川口クルド映画『マイスモールランド』感想文

《推定睡眠時間:0分》

ポスターになってる主演・嵐莉菜の横顔を見たら迷いが生じてしまった。解説文などによればクルド人難民を描いた映画ということだったので難民問題に関心がないわけではないえらい俺としては是非とも観たいところだったのだが、嵐莉菜の横顔がいかんレベルでキレイだったのでなんかこうこれは観ていいのかなぁっていうか、こんなもん嵐莉菜が絶対に不幸な目に遭うに決まってるわけでそれを見て悲嘆やら義憤やらが湧くと思うのだが、その悲嘆やら義憤やらは嵐莉菜がいかんレベルでキレイだから「こんなキレイな人に!」的に生じているのかもしれず、だとしたら俺が見ているのは主人公を通したクルド人難民の受難ではなく、難民一般の受難ではなく、あるいは入管制度の欠陥や日本社会の排他性などでもなく、「かわいそうな嵐莉菜」でしかないことになってしまう。そんな見方はおそらく作り手の望むところではないだろう。人間キレイなのも良いことばかりではないなとか思う(そんな風に見るお前が悪いと言われれば返す言葉もないが)

主人公のサーリャ(嵐莉菜)は川口の公立校に通いコンビニでバイトをする平凡な高校生。周囲の平凡高校生と違うのは彼女はクルド人であり現在家族ともども難民申請中ということだ。幼少期から日本で暮らしている彼女にとってクルドは近いようで日本よりも遠い国。クルド人の自覚を持つようしつこく言ってくるシングルファーザーの父親には反感もあるし親が結婚相手を決めるようなクルド難民コミュニティには馴染めない。クルドなんか知らねぇよ、普通に大学行って普通に教員免許取って普通に日本で学校の先生になりたいんだよこっちは…と願うサーリャの前にジャパン国が立ちはだかる。難民申請が却下され入管施設への収容は免れたもののビザなしの仮放免処分となってしまうのだ。

仮放免の条件は居住地域の川口から出ないこと、出る場合は入管に申請して許可を得ること、就労はしないこと、定期的に入管に出頭することなど。就労せずにどうやって暮らしていくんですかという父親の問いには入管職員はもとより一家を支援する弁護士も答えられない。仮放免処分が下る前は担任教師も後押ししたサーリャの進学はビザを喪失したことで暗雲が立ちこめる。頑張れば必ず報われるから、との担任教師の言葉が虚しく響く。

そんな折、解体作業で糊口をしのいでいた父親が警察に見つかり入管施設に収容されてしまう。無期限の収容とかいう残酷処分にたわんでいた心がポッキリ折られる一家。はたしてサーリャによりよい明日はやってくるのだろうか。

去年公開された『東京クルド』というドキュメンタリー映画がこれと同じように日本で育った仮放免中のクルド人青年二人(一人は進学を考えてる)にカメラを向けたものだったのだが『マイスモールランド』のサーリャとは境遇が似ているだけでなくエピソードとか心情までちょっと似ていて、いずれも川口のクルド人コミュニティに取材しているわけだからパクリとかではなく(影響はあるかもしれないが)こういうのは在日クルド人の若者に結構一般的なものなんだろうというのが面白かった。

『東京クルド』と異なるのは『マイスモールランド』の方は青春映画的な側面が強く(それを言うなら『東京クルド』も暗い青春映画なのだが)コンビニでバイトできないからパパ活という名の援助交際をするとか大学受験が近づいてきて同級生と溝ができるとかコンビニ同僚の美大志望高校生とプラトニックな恋仲になるとかあくまでもカギ括弧を付けたいのだが「普通の」高校生の物語らしい展開を見せるところ。サーリャは見た目こそ尋常ではないが内面的にはそこらへんによくいる感じの女子高校生であり、そのことで彼女の日常を通した日本人の無意識的で悪意のない外国人差別が浮き彫りになる…というのもまぁ『東京クルド』にあった視点ではあるが。

この悪意のない外国人差別の描写がなかなか辛辣で良い。コンビニでレジをしていれば優しい声色のババァがあなたお人形さんのようにキレイねぇ日本語お上手ねぇお国はどちらかしらそのうち帰るんでしょう、と畳みかけてくる。ババァの脳内にあるのはコンビニバイトの外国人=留学生であり、まぁだいたいの場合はそうかもしれないが自分たちが外国にルーツを持つ人間たちと既に共に暮らしているという発想がない。コンビニ店長(藤井隆)がサーリャをクビにする場面も最高だった。悪いけど不法就労は認められないよ、とこいつ上から目線で諭すように言うんだよな。でその後で給料ちょっと多めに入れといたからっつって廃棄弁当何個か持たせてそれで「良いこと」をしたつもりになってるんだよ。同情して施しをあげたつもりになってるの。

まず不法就労になったのはお前ら日本人が作ったクソルールのせいだしこっちは生活基盤を壊されてんのに色づけしたラスト給料とか廃棄弁当の二個や三個が生活の足しになんかなるわけねぇだろぶっ殺すぞ…とはこころのやさしいサーリャちゃんは言わないわけですが、まぁでもこういうのも悪意があってのことじゃない、サーリャがクルドって知ってると平凡日本人たちに問いかけると誰も知らないのだが、彼ら彼女らはクルドを知らないのと同じように入管法や難民申請者の無理ゲー感も知らず、日本に住んでるのは日本人だけだと当たり前のように思ってしまっているので、こんなような悪意なき悪が現出してしまうのだ(ただし援交オッサンだけはストレートに悪)

クルド人コミュニティの中の日本語ができない人のために無償で通訳をしてやっているサーリャはある意味ヤングケアラーでもあり、難民問題だけではなくここには様々な日本の歪みが凝縮されている。日本の歪みなのだからサーリャ個人でどうこうできる話ではなく、ラストに至ってもぶっちゃけ何の問題も解決はしないのだが、様々な経験を通してサーリャが少しだけ自分の人生に前向きになるサマにはグッときてしまう。アインデンティティの揺らぎなどクルド難民の抱える問題を高校生が成長過程でぶちあたる問題とダブらせつつも決して一本化したり普遍化することなく並行して描き、それを通して現代日本のある側面が見えてくるバランス感覚が見事な映画だったと思う。

※あとこの一家はサーリャの下にちょっと年下の妹と10歳くらい離れた弟がいるんですけど年下の妹はサーリャよりももっとクルド人コミュニティと距離が遠くて日本人コミュニティの中でアイデンティティ形成を行っているので言うこと為すことマジそこらへんのガサツな女子高校生、弟は自分と周囲の日本人との違いに悩んで孤立中っていうその違いが面白かった。あと配給がバンダイナムコアーツっていうのにびっくりした。ゲームより全然良い仕事してるじゃん!

【ママー!これ買ってー!】


クルド人を知るための55章 (エリア・スタディーズ170)

『東京クルド』のDVDリンクとかを貼りたかったがソフト化されていないようなのでとりあえず定番のエリア・スタディーズを。

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