《推定睡眠時間:10分》
主人公のホラー小説家が橋本愛なのだがこれがたいへんに麗しいので驚いたといえば大袈裟だがずっと麗しいな~と思いながら観てた。橋本愛が麗しいなんてのは『桐島、部活やめるってよ』の頃からわかりきっていただろと言われるかもしれませんがー、この人は映画の出演本数はそれほど多くない。フィルモグラフィーを見るとテレビドラマにはコンスタントに出ているぽいのだが映画は年に1~2本程度、もう少し多い年でも『私にふさわしいホテル』のように1シーン出演のゲスト枠だったりするので、一般的な映画女優さんに比べて出演作はかなり絞っているようだ。だからこうやってたまに映画館の大スクリーンで橋本愛を見ると橋本愛に慣れてないから「う、麗しい……!」と思わず見惚れてしまう。世はSNSで常時休みなくなんでもかんでも曝け出すことが正義なんだという大露出時代であるが、露出をすればするほど見る側にとってはありがたみが失われていくわけだから、露出というのはすればいいというものではないのだ。
さて露出をすればいいというものではないのはオバケだって同じである。美形役者さんの美しさは見慣れてしまうと失われていくがオバケにしても出せば出すほど怖さが失われていくわけで、貞子なんか最終的にマスコットキャラみたいになってしまったのであった。どの程度オバケを出すべきか……ホラー映画を作る人にとってこれは結構難題である。オバケは出さないと怖くない、でもオバケは出し過ぎても怖くない。もちろん清水崇のように開き直ってオバケを超めちゃくちゃ出しまくるというオバケ屋敷ホラー路線を取る手もあるが、その路線を取った清水崇の『ミンナのウタ』に始まるサナちゃんシリーズ(最新作の『だぁれかさんとアソぼ?』がもうすぐ公開)なんかはやたらとネットでは評判がいいが俺は全然怖いと思えなかった。いくらなんでも出し過ぎだろうあれは。いや、オバケ屋敷映画として観ればそれなりに賑やかで楽しいとは思いますけれども。
その点で言えばこれは清水崇的なオバケ屋敷ホラーの対極に位置する作品かもしれない。なんと『祝山』、オバケの登場シーンがゼロである。山奥の廃墟に肝試しに行った浅薄な若者たちが霊障で狂っていくというお話なのにオバケがゼロ。正確に言えばこの人たちはオバケではなく場に呪われたという感じなのでオバケが出ないのは筋が通っているのだが、それにしてもオバケもなく怪物もないというのは相当に思い切った作劇じゃないだろうか。何があるかといえば呪いによって狂っていく人たちの演技とほんのちょっとの廃墟美術である。それだけでこの映画は山の呪いの恐怖を描き出そうとしているわけである。
そしてちゃんと怖かった。たとえばこんなシーンがある。主人公には霊感があるらしいので(でもこの人に具体的に何かが見えたりするようなシーンは山を一瞬幻視する以外にとくにない)知り合いからこんなことを言われる。その逆ってあるんですか? え、逆? はい、つまり……みんなが見えているのに自分だけ見えない、とか。詳細は書きませんがここはゾッとしたな。有ることが怖いんじゃなくて無いことが怖い。見えることが怖いんじゃなくて見えないことが怖い。みんながそこに有ると言っていて見えると言っているものが実は……という逆転の発想。それはこの映画のオバケを見せない作劇とも通じるし、主人公とその友人の過去に入ったささやかで深い亀裂(あるいは怨念)を暗示するものでもあるのだから巧い、よく考えられてデザインされている映画だと思う。
まぁなにせ段取りがよいのですよ。オバケを出さないってことはオバケを出してバーンて怖がらせる安易なジャンプスケアが使えない。そしたら観客をどう怖がらせるかってそれはもう話術でしかないよね。稲川淳二の怪談話を聴いているとどこが怖いかってオバケが出てくるところじゃない。オバケが出てくるまでの過程の語りが怖い。これはそれの映画版で、日常風景が徐々に異界に取り込まれていく過程を順を追って丁寧に描写していくから、少しずつ少しずつ見知った世界が壊れていくわけで、その怖さ、厭さときたら、なのである。そうした恐怖感を出せるのはこの監督に確かな演出力があるということだからまことに立派、ろくに演出力もない監督が話題性欲しさに飛び道具的に変な映像やら展開に頼ることが多いように感じられる昨今、お話はストレートな怪談話、そしてオバケはゼロというストロングスタイルでしっかり怖いホラー映画を作り上げたことには好感しかない。
なんだか大絶賛みたいになってしまったが、でもそんなにめちゃくちゃ怖いわけではないですよ。俺主観による怖さ指数だと『残穢』(そういえばこれにも橋本愛が出ている)よりは怖くない。『ミンナのウタ』よりは怖い。『近畿地方のある地方について』よりは……どっちかな、でも向こうは途中からコズミックホラーみたいになるからこっちのが日常と地続きの怖さはあった。山の呪いという題材から言えば一番の比較対象はたぶん『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』でしょうが、発想の怖さでは『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』、演出の怖さでは『祝山』、という感じだろうか。ただしこちらは意味が分かると怖い系のお話なので、後から頭の中で反芻して怖くなるというボーナスポイントあり。
ボーナスポイントといえば本来もっと怖がるべき状況に置かれているのにまるで怖がる様子がない松浦祐也が逆に怖くてそして面白いというのもボーナスポイントであるが、その「怖がるべきなのに怖がらないから怖い」という狂いの描写だって下手な監督と役者さんがやると演技も演出も過剰になって怖くないから、何気ないようでいてこれは実はかなり難しい、その難しいことを奇を衒わず何気なくやっているのがこの映画『祝山』というわけで、こういう映画とこういう映画を作っている人は応援したくなるのである。橋本愛も麗しいし(麗しい橋本愛をちゃんと麗しく撮るのだって技術がある人じゃないとできないことなのである!)