自粛疲れの処方箋映画『精神0』感想文

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《推定ながら見時間:10分(vimeo鑑賞)》

映画のタイトルで「0」と付けばエピソード0的なものを想像するので前作の『精神』は観ていないもののそれなら問題ないだろと再生ボタンを押してみるとエピソード0的なものではなく、この0が何を意味するかといえば、人間全肯定型の主人公の老精神科医が、その肯定の原理に従って漫画とかたくさん買ってたらあれもこれも欲しくなっちゃって逆に苦しくなったみたいなことを言う一人の患者に、0の日があってもいいんじゃ、なにもしなくてもここに存在するというだけでああ生きててよかったな、そう思うだけの日があってもいいんじゃ、とだいたいそんなことを言う、つまりは空っぽになってみることの比喩が0ということらしい。

新型コロナの流行を受けての緊急事態宣言と営業自粛要請によって映画館が開けられない。平日働いて土日祝は渋谷・新宿を中心とした映画館ハシゴのローテーションで何年もやっているので映画館に行けないとなると日付の感覚もなくなってしまい一体いつから映画館に行っていないのかわからなくなってしまったが、映画館がいよいよ休業に入った最初の週、たしかに俺も家でゴロゴロしながら0を感じていたなとふと思う。

次から次へと入ってくる到底追い切れない数の新作を求めて映画館から映画館へ。今この時間に観れる映画は何かと常にスマホで上映情報を確認しながら分刻みの移動、だいたい午前11時ぐらいから外出して終電で帰って来る…と企業戦士の方々は知りませんがフリーターの俺としてはむしろ平日より忙しいじゃねぇかというのが新コロ以前の週末であった。とくに営業自粛要請の出る直前は渋谷の名画座でソ連&ジョージア映画特集というのがあって、これはもうコンプは不可でも可能な限り、とにかく可能な限り観るつもりでチラシの出た二ヶ月前ぐらいから鑑賞スケジュールを練っており…まぁそれはいい。

そういうわけでついに映画館に行けなくなった日、休日とはこういうものだったのかと午後のまどろみの中で慎ましい喜びに浸っていたのだった。なんもしない。なんもいらない。ただそれだけでいい日。そうだな、俺はちょっと映画館に依存しすぎていたよ。宗教だね。宗教も悪くないが現世否定的なほどに映画にのめり込むのもそれなりに不健全だろう。だから映画休みも必要だ。たまには映画0にした方がいいのである。

ただそれも最初の週だけで早々に配信映画をずっと観る生活にシフトしたしもういい加減に映画館行けなくて死にそうになってきてるので早く開いてくれ映画館。このままでは生命0になってしまうぞ。新型コロナ禍に伴う経済活動の縮小と政府の経済支援の腰の重さに対して「命か経済か」と言う人も、いやそうじゃない「命と別の命」の問題だという人もいるが、人が死ぬ理由は過酷な病気や経済的な困窮ばかりではない、文化を断たれても人は死ぬのだ…いやマジで…。

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まそんなわけで配信先行解禁になった(せざるを得なかった)新作としてこの間はアップリンク・クラウドが配信するホドロフスキーの『サイコマジック』という映画を観て今日は期間限定配信サイト仮設の映画館が配信する『精神0』、どちらもメンタルヘルスの映画というのはステイホームな日々を意識してのことか単なる偶然かは知らないが、映画館欠乏で瀕死のメンタルが少しだけ癒やされる(でも真面目なドキュメンタリー映画ばかりなのでそろそろバカみたいなB級アクションの新作とかが観たいものだ…)

内容はなんかね、日常。今となれば懐かしくさえ映る老精神科医の日常風景でした。まーこの人が魅力的な人で、精神科医っていうか老師って感じ。大したことなんか別に言わないんですけど自分のために大したことを言ってくれてるって見事に患者に思わせるんですねぇこれが。で、金が必要だと訴える患者にはその場で金を渡したりする。すごくないすか。一般的な患者と医者の関係性を明らかに逸脱してるよね。

俺は精神科医は三人ぐらい受診してますけど医者が患者に金を渡すのが論外なのは当然として、初診の時はそうですね、辛かったですね、よく来てくれました、って感じで患者に安心感を与えて受け入れつつ好きに症状を話させて症状に合った薬処方して、そうやって治療を続ける中で症状が落ち着いてきたら患者の医者に対する依存の度合いを減らすために医者の方から距離を置いていく、みたいなのが治療の基本だと思っていたので、金は渡すわ携帯番号教えるわで距離を減らさないどころか維持していく老精神科医の治療方針に目から鱗でしたよ(個人的にはそんな関係は望まないけど)

治療って感じじゃないんだろうなたぶん。そこらへんは『精神』に詳しく描かれているのだろうと思われるが、精神を病んだ人と一緒に生きていくみたいな。あるいはそれは病でさえなくて、ただ以前と違うというだけで、生きていれば違ってくるのは当たり前だからそれをことさらに嘆く必要も特別視する必要もないっていうような、そういう風に人を見るのがこの老精神科医なんだろう。老精神科医の引退宣言から始まる映画であるからカメラはやがて診察室を出て老精神科医の生活に密着していく。人生の最終局面、自分も家族も変わっていく中でその変化をただ生きようとする老精神科医とその妻の姿は、それがきわめて平凡であるだけに自粛疲れしたメンタルに深く染み入るのだった。

日常の映画なので老精神科医とは関係なく町の風景が入ってくる。老いたネコを見つけては追いかけてみたり「水曜日のダウンタウン」のロケと勘違いした(なんで勘違いしたんだろう)中学生バカ男子どもと微笑ましく絡んだりする。想田和弘は絶対に自分を安全圏の外に出そうとしない小賢しい信用ならないリベラルだが、その距離の取り方の上手さがこれこれの幸せショットを何気ない日常から引き出しているのであろうから、やっぱ人としてどこか曲がったところがないと面白いドキュメンタリーは撮れないんだろう。森達也もドキュメンタリー監督は鬼畜じゃないとなれないとか言っていた。いやまぁ、そんな話はどうでもいいのだが…。

あと面白かったのが老精神科医の下を訪れる患者たちの顔とか話っぷり。みんな作ってくるんですよ、患者としての自分っていうキャラを。そりゃもちろんどの患者もそれぞれ苦しいものを抱えているのは確かなんでしょうけどそれを直接ぶつけるっていう人はあまり出てこない。自分の苦しさをわかってもらうために苦しんでる自分を演じるみたいな、俺含めてですけど精神科を受診する人ってだいたいそういうねじれた態度取りますからね。それが克明に記録されていて(カメラ普通に診察室の中入るので)面白かったな。とくに他院を受診した時の不満を医者の実名出して老精神科医にぶつける人には笑った。いや、あそこは精神科の通院歴がある人はみんな笑うと思いますよ。精神科あるあるなので。

【ママー!これ買ってー!】


精神

『精神0』の中でも回想として2008年に撮られた『精神』の映像が出てくるのだが、人って結構なスピードで変わっていくんだなぁと10年の時の重さを感じたりした。

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