《推定睡眠時間:40分》
おそろしいことに近未来のアメリカでは若年男子が死ぬのを見世物とするイベントがブームになっているのだという。その名も「ロングウォーク」。このゲームのルールはきわめてシンプル、ただ最後まで歩き続ければよい。各大会での参加者は約50人ほど、参加者には男しかいないし『風雲たけし城』におけるたけしポジションの通称・少佐が前口上としてボーイズとか君たちは一人前の男になったとか言っていたので、おそらく参加資格があるのは男子だけ、それも若い男子ばかりだったから年齢制限も上限25歳とかであるんだろう。その若き男子たちがひたすら道路を歩き続けるのであるが、おっと言い忘れた、速度が一定以下になるとその男子は銃殺されます。もちろん棄権は不可。というわけでただひたすら歩いているだけでどんどん参加者は減っていく、そして最後に残った一人には莫大な富が与えられるのだ。近未来の没落アメリカではこのゲームを放送する番組が大人気で番組効果によって国民の生産性が上がったのだという。どういう理屈かわからないが、ともかくアメリカはおそろしい国である。
原作の『死のロングウォーク』はスティーヴン・キングがリチャード・バックマンの変名で発表したキングのキャリア比較的初期の小説。キングはバックマン名義で『バトルランナー』(※最近『ランニング・マン』として再映画化された)も上梓しており、そちらも殺人テレビ番組のお話なのだが、この『死のロングウォーク』は日本においては『バトル・ロワイアル』の元ネタと言われてちょっとだけ話題になったりした。『バトル・ロワイアル』の元ネタと考えると、なるほど『バトル・ロワイアル』を書いた高見広春は良い翻案をしたなと思う。なぜならこの『ロングウォーク』、本当にただずっと男子たちが歩いてるだけで、『バトル・ロワイアル』みたいにお互い殺し合うとか爆弾作って主催者に反旗を翻すとかそういう面白いイベントがまったく起こらないからだ。
いやこれ何が面白いんだよ。俺がっていうか劇中のアメリカ人視聴者は何が面白くて観てるんだよこれを。そらあんた『ランニング・マン』がテレビ放送されてたら面白がって観る人がいるのはわかりますよ。『ランニング・マン』の方は追跡劇とか銃撃戦みたいなわかりやすい見せ場を参加者が作ってくれるから『逃走中』みたいな感じで面白いわけだよな。でも『ロングウォーク』は違うじゃん。男子がずっとくっちゃべりながら歩いてるだけじゃん。仲間割れをしたり反政府ゲリラが乱入して戦闘になるとかないじゃん。てか走りさえしねーじゃねぇーか。せめて走れや! 走ったところでデスペナルティ付きの集団マラソンにしかならないかもしれないが『24時間テレビ』だって最低限走ってはいるじゃないですか! 『24時間テレビ』のマラソン企画だって何が面白いんだよという気はするけど一応走ってはいるし放送時間内にスタジオに辿り着くかなみたいなスリル()もあるでしょ! 『オールスター感謝祭』の赤坂5丁目ミニマラソンはもっと面白いけどね!
もしかして近未来のアメリカはこんなスカスカな企画がバカウケするほどにテレビ業界も衰退してしまっているということだろうか……そうなのかもしれないがそれを示すシーンは劇中にないので詳細は不明である。それを示すシーンどころか近未来のアメリカがどんな世界になっているかということさえ断片的かつ限定的な短い回想シーンと道路脇の様子(といっても大半は僻地なので何もないが)からしか窺い知ることができない。映画のだいたい90%は男子たちの歩きながらの会話シーンである。その意味でこれは一種の密室会話劇と見なすこともできるだろう。いやこれ何が面白いんだよ!
