それでも地獄で生きようじゃないか映画『LOST LAND/ロストランド』感想文

《推定睡眠時間:30分》

入場する時にもらったポストカードみたいなやつの裏側にはこの映画を鑑賞したらぜひとも感想をネットに書いてください、翻訳してこの映画の出演者たちに届けます、きっと喜ぶと思います、みたいな監督の署名入りのメッセージが載ってたのだが、いやこんな映画を観てネットに何を書けばいいんだよと思ってしまった。こんな映画って悪い映画って意味ではないですよ。てかその逆。これはスバラシイ映画だと思うんですけど言ってみればダルデンヌ兄弟がロヒンギャ難民の亡命道程を撮ったならばという感じの映画であり、映画の重さを0重(『コマンドー』など)から10重(『ショア』など)に分類するとすれば、これは9.5重である。9.5重の映画を観て「うわーおもしれーツイッターで最高最高今年ベスト1とか書こー!」みたいな気分に絶対ならないだろ!まったく困った映画である。困ってしまうほど必見の映画といえよう。

以前アフガン難民がヨーロッパの安住の地を求めて過酷な逃避行に出る『ミッドナイト・トラベラー』というドキュメンタリー映画があったが、『LOST LAND/ロストランド』はそのロヒンギャ難民版とも言えるかもしれない。『ミッドナイト・トラベラー』の最大の特徴は難民道程は相当な過酷さであるにもかかわらず主人公一家の子供たちは行く先々で楽しみを見つけて時折ピクニックのようにさえ見えるという意外な楽天性にあったのだが(ただし、それはある種の叙述トリックで、そんな楽しいわけないだろという現実をラストで痛烈に叩きつけられる)、『LOST LAND/ロストランド』で両親と共にミャンマーを脱出し親戚のいるマレーシアを目指すまだ幼いロヒンギャ姉弟にとっても難民道程はある種の旅行のようなもの、明かりも水も食料もない船倉に十数人もの人々と押し込まれて何時間も過ごす海路など想像するだに発狂してしまいそうになるが、それでもミャンマー国内のロヒンギャ居住地では見たことのない景色や触ったことのない物の数々に姉弟は疲労と栄養欠乏で濁った目を輝かせるのだ。

大人たちにとってはまさに『地獄の逃避行』としか言いようのない難民道程も子供の目から見ればミラクル大冒険に変貌する……その現実の引き裂かれがこの映画のものすごくもおそろしく、輝かしくも痛ましいところであった。大人たちは知っている。自分たちが生きては新天地にたどり着けないかもしれないということを。その理由は国境警備はもとより密入国ブローカーにもある。難民が国境を越えようとすれば強制送還による死の制裁が待ち受けていたりするのだから(時にはその場での銃殺さえある)国境突破を促す密入国ブローカーは法の外のそのまた外に置かれたおそらく闇商売の中でも最も危険な部類の仕事である。そんな仕事で金を稼ごうという人間に他人に情をかける余裕など一ミリも残されているわけがないので当然ながら密入国ブローカーは難民の命などこれっぽっちも考慮しないし、一滴も残らないまで金を絞り尽くそうとする。この映画の難民道程では密入国ブローカーは移送中の難民を人質に目的地の親族に金銭を要求する場面が幾度も登場し、金が払えなければさっさと殺してしまったりするのであった。

ある難民映画では密入国ブローカーが約束した目的地とは別の場所で奴隷労働力として難民を売り飛ばしていたし、また別の難民ドキュメンタリーでは密入国ブローカーが貧困と嫁不足と過疎化の三重苦にあえぐ農村に難民女性を妻として売り飛ばしていたこともあった。アフリカ・サヘル地域からの難民を乗せた船が地中海で転覆し多くの死者が出るニュースは枚挙に暇が無い。密入国という特性ゆえこうした密入国ブローカーの凄惨な犯罪行為は表沙汰になることがほとんどないとはいえ、難民たちの横のネットワークを考えればさすがにまったく伝わらないということもないだろう、この映画もそんな難民ネットワークに取材した成果のようなのだが、ロヒンギャの大人たちは、というよりも組織的で過酷な弾圧や戦争被害を自国内で受けている多くの人々は、それでも密入国ブローカーに頼らざるを得ない状況に置かれていることが少なくなく、それが最悪の選択肢だとわかっていても密入国ブローカーの手を借りて国外へ脱出し、そして時には目的地にたどり着くことなく死を迎えるのである。

その地獄行脚が何も知らない難民の子供の目にはキラキラしたものに見えてしまう残酷さはあまりにも容赦がない。けれどもそこから先を見せてくれるのが衝撃的な傑作『海辺の彼女たち』を世に放った藤元明緒という映画監督である。この残酷な世界が、一寸先の見通せない世界が、死と腐敗と絶望に覆われた世界が、それでも子供には生きる価値のある、というかそんなことを別に考えることもなく、単に楽しくてただ生きていたい世界に見えてしまうことの、この引き裂かれ、引き裂かれた認識の先にある、剥き出しの生の意志の強靱さ。こんなに救いがなく残酷な映画なのに観終わった後はなんて世界はスバラシイのだろうとまったく倒錯した感情を抱いてしまうのだが、考えてみれば難民が悲惨に死ぬ映画を観て「世界はもうダメだ……死のう……」という気分になんかなったりしたら、それは死の危険と数多の苦難を知りつつもとにかく必死で、もうとにかくそれだけを目的として必死で生にしがみつき続けた死亡難民たちがあまりにも浮かばれないのだから、難民映画を撮る人には無理矢理にこの世界で生き続けていたいと観客に思わせる道徳的義務のようなものがあるのかもしれない。そしてこの映画にはその意志が強く感じられるのである。

これはまったく壮絶な映画である。だから逆に、もしツイッターとかに感想を上げるなら、「生きる元気が湧いてきた! この映画に出てくれてありがとう!」とか、思わずずっこけてしまいそうな気楽なものでいいんじゃないだろうか。

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments