そこらへんのつまらない町こそ桃源郷映画『よき谷の物語』感想文

《推定睡眠時間:45分》

始まってすぐに寝てしまったしその後も目を覚ましたところで特急の止まらない町の日常風景と日常会話が延々映し出されるだけなので何度も眠ってしまい、いったいこの映画が何だったのかよくわかっていない。この手の説明の少ない映画はおそらく検索すれば公式サイトなんかに映画の背景などが詳しく載っていてパンフレットは文字のびっしり詰まった30ページとかそんな感じであろうから、パンフレットはともかくGoogleさんに頼れば何の映画だったか知ることは簡単なのかもしれないのだが……でも映画を観てわからなかったら外部情報で答え合わせというのはなんだかとても貧しい映画体験という気が個人的にはしてしまうので、なんだかよくわからない映画だったが、しかしよくわからないままの方がいい気がする。

舞台となるのはたぶんスペインのどこかである(それさえ自信がない)。町並みの感じは埼玉中部のJR沿線とかかなぁ。特急の高架線路が通ってて定期的に電車の通過音がするけどこの町に特急が止まることはない。そう田舎というわけではなく高層マンションが何棟も建っているが、一方で小さなサトウキビ畑がその間にちょこちょことあったりもする。不便ではなさそうだが便利でもなさそう。ほどよく栄えているがほどよく廃れてもいる。要するに、あんま特徴がない。出てくる人が主に(おそらく)スペインの人だから外国の話かと思うが、もしも人が一人も出てこないで町の風景だけを撮ったなら、日本のどこかの映像と言われても納得しそうな感じである。

おそらくこの映画はドキュメンタリーで、おそらくというのは何カ所か台本なしには撮れないシーンがあったからそこはフィクションと思われ、ちょっとフィクションの入ったドキュメンタリーという微妙なラインが実際のところだと思うが、ともかくこの手の町ドキュメンタリーは普通なんでもいいからそこだけにしかないもの、主流の町から外れた……というのもちょっと違うのだが、何かしら珍しい印象を与える風景を捉えようとするものではないだろうか。

その一例は豊かな自然風景である。あるいは環境破壊の風景かもしれない。あるいはまた地域伝統のお祭り風景かもしれない。とにかくそこにしかないようなもの。そこにしかないということはないのかもしれないが、少なくともマジョリティの観客にはそのような印象を与えるもの。そのようなものを撮る。街ドキュメンタリーといえば巨匠フレデリック・ワイズマンがいくつも傑作を残しているが、ワイズマンの作風というのは被写体となる場所がどのような構造を持っていてどのようなメカニズムで動いているかを捉えるもので、そのためワイズマンの街ドキュメンタリー、『メイン州ベルファスト』、『パブリック・ハウジング』、『インディアナ州モンロヴィア』、『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』などは、観ればこの街はこういう街でこういうところが他と違うなというのが一目でわかるようになっているのだ。

ところがこの『よき谷の物語』はそれがよくわからない。とにかくどこにでもある町にしか見えない。道路建設を巡っての住民説明会の模様なども映し出されるがそれもこの町の特殊事情ではなく全国どこでもある風景にしか見えない。それがこの映画の捉えにくさを生んでいるのかもしれない。あまりにも平凡で特徴がない町を一部フィクションのシーンもあるとはいえただそのまま撮っているだけなので、わかりやすく論評できる対象がこの映画にはないのだ。あえて言えばサトウキビを囓る子供たちの姿とかだろうか。そういえば子供のころサルビアの蜜よく吸ってたよ。ノスタルジーだねこれは。

かくも捉えどころのない映画なのだがぼんやり頭でボーッと観ていたらなんだかここが桃源郷のように見えてきてしまった。日常会話の中に上の階の移民がうるさいとか最近は古い家が取り壊されてマンションばかりになってしまったとかそういう不満は出てくるのだが、激しい怒りを生じさせるほどの出来事はとくになく、みんな仲良しというわけではないにしても、表面的には平穏に、それなりに楽しく暮らしてる。良しにつけ悪しにつけなのだろうが、最近は社会問題を扱う映画が一種ブームの様相を呈しており、カンヌ国際映画祭などは社会問題を扱う作品でなければ金獅子賞やグランプリは授与されないぐらいな体感があるのだが(そしてアカデミー賞も最近はそうした傾向が強い)、はたして我々はそんなに毎日社会問題と直面したり、それに激しい怒りや悲しみを感じているかと考えると、まぁそんなことはない。大抵の人の毎日は満足と不満足の中間にあって、完全に幸せでもなければ完全に不幸でもないんじゃないだろうか。

そのような凡庸さは最近の欧米映画から失われつつあるもののように俺には思える。だからハイカルチャーの美意識を欠いた『アブラハム渓谷』のような印象も受けるこの映画ね、なんかスッと心が解毒された気がしましたよ。そうだよね、そんなもんだよね、人生。それでいいかどうかはわからないけど、でも大抵の人生は、大抵の町はそんなもん。それなりに問題は抱えてるけどさりとてそれが大事件に発展することもなくなんとなく表面的には穏やかに毎日暮らしてる。ニュースを見ればなんだか毎日世界中が戦争をしてあらゆる人々が憎み合い攻撃し合っているかのように感じてしまうが、それは世界の目立つ一部分だけを切り取って並べているからそう見えているだけで、目立たない部分に目を向けてみれば、そこにはたしかに平穏があったんである。

そう思えば、まったく凡庸としか言いようのないこの町をあえて映画にすることの意義も見えてくるかもしれない。重大なニュースや派手な話題に気を取られて人々が忘れがちな日常性の回復がこの映画にはある。つまらない町のつまらない日常など映画の中では撮る価値のないものと今でこそされているが、映画の源流を辿ればリュミエール兄弟が最初に題材としたのは単なるそこらへんの町の風景だったのだから、この日常性の回復は、映画にとって大事なものを取り戻そうとする試みでもあったのかもしれない。つまらないものとなんでもないものをあえて映画で観る。考えてみれば、それほど豊かな時間もないのではないだろうか?

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