発想は良いけど習作映画『みなに幸あれ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

なんか、最近わかんなくなってきちゃって、去年の映画で清水崇監督の『ミンナのウタ』っていう幽霊もののJホラー映画があったじゃないですか。あれが公開された時にツイッターのJホラー映画ファンの人たちがかなり盛り上がって「ビデオ版『呪怨』の頃の清水崇が帰ってきた!」ぐらいに絶賛してて、それで映画サイトのユーザーレビューとかを見てもまぁかなり評判はよくて、これはEXILE系列グループのGENERATIONSの主演作だからそのファンが点数を大幅に引き上げているっていうのもあるんでしょうけど、それを差っ引いても怖い怖いと好評だった。

でも俺『ミンナのウタ』全然怖くなかったんだよな。むしろこれ見よがしのジャンプスケアとかわざとらしい芝居に白けちゃったぐらいで。そういうので言うと『きさらぎ駅』っていうのもこれはたぶん2022年の映画だと思いますけどあったでしょう。あれは怖いっていうよりもシナリオに一捻りあってゲーム的に面白いって感じだったんですけど、やっぱりJホラーファンの評判はよかった。俺そのときにえっそうなのって思って。だって『きさらぎ駅』なんて邪道っていうか飛び道具っていうか、少なくとも正攻法で怖い映画じゃないわけだから、Jホラーファンなんかは賛否両論だと思ったら、ざっとネットの感想を見た限り賛一色って感じで。

それでこの『みなに幸あれ』なんですけど、これも本当にJホラー界隈の評判が良くて、事前に出てたスチルも不穏な感じだったからこれは久々に怖いかもと思ったんです。まぁ、この書きっぷりなら俺がどう感じたか察せられてしまうと思うんですが、えー、これはちょっとチープというか、学生の習作みたいな映画だなぁ…っていう、そんな感じで。だから今もうわかんないよね。もともと俺はJホラーファンというわけではなくてホラーは洋画の方が多く観てきたと思うんですが、それでも『女優霊』とか『リング』とか、あとなにかな、テレビのホラードラマの一編で『社内怪報』っていうのがあって、そういうのを昔観てすげー怖かったっていう記憶があるから、アメリカの殺人鬼ホラーなんか笑って観れますけどJホラーはそういうことができない、本気で怖くなっちゃって、最近のJホラーだったら『残穢』なんか映画館で観てる間だけじゃなくて観終わってから家に帰るのも怖かった(普通の家にオバケが出る映画なのです)。

実際のJホラー全般の傾向はともかくとして、俺の中でJホラーってそういう位置付けだったから、なんていうか、今のJホラーファンのJホラー新作に対する反応を見ていると、えっこんなレベルでいいのかよ!? ってなるっていうか…それがなんかもう、よくわからない。そのくせ中田秀夫の『“それ”がいる森』みたいな正統派のジュブナイルホラーはけちょんけちょんに貶したりするんですよ。なんなの? 君らにとってJホラーの良し悪し判断基準どこにあるのよ…まぁネットの感想とか評価なんてアテにならないってだけの話かもしんないね。みなさん、怖い映画はネットに頼らずちゃんと自分の足と金を使って探しましょう。

ということで本題、『みなに幸あれ』の感想ですが、まずどんなお話かと言うと東京っぽいところ在住の看護学生がおって、この人が里帰りせにゃいかんらしい。それでお父さんお母さんあと歳の離れた弟は後から来るっていうんでとりあえず自分一人だけ田舎の爺婆宅へ。するとどうも爺婆の様子がおかしい。認知症初期段階なのか廊下にぼーっと立っていたり、食事中に突然ブタの真似をしだしたり、ババァがジジィの指をフェラのごとくしゃぶるのを主人公に見せつけるなどする。うんそれは認知症とかではないなたぶん確実に。あと誰もいないはずの上の階からときおりドシンドシンと変な音が聞こえてきたりもしまして、果たしてこの家はいったいなんなのかと思っておりましたところ主人公の前になにやら目を疑うものが現れるの、です…。

ジャンル的にはまぁ田舎ホラーに分類しても差し支えないんじゃないだろうか。都会ルールで生きてきた人がそれとは全然違う田舎ルールの世界に放り込まれて大混乱大恐慌、という意味で『ミッドサマー』の元ネタになった田舎ホラーの代名詞『ウィッカーマン』と構造的には似ている。けれども新人監督の作だから致し方ないところなのかもしれないが、作品としての成熟度は当然ながら比較にならない。田舎の爺婆が急に変なことをしたら怖いよねというシャマランの『ヴィジット』的なネタは実際のところ言うは易し行う難しで、一歩間違えば下手なコントになってしまうが、この映画の場合は怖さと笑いの中間の「奇妙な味」を狙っているように見えたものの、演出力が足りていないので一本調子になっており、結果として怖くもないし笑えもしなかった(ブリーフ一丁ダンスは笑いましたけれども)