別に会話劇が悪いというんじゃないですよ。だって俺オールタイムベスト20には必ず『十二人の怒れる男』入るもん。あれはホント超面白いと思う。何が面白いかって密室で議論してる陪審員たちの意見が次々とオセロみたいにひっくり返っていくところだよね。最初はたった一人ヘンリー・フォンダを除いては全員が有罪だった。ヘンリー・フォンダも有罪票を投じればそこで即審議終了、論題となっている事件は被告の有罪=死刑が確定する。しかしその被告にとっては絶体絶命の状況からまさかの大逆転が生まれるわけで、その過程がとにかくスリリングで面白い。
しかし……翻って『ロングウォーク』、勝者は一人とルールで決まっているならもう少し参加者同士ギスギスしたりお互いを陥れようとしたりしてもよさそうではあるが、そういうところはまるで見られず、この男子どもときたら最初から全員がずっと仲良しで和気あいあいと無駄話をしているではないか。これでは『ガチンコファイトクラブ』ではないが「お前ら戦え!」と言いたくなってくる。映画も中盤に差し掛かる頃にはさすがに察しの悪い俺でもこの映画が何を描こうとしているかがわかってきて、ポスターの感じからすればどう見てもホラーなのだが、そうではなくこれは『ショーシャンクの空に』とか『グリーンマイル』とかイイ話の方のキング原作映画なのだと気付く。だから男子たちはずっと仲良しなわけで、絶望の未来で疲弊した男子たちがお互いに気遣い仲良く一緒に頑張るサマを見せて観客に感動してもらおうという映画なのである。
もっとも、その狙いは男子が歩きながら仲良く会話しているだけというシナリオのつまらなさを正当化するものではないだろう。だって最初から全員仲良しだったら意外性もなんもないじゃん。最初はみんな一言も口をきかないし口をきいても険悪、なにせ自分以外の全員がこのゲームでは敵で、自分以外の全員に死んでもらわないと自分は生き残れない。そういうところから物語が始まって、途中で殺し合いとかもあって、でもその中で少しずつ参加者の男子たちに連帯感とか仲間意識、お互いを気遣う心が生まれてくる……絶対そうした方がドラマティックで面白いし感動的だと思うんですよ。
それにねみんな仲良しだったら設定が破綻するじゃないですか。ゲーム中誰かが脱落しそうになると他のほとんどの参加者が「頑張れ! 負けるな!」とか励まして脱落を防ごうとするけどいや、そこで脱落を逃れても結局死ぬんなら意味なくない? むしろ苦しさを引き延ばすだけじゃない? とか思うし、そもそも他の参加者に死んで欲しくない優しい心の持ち主ならこのゲーム参加しないだろ。だって自分が参加するということはそれによって他の参加者が優勝者になる可能性が少し減るってことなんだから。成立してないんだよこの全員仲良しシナリオだとデスゲームの設定が。
ゲームの参加資格があるのは若い男子だけで優勝者には莫大な富が……というからには参加者はみんな貧乏人なわけで、このゲームが徴兵と白兵戦を抽象的に表現したものであることぐらいは俺にもわかるし、だから男子たちは軍隊ノリで仲良くくっちゃべってるというのもわかりますよ。その意味では戦場なき反戦映画とも言えるが、問題はそれが映画として面白いのかということと、それを見せたいならたとえば「最後の一人にならなくても○○キロ地点までたどり着けたら残った人全員で賞金山分け!」とか設定を変更しないと物語が成り立たないだろっていうそこなわけで、なんでこのシナリオで撮影にゴーサインが出たのかぼかぁよくわかりません。演出もなんかやたらと情緒的な音楽を流したり顔のクロースアップの切り返しが最初から最後まで続いたりとか一本調子で面白くないし(モブ参加者が下痢便を垂れ流しながら死ぬところは悪趣味でよかった)
とはいえ、俺は『24時間テレビ』のマラソンの何が面白いのかわかりませんが、今も続いているということは俺以外の日本在住者全員が『24時間テレビ』のマラソンを面白いと思っているだろうと思われますので、この映画も俺以外の日本在住者全員にとっては思わずホロリと来てしまうイイ映画なのかもしれません。俺は刑務所に入れられていないだけの鬼畜サイコパスなのでずーっと早く全員死ねば良いのにって思いながら観てましたが。