予算が4999億円足りないランニング・マン映画『ミステリー・アリーナ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

先頃亡くなった鈴木光司は代表作『リング』をとくに結末など考えずに書き始めてテレビドラマの要領で各章に何かしらの大きな事件や急展開を作ることを心がけたという。本人が言うには序章に手を付けた時点では呪いのビデオというアイデアすら存在せず、まず連続怪死事件を書いてしまって、それからその原因として呪いのビデオを捻り出したというのだから、『リング』とは今で言うライブ感で書かれた小説だったわけであるが(ちなみになぜ呪いのビデオかと言えば、ちょうどそのくだりを書いてる時に部屋にビデオがあったから)、このことが教えてくれるのはミステリというジャンルは(原作版『リング』は心霊ホラーではなくミステリなのである)他の小説ジャンルと比べてもとりわけ作為性が強いジャンルだということである。

なにせミステリにおいてはどの時点でどの情報を出すかということが単なる面白さだけではなくプロットに関わってくる。『リング』の例でいえば、もし序章で「彼らは呪いのビデオを見て死んだ」と書かれていたら、連続怪死事件の原因を探すという原作版『リング』の1/3ぐらいを占める展開は丸々できなくなってしまうだろうし、序章で隠されていた……というかその時点では作者も考えていなかった連続怪死事件の原因は、後々なんとでもこじつけることができるわけである。呪いのビデオのせいで死んだ、と書けばそれがその小説内での事実になるし、危険なウイルスに感染したせいで死んだ、と書けばそれもまた事実になり、連続怪死事件と見えたものは実は連続殺人事件で、恐るべき犯人は怪電波を発して人々の脳を破壊していた……と書くことも不可能でもなければ、読者の側が「それはありえない!」と怒ることも基本的にはない。一言でいえば、ミステリとはこじつけをその本質とするジャンルなんである。

そうしたミステリの作為性を裏テーマとするのが『金田一少年の事件簿』を嚆矢として『ケイゾク』『トリック』とミステリものテレビドラマの秀作怪作カルト作を相次いで手掛け、近年でも『12人の死にたい子供たち』『夏目アラタの結婚』などあれやこれやのミステリ作品を発表している堤幸彦のこの『ミステリー・アリーナ』であった。もともと堤幸彦ミステリは正統派ミステリという感じではなく、「ミステリとは作られたものである」という自覚の上で織りなされるメタ・ミステリの傾向が強く、『トリック』などはミステリのパロディようなドラマであった。

今でも覚えているのは『金田一少年の事件簿』のこんなトリックである。その山荘だかなんだかでは雪が降っていたので庭に足跡を残さずに犯人が殺人のあった部屋まで辿り着くのは不可能だ……しかし、実はそれは思い込みに過ぎなかった。犯人は山荘の各部屋のドアノブに乗って隣の部屋の前まで行き、そこで隣の部屋のドアノブに乗り換えて、とそれを繰り返すことで殺人のあった部屋まで雪に足跡を残さずに辿り着くことができたのだ! 原作由来とはいえそんなバカなことがあるかとたぶんそのころ小学生の俺でも思ったが、堤幸彦はミステリのそんなバカバカしさをあえてそのまま見せることでバカバカしい笑いに変えてしまう監督なわけで、『ミステリー・アリーナ』もまた純粋なミステリではなくバカバカしい笑いに彩られたミステリ批判とも取れる映画になっているわけである。

ところで堤幸彦作品の特徴といえばジャンルの逸脱。『トリック』が好例だがミステリかと思わせておいてコメディになり、コメディと思わせておいてオカルトになり、オカルトと思わせておいてシリアスドラマになり……という脱線&路線変更の連続が面白いので、『ミステリー・アリーナ』も序盤でクローズドサークルの謎を解くミステリ・コメディかと思わせておいて途中からはSF、そうだね近い映画としては『ランニング・マン』かな、に変貌するのであった。この変貌にはミステリ映画を期待して映画を観に来た人なら大いに困惑するか落胆するか苛立ちを覚えるかもしれないが、俺としては実にグッときてしまった。

だって『ランニング・マン』はハリウッドメジャーの娯楽大作だから製作費が日本円にして5000億円ぐらいかかっているはずである。一方こちら『ミステリー・アリーナ』は製作会社が堤幸彦のプロダクションであるオフィス・クレッシェンドだし、かなり高く見積もっても5000万ぐらいしかかかってそうにない。ということは『ランニング・マン』みたいのを作ろうとしたこの映画は予算が4999億円不足しているのである。4999億円足りないのに一体どうやって『ランニング・マン』を作るというのか? その答えはアイデアとネタ豊富で紆余曲折あるシナリオの面白さ、そしてアフロ姿で『サタデーナイトフィーバー』のトラボルタのコスプレをした唐沢寿明の怪演である。『ミステリー・アリーナ』という映画はシナリオと唐沢寿明で4999億円を埋め合わせようとした『ランニング・マン』なのである……!

明らかに埋め合わせられてない。しかし、その負け戦でも精一杯がんばる姿勢はまったくもってリスペクトであるし、だいたいこの映画には変な見せ場がいっぱいあるので、単に予算が4999億円足りない『ランニング・マン』に終わっていない。唐沢寿明の怪演は『トリック』の怪しいオカルト教祖なんかを嫌でも(いや、嫌ではないんですが)彷彿とさせるし、あまりにも安すぎる成功者の日常をモニターの中で演じる宇野祥平にも『トリック』に出てくるパロディ劇中劇を連想させられてこれも下らなくて笑える、ミステリクイズ回答者は例によって無駄にキャラが濃くて胡散臭く……とこのへん『トリック』路線なのだが、主人公のイマジナリーフレンド役の三浦透子は不敵な面構えとエキセントリックな言動がカッコイイし、ブーツをテーブルの上にでんと乗せてふんぞり返るトリンドル玲奈の姿にはなにかしらのフェティッシュが漂いちょっと興奮、そしてなによりミステリの作為性を権力のアナロジーとして権力批判に繋げたシナリオはなかなか技ありで見事だったんじゃないだろうか。

ミステリパートに関して言えば叙述トリックに偏りすぎというのは欠点だと思うし、予算が4999億円足りてないのでアクションシーンとかセットなどはぶっちゃけ安っぽいのだが、とはいえ、金がなくても無いなりに面白いものはできるんだというインディペンデント精神とサービス精神は、逆に『ミステリー・アリーナ』に4999億円予算を追加した『ランニング・マン』には見られないものであったのだから、映画はお金があればいいというものではやはりないんだろう。なんにせよ、俺は予告編で唐沢寿明の変顔ハイテンションを見て「これ観たい!」と思った異常な人間なので、唐沢寿明劇場といってもいいこの映画は大いに楽しんだ。犯人当てクイズの回答が出るたびに唐沢寿明がくねくね踊るんだよ。もうそれだけで面白いと思うな俺は!

※唐沢寿明といえばかつて『古畑任三郎』シーズン2においてクイズ王を演じた人物であり、その唐沢寿明が今度は司会者の立場で再びクイズ番組に登場というのは、隠れたアツい要素である。

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