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イランの人権弾圧を扱った映画が欧米批評筋に高く評価されがちな現状にはなかなか苦々しい思いがあり、第一にはそれが芸術性や娯楽性よりも政治性に対する評価であると考えられるからなのだが、より重要な第二には現在のイランの人権弾圧を招いた責任はアメリカを起点として欧米諸国にあると考えられるからなのであった。
イラン革命後のイランに対するアメリカの度を超した敵対行為は言うまでもないことかもしれないし言わないと案外思い出せないことかもしれない。そもそもの発端は石油利権獲得と反共化促進のためにパフラヴィー王政のイランにアメリカが介入し、それまでイギリスが独占していた石油の国有化を頓挫させると共に、イランを親米国とするためイラン社会の急激な欧米化を進めたことにあった。白色革命と呼ばれるこの欧米化は男女平等や識字率の向上をもたらしたという点で良い影響も残したものの、石油利権は従来よりの宗主国であったイギリスに加えてアメリカが分有することになり、そのためにアメリカと蜜月関係にあった王族など既得権益層は懐を肥やしたものの民間経済は悪化、社会の急激な欧米化はイスラム教の教えや生活様式を圧迫することとなり、こうして反体制デモが勃興するがパフラヴィー王政はこれを武力で強引に封じようとしたために、逆に革命に火が付いてしまう。現在のイランの正式名称が「イラン・イスラム共和国」であるのはこのためで、イラン革命というのは何よりまず王政を打倒する民主主義の運動であったということは外せない視点である。
こうして誕生したイラン・イスラム共和国は最高指導者としてホメイニ師を置きつつその下には共和制を敷く一種の立憲君主制国となったが、革命の大きな動機がイギリス・アメリカに石油を収奪されていたことにあったため、革命後は以前アメリカの介入で失敗に終わった石油国有化を実現し、アメリカはイランでの石油利権を失うこととなる。イランから閉め出されたアメリカは1980年にイラクのフセイン政権がイランに侵攻しイラン・イラク戦争が勃発するとフセイン政権に軍事援助を行いイラン革命政権の打倒を目論む(その後1990年、フセインがクウェートへと侵攻するとアメリカは手の平を返して湾岸戦争に突入し、そして2003年には自らがその暴政を助長させたフセイン政権をイラク戦争によって粉砕することになるのである)。1980年代のアメリカは現在のトランプ政権のプロトタイプとなったレーガン政権の時代であり、いわゆるネオコンと呼ばれる他国への武力介入に積極的な政治勢力の影響もあり、親イスラエル・反アラブ諸国の姿勢が鮮明であった。
石油の収奪と王政との癒着、イスラム教の影響力を削ぐ親米化工作に加えてイラン・イラク戦争時にイランに軍事援助を行ったことにより、イランのアメリカへの不信は頂点に達する。またイランはアメリカを最大の同盟国にして軍事的後ろ盾とするイスラエルをパレスチナ領土の占領地として捉えて国家承認しておらず、イランが反イスラエル組織に軍事援助を行っていることもあって、中東におけるイスラエルの最大の敵国となる(これが今行われているアメリカのイラン攻撃の背景である)。アメリカもイランも核保有国である。こうした事情から1989年よりイラン最高指導者の座に就いたハメネイ師は核開発に乗り出し、それによってアメリカ主導で国連構成国による経済制裁を2007年より受けることとなる。
政治学者・鈴木一人の「国連イラン制裁の実効性国連イラン制裁の実効性」によれば、この際の制裁はスマート制裁などと呼ばれる画期的なものであった。経済制裁の目的は特定国に対する圧力ないし威圧であり、資金流入を止めることによる行動変容にある。わかりやすい日本語で言えば兵糧攻めだな。要するに経済攻撃である。これは当然ながら市民生活を悪化せずにはいられない。そのため2007年のイラン経済制裁では制裁対象を核開発に関わる部門のみにスポット化し、同時に一国ではなく国連構成国で連携して制裁を行うことで、資金の抜け穴を防ぎつつイランの市民生活への悪影響を最小限にすることを目指し、その結果イランが核合意に踏み出したことからこれは経済制裁の成功例として理解されているという。
