《推定睡眠時間:0分》
付き合った女がヤバかったホラーといえば厳密には付き合ってるわけじゃないが『危険な情事』、はぁそのネタをまだ擦りますかと思いつつこれがアメリカでスマッシュヒットを記録して予算の何倍何十倍も儲けたというから何か新機軸があるのかもしれんというその期待は開始10分であまりにも早く裏切られてしまった。どうでもいい若者どもがどうでもいい会話しかしないのである。ホラー映画の若者なんか殺されるためだけに存在するようなものなんだから君たちの日常会話なんかマジでどうでもいいんですと思うのは俺がそれなりにアダルティな年齢になったからかもしれん、と配慮してあげようとしたがいやそんなことはない、10代の昔からホラー映画に出てくる若者に対しては早く殺人鬼に殺されろとか幽霊に怖い目に遭わされろ以外の感情を持ったことなどなかったからだ。
いったいアメリカのヤングピープルどもはこんな映画の何が面白くて映画館に駆け込んでいるのだろうか。わからないので想像するしかないのだが、おそらく若者どものクソどうでもいい会話がたくさん出てくるからだろう。いささか奇妙ではあるが一般的な若者どもは若者どものつまらない会話を聞くと普段から自分たちもつまらない会話をしているものだから親近感が湧いて嬉しくなってしまうんじゃないだろうか、というのはまぁある程度は冗談として(ある程度は)、これは意中のバイト同僚女子に振り向いてもらうためにスピリチュアル屋で買ったおまじないグッズで「あの娘が俺のことを大好きになってくれますよーに!」と願を掛けたら本当に叶ってしまったがおまじないの副作用なのかそれとも元からどうかしていたのかこの意中の女子、ダイナミックに情緒不安定な日本のインターネットで言うところのメンヘラさんであったというお話であるからして、アメリカのわけぇもんどもはカップルとか友だちとかと観に行って「うわ~こういう女近くにもいるわ~」とかそういう感じで盛り上がる、まぁその手のコミュニケーション促進映画だから客が入ってるんでしょうねこれは。カップルで観に行ったら女の方が「浮気なんかしたら私もこうなるかもよ~」なんて言ったりしてね。うっせぇわ!
いや別にいいんですけれどもそういう映画でも別にいいんですけれども映画として完成度がいささか低いだろうこれは。とにかく最初の10分はずっと何一つ面白くないがおまじない効果で意中の女子が豹変してから面白くなるのかといったらそうでもなく、面白いところが本当にないのである。狂った女子がハイパー嫉妬で主人公男子の周囲に寄ってくる男女を見境無く100人殺す展開があったらかなり面白かったかもしれないが実際には2人しか殺さない。ハァ? しかもその狂気の表現ときたら「さっきまで静かに話してたのにいきなりでかい声で叫ぶ」とかいう芸がなさ過ぎて誰もやらないから一周して新鮮に感じてしまうほど稚拙なものだ。
狂った女が人を殺すなんて(※ホラー映画においては)当たり前なんだから女が人を急にでかい声を出してたかだか2人程度殺したりするだけでは何一つ面白くないのだが、この映画の作り手はいったいこのシナリオとこの演出の何が面白いと思ったのだろう。撮影水準もはっきりと低く、会話シーンはほとんどすべてにおいて俗にピンポンカットと呼ばれる切り返し(話者Aの顔を撮ってそれと同じ構図で話者Bの顔を撮って交互に繋ぐやつ)処理であり、細かくカットを割ってカメラポジションを変えてみるとかクロースアップを入れて見るとかドリーをやってみるとか、そういう緊迫感を高めるようなショットの工夫はまるでされていないと言っても過言ではない。急に劇判が途切れる演出の多用を見るにホラーではなくブラックコメディとして撮っているフシもあるが、その場合でもこの単調さと工夫の無さの言い訳にはならないだろう。
だいたいこれ主人公がなんかウダウダやってるけれどもそんなもんさっさと別れりゃいいじゃん。もう初日からこの女は夜中に急に見えない何かを見たり突然叫びだしたりネコの死体で謎の儀式をするとか様子がおかしいんだから俺だったらこれは殺されるなと思って即日で別れた上にバイト先も同じだと気まずいからバイトも即日で辞めるわ。その奇行を初日に目にしておいてさしたる葛藤もなく交際を続けて案の定痛い目に遭うのだからバカすぎるだろうコイツは。いや、問題は明らかにヤバイ女もしくは男と付き合い続けるということではないのだ。たとえばダリオ・アルジェントの『愛しのジェニファー』は顔はモンスター系であまり意思疎通もできないのだが(今なら差別的だと怒られる表現だろう)セックスがものすごく良いので彼女から離れられないオッサンのお話であったし、神代辰巳の『赫い髪の女』は愛もなさそうなのに自分の居場所を見つけられない寂しさからかどうしても離れることのできない男女のお話なわけで、日活ロマンポルノとその周辺なんかはその手の有害な関係かもしれないけど別れられない……という恋愛もしくは性愛の切なさ愚かさ痛ましさを描いた映画ばかりだが(石井隆の『死んでもいい』とか)、そういう物語を持つ傑作は世の中にそれはもうたくさんあるわけである。
だからこの映画も主人公の男がどうしてもこの激ヤバ女から離れられない理由をちゃんと掘り下げればそれなりに面白くなったんじゃないだろうか。それはたとえば性欲かもしれない。それはたとえば寂しさかもしれない。それはたとえばお金かもしれないし、初恋の人の面影とかかもしれない。人間が自分にとって毒になる何かに執着する理由は千差万別なんだから描いてくれさえずればそんなもんなんでもいいのだが、この映画ときたらそれを描かないものだからこちらとしては「さっさと別れりゃいいじゃん」と呆れるだけで、少しも主人公の男に同情したりできないし、バカバカしくなっちゃってヤバ女が何をしようが怖いと感じることもない。ついでに言えば、例のおまじないグッズは普通の作家だったらそれを色々と使って意外な展開に持っていくと思うのだが、この映画の中では単に主人公とヤバ女がくっつくだけの道具となっているので、単純に脚本開発が足りないとしか言いようがない。足りないのはそこだけではないのだが。
今年はなんとなく例年よりも映画館で上映されるホラーの本数が多いような気がするので何十本か知らないがまぁまぁの数は観ているはずで、その中には面白いホラーもつまらないホラーも怖いホラーも怖くないホラーも当然いろいろあったわけだが、あくまでも俺の感覚で言えば『オブセッション 災愛』は今年映画館で観たホラーの中で一番レベルが低いと感じた。レベル、というよりも、もしかするとその前段階の問題なのかもしれず、この諸々の工夫の無さを見るに、どうもこの映画からは観客を本気で怖がらせようとか本気で楽しませようとかする作り手の意気込みが感じられないのだ。もちろんメンヘラ女と付き合うとはどういうことかと真剣に考えてもいないので、このヤバい女の治療過程や複雑な心情が描写されることもなく、女は単なるモンスター扱いである。
こんな程度のホラー映画なら普通は日本に輸入されないし、輸入されても配信スルー止まりが関の山じゃないだろうかと思うが、これでもアメリカではヒットして作り手がお金持ちへの第一歩を踏み出せるのだとしたら、アメリカという国のその気まぐれの方がヤバ女よりもよほどおそろしいんじゃないだろうか。