シナリオもまたお世辞にもよくできたものとは言えない。爺婆の変なことを無節操に繋ぐ恐怖シーンはそれらの行動を貫くシナリオ上の理屈が感じられず安っぽいばかりだし、「この世の幸せは上限が決まっているのよ」みたいな作品の世界観の説明台詞を堂々と、しかも何度も言わせるあたりはなんだか観ていて恥ずかしくなってきてしまった。またこういうところも俺はだいぶ気になった。地元中学生のチャリが田んぼに落ちたのを軽トラで通りかかった地元のあんちゃんがピックアップしてチャリを点検、あーこりゃダメだな送っていくよと中学生を軽トラの荷台に載せるのだが、田んぼに落ちたぐらいでチャリにいったいどんな損害が生じるのだろうか? せいぜいチェーン外れが関の山じゃないかと思うのだが、それぐらいなら道具がなくても素手で修理可能だろう。

ではなぜ修理不可能になったかというと、これは主人公と地元のあんちゃんの出会いのシーンでもあり、二人の会話を作り出すと同時に作品の世界観を仄めかすために男子中学生のチャリは田んぼに落ちただけで修理不能走行不能となったのである。つまりようするにシナリオ上のご都合である。低予算映画でディテールに凝るのは難しいだろうが、それでもシナリオで工夫できるところはあるだろう。たとえば、この男子中学生はいじめられっ子なので、チャリのタイヤに穴開けられてパンクして田んぼに落ちたことにしてあんちゃんの台詞も「パンクしてるな。乗せてくよ」に変えれば、とくに予算をかけずとも展開をより自然でリアルなものにすることができるだろう。これは些細なことかもしれないが、こうした些細なご都合主義も積み重なると映画にリアリティがなくなってしまう。この映画のように常識外れの突飛な行動で観客に恐怖を与えようとする場合、リアリティは重要ではないかと俺は思う。だってリアリティがあるからこそそのリアリティに支えられた日常ムードをぶっ壊す爺婆の異常行動がショッキングに映るってなもんですからね。シャマランの『ヴィジット』だって爺婆宅を訪問する姉弟の描写はリアルだったでしょ。

警察存在しない問題も看過しがたい。ホラー映画において警察が役に立たないのは当然のことだが、そうだとしても普通はそれを示すために一度くらいは警察が出てくるし、あるいは舞台を絶海の孤島とかにして警察を呼べない状況というのを作っておく。ところがこの映画に出てくる異常田舎は別に電波が届かずスマホが使えないわけではなく、したがって警察は呼べるのだが、異常村人による殺人を目撃した主人公は一度も警察には連絡しようとしないのだ。警察を呼べない理由はないのにこの行動はさすがにご都合主義と言われても仕方がないんじゃないだろうか。っていうか別に警察呼べばいいじゃんと思う。警察が現場に来ておまわりさんこいつら殺人をと主人公を訴えてもその警官もグルだから取り合ってくれないとかにすればご都合主義に陥らないだけでなく、主人公の絶望感を観客に味わわせることにもなるだろう。

しかし、最大の問題は、この作品の根幹を成すアイディアの首尾一貫性のなさにある。それについてはネタバレ回避ということで詳細触れませんが、要するにそれが狂った因習なのか、それとも実際にオカルト的な現象なのか、ということが、どうもあんまり考えられていないので、あるシーンではそれが狂った因習に見え、あるシーンではそれがオカルト的な現象に見えてしまう、見えてしまうというかそういう具体的な描写がされる。これはどちらとも見えることの曖昧な怖さを狙ったものではないだろう。

現実とオカルトの境が不明瞭な映画は珍しいものではないし、『ローズマリーの赤ちゃん』『シャイニング』といった古典的名作から、最近の『MEN 同じ顔の男たち』だってそうである。けれどもこれらの作品はシーンの解釈によってその現象全体を主人公の心象風景と見ることもできれば、また別の解釈によってはオカルト現象とも見ることができる。つまり鑑賞者の視点の置き場所によって作品に首尾一貫性を与えることのできる整合性があるのだが、『みなに幸あれ』の各シーンにはそうした解釈の余地がないので、作品全体が整合性に欠く。早い話、この映画には作り手の思想や哲学がないのだ。

俺はこの映画の根っこのアイディアは決して悪いものではないと思うし、作りようによっては鋭い問題提起を行う文明批評ホラーにだって成り得たんじゃないかとさえ思う。けれども一言で言えばアイディアのブラッシュアップが大幅に足りなかった。それぞれのシーンにおいてその演出がどのような効果を作品全体に与えるかということの思慮が圧倒的に足りなかった。劇中の食事シーンはすべてテレビをつけずに行われるが、いまどきテレビをつけずに食事をする家庭なんかよほど探さないとないのだから、著作権的に難しいならフリー音源でもなんでもいいから流してテレビを見ながら食事をしてる風に見せるとか、そうした日常のディテールの詰めが全然できていなかった。

だから俺はこの映画が怖く感じられなかったし、映画学校の学生の習作みたいなものじゃないかと感じたわけです。インターネットのJホラーファンの大好評を見たら監督は嬉しいだろうな、これが商業デビューというし。でもこの程度でいいんだなんて思ったら絶対よくないって。これはダメな映画だよ。ダメな映画だけど光るところはちゃんとあるんだから、インターネットの審美眼のないJホラーファンの意見で自分を甘やかさないで、粛々と光るものを磨いていったらいいんじゃないでしょーか。新人映画監督の君に幸あれ。

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