ニューニューシネマ映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』感想文

《推定睡眠時間:0分》

両親に捨てられ身寄りのないザックはダウン症なのに介護ホームに入れられてしまう。まぁ介護っていう意味では老人もダウン症も同じようなもんだよね。同じようなもんなわけがあるか。往年のプロレスラーが案内役のプロレス入門ビデオをひたすら見まくるだけの退屈な日々を送っていたザックは施設からの脱走を画策、その度に引っ捕らえられて施設内の危険人物ランクが上がっていくと同時に自由が少しずつ奪われていくが、ある日ついにパンツ一丁で脱走に成功する。もう俺に帰るべき家はない。戻るべき家族もいない。あのプロレス入門ビデオで往年のレスラーが宣伝していたプロレススクールが俺の本当の居場所だ。いざゆかんプロレススクール。かくしてザックの旅ははじまった。

とそのころ、なにやら脛に傷を持つ中年カニ漁師タイラーは漁場を牛耳る同業者と一触即発の状況。ライセンスがないにも関わらず勝手に漁やってるので漁場荒らしと言うほかないが、とはいえ所有しているのはボート一隻、密漁といっても漁獲量は雀の涙で…しかし違法は違法であるし、アメリカ深部の貧乏カニ漁師たちに漁場荒らしを黙って見過ごせる余裕はない。火種はやがて殴り合い、そしてタイラーの報復としての魚市場の放火にまで発展してしまう。もうこんなところにはいられない。タイラーもまたショットガン片手に旅に出る。ザックとタイラーが出会ったのはそんな時であった…。

何がイイってあなた、カニ漁師ですよカニ漁師。ダブル主人公の一人がショットガン片手に深アメリカを放浪するカニ漁師。この泥臭さ。この、滅び行くアメリカの原風景。たまらないじゃないですか、ニューシネマの香りが漂って。
それでもう一人の主人公はプロレス好きな捨て子。凸凹バディのロードムービーというのもまたニューシネマ的だ。粗野なカニ漁師は目指すところもなにもない。ただ生きるためにアメリカ中を逃げ続けている。だがザックの方は違う。この人が逃げるのはアメリカのどこかにまだ残っているかもしれない夢を掴むためだ。

終わった男と始まろうとする男の深アメリカ二人旅。その後を追う追跡者たち計三人。ザックを追うのはザックを担当していた施設の介護士、タイラーを追うのはタイラーが放火して怒らせた牛耳り漁師二人組。どっちに捕まってもあまり幸せそうな感じはない。とくにタイラーの方の追跡者は追いついたら確実に殺しにかかってくるに決まっているので超やばい。深アメリカに二人を守ってくれる法律などないのだ。そんな地獄の逃避行の中でタイラーは少しずつ変わっていって…うーん、ニューシネマ!

ニューシネマっつっても今更ニュー感ゼロだからな。オールドなニューシネマという語義矛盾。それがまたイイんすよね、風化ジャンルをあえて今やろうとすることが。尊い。こういうことを尊いと言っていきたい。
スタイルとしてニューシネマ風の映画を撮る人もいますが(別にディスってるわけじゃないよ)『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』が面白いのは、今のアメリカでフロンティア・スピリットとかアメリカン・ドリームを担うのはマイノリティの人なんだ、というような形でニューシネマの精神をあえて言うならPC的な潮流の上で蘇らせているところ。

もうね、アメリカに夢なんてないんですよ。あるいはそもそも夢などなかったとあけすけに言ってしまうのが『イージー★ライダー』であり、『ファイブ・イージー・ピーセス』であり、『さらば冬のかもめ』であり、『真夜中のカーボーイ』であり、『バード★シット』であり、『いちご白書』であり、『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』であり、『ソルジャー・ブルー』であり…。

ニューシネマはアメリカの夢を拾いながら砂のようにその手からこぼれ落ちていくサマをただ眺める物語類型だと思っているが、ニューシネマの夢を拾う点に着目して、たとえ夢がこぼれても何度でも拾いなおすための装置としてリサイクルしたのが『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』なんじゃないすかね。で、物の分かった今のマジョリティの人は疲れちゃってどうせ挫折するに決まってる夢を拾うのが嫌になっちゃったから、21世紀のニューシネマで夢を拾えるのはマジョリティからバカ扱いされてるマイノリティの人なんです。

現実社会のアンチとしての夢は逆説的に現実の姿をそこに映し出す。ザックとタイラーが旅する深アメリカはどうしようもなく傷ついた、人の住む廃墟の如しだ。とにかく金がない。若者がない。カニ漁を巡って殺人的ないざこざになるぐらいだし資源もない。そこから離れて新天地を探す余力もないし、探しても新天地なんかどうせないだろう。

ブルースとゴスペルが鳴り響く深アメリカをザックとタイラーは『地獄の黙示録』のごとくボートで川を下って巡っていく。鬱蒼とした沼沢地帯、盲目の牧師と川辺の黒人教会、客なんか来ないから昼間から飲んでる雑貨屋の爺、あばらや暮らしの元有名人、裏庭プロレスに集う人々。そんな風景に見えるちょっとしたやさしさとアメリカの夢の残滓に泣けてしまう。

夜となればショットガン構えてそこらで野宿という深アメリカ放浪旅の都合、ザックのダウン症がなにかハンデや問題になるようなことはほとんどない。それが、ザックが夢を実現させるために社会に入っていったその時に顕在化する残酷さ。あぁ、ニューシネマだなぁ。でもニューシネマならそこで終わる物語はここではもう少し続く。マイノリティはアメリカの夢を拾い続ける。それが砂でできたお城のようなものであっても、そうしなければ自分の何かが死んでしまうと知っているからだし、ニューシネマみたいにナルシスティックに死ぬ気なんか微塵もないんである。

ザック役のザック・ゴットセイゲンが自身ダウン症であるということに(意義はあっても)大した意味があるとは思えないが、そのゆるい存在感はびっくりするほど渋い汚いうらぶれアメリカオッサンと化したタイラー役シャイア・ラブーフと鋭い対比を成して、ふたりがただ一緒に歩いているだけでドラマティック。不器用な人とそれとは違った方向に不器用な人のダブル不器用ポンコツ旅は『スケアクロウ』を思わせるところで、それを言ったら冒頭は『カッコーの巣の上で』風で…とまぁ、いろんなニューシネマが連想されるのだが、オマージュやパスティーシュにはなっていない。

使い古された題材を使い古されているからこそあえて拾い上げたという点でまさしくニューなアメリカン・ニューシネマだったし、社会から見捨てられた人たちの側からアメリカの夢の再生を試みた、まったくアッパレなニューシネマでしたね、『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』。

※ほとんど台詞もなく淡々とタイラーを追いかけていく追跡漁師二人組も渋い味出しててよかった。ストレートに怖いんですよ、単なる漁師なのに。アメリカの漁師はあらくれているな。ちょっとした西部劇風味でこのへんのサスペンスも実に素晴らしかったですね。

【ママー!これ買ってー!】


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あとブルース・ダーンがちょっと出てるんですが、最近のブルース・ダーンといえば認知症の夢追い老人を演じた『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』が超よかった。お話の構造は『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』とちょっと似てる。

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