。こういう予期せぬ人の流れ、不意の音の乱入が俺は街の魅力だと思っているので。心地よい不快の連続にあえて身を置くことが街を生きるということなのではあるまいか…決して思い通りにならない人間関係に翻弄されて、変わりゆく風景に常に取り残されて、予測不能な偶然の出来事と、頭のどこかで思い描いていた必然のような出会いの間で、なんかよくわからんがとりあえず生きているし、それで結構悪くない、みたいなのが。

で、ただこれは街っていうか『街の上で』というぐらいだし街そのものより街の人間たちにスポットライトを当てた群像劇で、全体の構成としては人間関係のすれ違いを笑いにする東京系コントとかシモキタ小劇場の喜劇をシモキタ全体に舞台を広げてやったような…広いようで狭い映画で、そこで繰り広げられる恋愛メインのドラマは人間の繋がりと同義になる。このへんはもう趣味の問題。俺は街といえばやはり街が観たくて人間も風景の一部であってほしいとか思うわけです。

ジャック・タチの『プレイタイム』とかは理想型。人間関係よりも人間以外の関係というか…建物とか動物とか自然とか、あるいはゴミとかノイズも含めて街だよね、みたいな。たとえば仕事先でも家の中でも誰とも喋らずに毎日自殺するかしまいか悩みながらとりあえず一人でゲームやってるだけの人がいたとしてもその人も街だよなって思うんですよ。それが街の多様性だし包摂性じゃんって。

シモキタ人間たちのユーモラスなやりとりはおもしろいのでわりとみんな好きな映画っぽい。キャパ100超えのシアターの客席が8割ぐらいは埋まってた盛況上映が終わって帰ろうとすると「ねぇあのさ、最初の方でライブに出てた人いたじゃん」「うんうん、いたいた」「GEZANっていうバンドの…あの人さ(以下聞き取れず)」「えー! そうなんだ! すごいじゃん!」的な会話を他の客が交わしててめっちゃ映画まんまの会話じゃん3D上映かよとか思ってしまったがそれだけ都会の人たちの今をリアルに捉えていたということなんだろう。たぶんではないたぶんだが今の都会の若い人たちのメイン関心事は恋愛とか笑いとかあとなんか気楽で楽しいことである。

俺はこの監督の映画だとライト路線よりもどことなぁく仏教的無常観を感じる不快を帯びた路線の方が好きなのでライト路線のこの映画はわりと面白かったねで脳がスルーしてしまう感じだった。個々の街角スケッチは笑えたしシモキタバーに入り浸ってるいそう感満載の役者志望の男を筆頭に(俺にとっては「キムチチャーハン」の発音とタイミングが最高な彼が筆頭である)俳優陣も適材適所、親密な場面での長回しとか意外と巧妙に張られた伏線(それに関してもキムチチャーハンの男のエピソードが一番おおっ、と思った。答え合わせはされないが)とか技巧的な作りではあるがそれがドラマを歪めることなく空気を吹き飛ばすようなこともなく、即興も結構ありそうっぽい台詞も含めてその演出された部分と素材そのままの部分の調和っぷりが見事だなぁと思うが、だからまぁ、見事だなぁでわりと終わる。

終わって悪いことがあるかと言ったら別にないのでこれでええんではないだろうか。シモキタとか中野とか阿佐ヶ谷とかのあの狭っ苦しい町並みがだいきらいな偏見人間の俺がとくに嫌悪感を抱くことなく楽しく観れたということは東京都西部カルチャーに抵抗がないかむしろ好きぐらいな人にとってはめっちゃ面白いはずである。でも俺はですね、この映画の最後のシーンを見て去年やった私小説的くそリアリズム寄せの都会系恋愛悲喜劇邦画の『アボカドの固さ』っていうのが同じような空気感、同じようなラストだったんで、またこれかーみたいなのはやっぱあったよ。

やたら飲み屋行くとかそういうやつ。あれなんなんすかね。なんで若者やたら飲み屋いくの? なんかシックな感じのところとかじゃなくて大体壁にお品書きが貼ってあるところ。みんな行くんだよ若者群像を描いた邦画の冴えない若者。いや別に行ってもいいけどさ…それでそこで話すのはだいたい恋愛っていうか失恋とかなんですよ。どうでもよくない? そりゃ本人にとってはどうでもよくないだろうが…たまには野生パンダの個体数がこれぐらい減っていて人間と自然の関わりが云々みたいなことで議論したりしてもよくない? っていうかそういえば議論そのものを今の若い奴らしないんだよな。議論になってもすぐ話を逸らす。なんででしょうね。つまんねぇの。

なんかだからさ、それで脳がスルーしちゃうんです。ああこれ前も観たわって感じで。いつも観ているものは刺激はないかもしれないが刺激がないということは心地良いということだから、こういう映画はみんな好きなんです。でもその安堵感に乗ってしまうとなんというか究極「映画いらなくね?」みたいになるんじゃねぇのとかは思うんでやっぱ距離取りたくなる。だってよく知ってる現実をわざわざ映画館で観る必要あります?

何が映画的かの話は戦争にしかならないのでここではしませんが、映画でしか体験できないようなわくわくどきどきするようなシーンを俺は最初の街歩きぐらいにしか感じられなかった。だからそこは好きだし、それで逆に、その後は面白いけどスルーモードに入っちゃったわけです。そういう映画だったな俺には。

【ママー!これ買ってー!】


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こちらは街の上ではなく『街の中で』という感じ。

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