しかしながら欧米が主体となる経済制裁は結局のところ市民生活の悪化を止めることはできなかった。イランに対しては国連制裁に加えて各国の単独制裁もあり、中でもアメリカは強い制裁を科しており、トランプ大統領は第一期においてオバマ政権下でイランとの間に締結された核合意を一方的に破棄、欧米諸国に対しても更なる経済制裁を呼びかけたことで、市民生活には影響を与えないとするスマート制裁の目論見は崩れ去った。またロイターの「アングル:聖職者指導層に反旗翻すイラン商人、経済への不満が抗議デモの発火点に」によれば、長年の経済制裁による準戦争状態はイラン革命防衛隊の権力を逆に拡大することになったといい、この力の不均衡が市民弾圧を生んでいることは論を俟たない。
このような歴史を踏まえたときに、はたしてわれわれは素朴に「イランの現体制は市民を弾圧する悪いやつらだ! 政権交代を!」と、トランプがそう主張したように言うことができるだろうか? たとえば、ハマスは2023年にイスラエルのキブツに越境攻撃を仕掛け、数千人の無抵抗市民を虐殺したが、その攻撃を生んだのはイスラエルのパレスチナ支配と弾圧なわけで、そもそもイスラエルが今も続くパレスチナ入植による領土拡大を停止しイスラエルとパレスチナが隣り合って共存する二国家解決に踏み切って入れば、ハマスがそこまで大規模な攻撃を行うことはなかったかもしれない。同様に、イランの市民弾圧も、まず度重なるデモの主要因が経済不振による市民生活の悪化であること、そして経済制裁によってイラン革命防衛隊の権力が増大したことを考えれば、その下地を作ったのはアメリカの長年のイランに対する敵対工作と、アメリカに追随した欧州先進国による経済制裁であると言え、少なくともこれらの国々はイランで起こっている市民弾圧の責任がないとは断じて言えない。
前置きが本文という異様な長さになったがそんなわけで俺は『シンプル・アクシデント/偶然』がカンヌでパルムドールを取るとかなんとか欧米の批評筋によって無邪気に持ち上げられている状況に苦い思いをしてるんである。イランで反政府運動に関わったと見なされて投獄・拷問された男が出所後に自分を拷問した看守らしき人物を発見、衝動的に拉致して罪を償わせようとするが確信が持てず……というあらすじのこの映画は監督が自身イランで投獄経験のある『熊は、いない』などの亡命映画監督ジャファル・パナヒであり、この人の政治スタンスは明確にイラン反体制なので、それを素晴らしい素晴らしいと欧米の批評筋や映画人が褒めそやせばさぞ人道的で理解ある正義の知識人とでも見なされるだろうが、実際にはその欧米こそがイランの人権弾圧状況を作り出しているということにまるで反省がないというか、そもそもそう気付いていないようにさえ思える。
そのような政治的な問題は措くとして『シンプル・アクシデント/偶然』という映画だけを観ようとすれば、いかにもインテリが頭で考えましたというぎこちなく生活実感のない舞台劇風の映画であり、パナヒの映画は他のものを観てもそんな感じがあるのだが、生きた人間の複層性や予測不可能性といったものがあまり見られず、自身の政治的メッセージを伝えるコマとしてのみ登場人物を動かしているという印象を受けるので、あまり面白くはないし、政治的な映画というのは最初から作り手に答えが出てしまって振れ幅がないので、予定調和で驚かされるところ、感銘を受けるようなところもない。主人公がドラクエみたいに仲間をどんどん集めていくところはちょっと笑えるがそれだけだとさすがにちょっとどうなの、ってなもんじゃないだろうか。
たとえば『TATAMI』というイランの女子柔道選手の映画もイラン政府の魔手から欧米が女子選手を守ってあげるお話だが、人権軽視の野蛮なイラン政府に苦しめられているイラン市民を正義の欧米が救うという物語は、映画の世界にも現実世界にも、あまりにも安易に流通してはいないだろうか。面白いかどうかはともかく『シンプル・アクシデント/偶然』自体はそこまで単純な世界観には立っていないが、パナヒを取り巻く欧米映画界は、この人とその映画を過大に評価することで、そうした物語を再生産してはいないだろうか。パナヒもパナヒでそうした立場を利用して自分の政治主張を広く伝えている面もあるのでwin-winかもしれないが、それはあくまでも欧米映画界とパナヒの間のwin-winであって、はたしてイランを平和な国するにはどうしたらよいかという根本的な問題はそこに含有されていないように思える。それはなかなか空虚なことと俺には見えてしまうのである。
※日本も単独制裁は行っていないとはいえ国連制裁にはきっちり参加していることを付記しておく。