映画の感想『ニューヨーク、ジャクソンハイツにようこそ』

《推定睡眠時間:15分》

3時間もあったが常に一定のリズムを崩さないプログラミング的編集のせいで早々に時間感覚が失われてしまい短いとも長いとも言えないが気付けば終わっていた、という感じの映画。
アメリカの傍観者フレデリック・ワイズマンのジャクソンハイツ訪問記です。ワイズマン的には『メイン州ベルファスト』『パブリック・ハウジング』なんかの流れを汲む街もの。

そのジャクソンハイツどこにあるんだろうと検索にかけると(映画を見ていれば分かるようだが頭に入ってこなかった)ニューヨークはクイーンズの西端、わりとすぐそこの橋を渡ればマンハッタン。
こう、その立地ならアメリカ映画でよく見るヤバくて洒落たニューヨ~ク感がバリバリありそうな感じですがニューヨ~クっていうか新大久保みたいな。

新大久保の駅出て東新宿方面行くとコリアンタウンじゃないすか。で大久保方面に歩き出すとスーパー多国籍な雑多景観が広がる。ジャクソンハイツの見た目あんな感じ。
つまりジャクソンハイツは百人町。こじつけではあるが名は体を表すという感じ。世界各国津々浦々から人が集まり140言語ぐらいがあの狭い地域では話されているらしい、ジャクソンハイツ。

で映画はそのジャクソンハイツをなんとか通りに沿ってあちこち見学していくような構成になっていて、これがまぁ目一杯、次から次へと場所を変えてジャクソンハイツのコミュニティはどういう姿をしているのか、どのように維持されているのか、どのような問題に直面しているのか(ジェントリフィケーションという金持ち主導の再開発らしい)、というのを住人たちの議論と対話、労働と教育を中心に据えて捉えていくのですが、これでも全然足りないな3時間じゃって感じの情報過多。

「ようこそ」というから行きましたがようこそどころじゃないね。バイトの勤務初日にガイダンス的なやつがあるかと思ったら何の説明もなく制服着せられて売り場立たされて困惑するような体験ですよこれは。
ごめん嘘ほんとはフレデリック・ワイズマンが好きだから観に行ったのでたぶんこういう内容だろうというのは知ってました…。

ワイズマンの映画が好きなのはプラグマティックな構成が超かっこいいから。無駄なものとか私的なものとかもう絶対ない。なにがなんでも入れようとしない。有用と無用で映像がクッキリ分けられてる。これがカッコイイ(だから、ワイズマンの映画を透明な記録として見るのは非常に危険なのではないかとおもう)

ワイズマンの映画には疑念がない。そこには迷う人間の姿は出てきても、自分が属する社会や集団に疑念を抱いて躊躇う人間の像はまったく出てこない。そんなものはワイズマンにとって完璧に不要なんである。

だからこの映画でも実に多様な集団(宗教の集まりだったり、性的少数者のグループだったり、移民向けタクシー運転手教室だったり)とそのメカニズムや動作が描かれるが、それに対する様々な私的な疑問は映画の中にも外にも全然ないのだ。

カメラの前に現に存在して現に動いているものだけをただ撮って繋いでいく。決して透明ではない色つき(レインボーカラーかもしれない)で剥き出しの情報の二重らせん構造のような映画。

無駄なものが一つとしてないのだからいつものように完璧におもしろいけれども、社会的な有用無用でバッサリ世の中を断裁するアメリカン合理主義的民主主義的教育的残酷は移民が多くを占めるジャクソンハイツの多様性を映し出すに随分とえげつない。

よく面白いドキュメンタリー映画は鬼畜じゃないと撮れないというが、なるほど確かに、と改めて納得してしまうのだった。

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メカメカしいワイズマンの街ドキュに疲れたらニコラ・フィリベールの叙情街ドキュで休息。

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