透明ノワール映画『緑の夜』感想文

《推定睡眠時間:30分》

この睡眠時間30分というのは物語の後半ほぼ丸ごと、どのへんから睡眠に入ったか定かではないのだが、目を覚ましたときには主人公ファン・ビンビンが猫を抱いていて傍らにさっきまで一緒に行動していたはずの緑の髪の姿はない。なぜ猫を抱いているのか? 緑の髪の女とは何者だったのか? 主人公が彼女の胸のタトゥーに惹かれた理由は? そのラストシーンでの微笑みが意味するものとは? すべてが謎である。もしかして緑の髪の女は猫が人間に化けていたものなのだろうか。たしかに猫っぽい気まぐれな挙動を示してはいたが…いや、さすがにそれはないだろう。

するとこれはもしかして『ファイト・クラブ』のようなというか、シャーリーズ・セロン主演の『タリーと私の秘密の時間』のような映画だったのだろうか? つまり緑の髪の女とは夫からDVを受けつつも経済的な理由から離婚できずにいるビンビンの逃避願望と夫への反発心の生み出したイマジナリー・フレンド的な…まぁいいや、たぶんそんなこともないだろうが、そんな飛躍なくわりと普通のノワール調ドラマだったであろうが、寝ていた分はいくら想像してもどうせ答えなどないのだ。

答えもないが(あるが)感想もまたほとんどない。なんというか影の薄い映画であった。予告編を観たときにはこれは韓国ソウルが舞台らしいのでソウルの夜がもっと印象的に映し出されるのかなと思ったが案外そこはサラッとしており、ビンビンと緑の女の逃避行も情感薄く起伏はなだらか、これはもとからそういうのはないだろうなと想定していたがバイオレンス描写であるとか劇画調の演出というのもない、少なくとも起きている間はなかったように思う。

「秘密のともだち」の正体を除けばシナリオも映画のトーンも似ているのはやはり『タリーと私の秘密の時間』である。つまり、生活疲れで日に日に限界に近づいていく主人公の女の人が、何者にも拘束されないかに見える自由でワイルドな女の人と出会って自分を解放するわけである。その意味でアマチュア運び屋らしいこの緑の女には確かに主人公の心の産物という面はあるのだろう。ノワールというか、サイコロジカルなヒューマンドラマもしくは癒やしのロードムービーとして観る映画なのかもしれない。

サラッと流されるソウルの夜というのも日常と地続きの非日常への旅と捉えればそれはそれでいいものだ。面白いか面白くないかでいったらそんなに面白くなく記憶にも残らないが、こんな映画もたまにはいい。ちなみにこれ、日本の封切り劇場では劇中の緑の女にちなんで緑の髪の人は鑑賞料金1500円に割り引きといういや緑髪の人なんか一日何人も来ないんだから1000円ぐらいにまけたれやと思う割引キャンペーンをやっていたのだが、そのせいで映画館に向かう道すがら緑色の髪をした女の人がみんな「アッ! これはきっと『緑の夜』を観に行く人だ!」と見えてしまった。自由でワイルドな緑の髪の女は誰の心にも実はこっそり潜んでいるのだと仄めかすようで、なかなかよい体験であった。

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