大家一起来映画『新世紀ロマンティクス』感想文

《推定睡眠時間:60分》

主人公のチャン・タオが2000年代初頭の中国版ディスコに入って行くと人々がsmile.dkの”butterfly”に合わせて踊っていたので懐かしさが込み上げてきた。バタフライ! 俺にとって「バタフライ」は1999年に発売されたコナミの名作音ゲー『ダンスダンスレボリューション』の初代に収録されていた曲である(たしかCMでも流れてなかったか)。そのころ俺は小学生なのでゲーセンデビューはまだ出来ておらずPS移植版と専用コントローラー(足で踏むやつ)を買ってきて家でアイヤイヤ~イの歌にノってステップを踏みまくっていたわけだが、ゲーセン筐体の方はその後韓国、中国、台湾、米国などに輸入されたそうで、それと共に「バタフライ」も各国に渡り、アジア圏では人気爆発。その当時台湾に住んでいたというあるYouTubeコメントによれば2000年頃の台湾でもっとも人気のある曲だったという。

たしかにネット探せばsmile.dkが韓国の歌番組で「バタフライ」を披露したり中国でライブをやっている当時の映像が出てくるので、おそらく台湾でもガチ目に人気があったんだろう。この「バタフライ」、調べるとかなり面白い運命を辿った曲なのだが、その話は長くなるので後日noteにでも書くとして、よほど人気があったのか中国では孙悦(スン・ユエ)という人気歌手が中国語でカバーして「大家一起来」のタイトルに改題。その歌詞を機械翻訳頼りで読んでみると「さぁみんな集まって踊ろうよ。未来はきっと明るいよ」というようなことを歌っているらしい。

ああそういうことなのか、と思った。途中60分(それは途中というレベルか?)寝ている点をあえて度外視しても(それは度外視できるレベルか?)なんだか取り留めの無いよくわからない映画が『新世紀ロマンティクス』である。開幕直後にスクリーンに映るのは手にレンチを持った若い男が干潟のようなところに立ち尽くしている風景。この男が誰かはわからず何の説明もないまま、まるで夢でも見ているかのように場面はオーバーラップして、姦しい中年女性たちがガッハッハと笑いながら「ほら歌って歌って!」とアカペラカラオケ大会に興じている、おそらくはドキュメンタリーと思われる場面に移る。

その後、カメラは廃墟の歌劇クラブへ。歌劇クラブというのは無料で入って好きに飲み食いできる広場で、ステージの上では歌手の女の人たちが歌劇(歌劇といっても物語性の強い歌を歌ってるだけで劇っぽい要素はない)を演っている。この歌手の人たちはオーナーにお金を払って舞台に上がらせてもらってるのでオーナーはそれで利益を上げ、一方歌手の人たちはお客から大道芸の要領で投げ銭をもらって稼いでいるらしい。なるほど、たぶんさっきのアカペラカラオケ大会の人たちは昔こういうところで働いてた元歌手なのだろう。

そして次ぐらいのシーンが2000年代初頭と思われる例の中国ディスコの「バタフライ」ということで、見ている間はこれこれこうしたシーンの繋がりの意味がサッパリわからんかったが、つまりは大家一起来。おそらく1990年代から現在までの中国社会の変容を点描しながら、そのさまざまな場所にチャン・タオが完全無言で居合わせる(実際に何十年間ものあいだ撮りためた映像を繋げてるらしい)この不思議な作りの映画で描かれていたのは中国人民の大家一起来なんだろうと思う。

現代中国を舞台にした『フェアウェル』のような映画であるとかtiktokの中国オモシロ動画とかを見ていて感心させられるのはそこにコミュニティがあることだ。なんか、公園で太極拳をやるとかさ。軽いダンスを踊るとか。仲良しグループとかそういうんじゃないの。昔は夏休みになると小学生と老人が集まってラジオ体操なんてやってたと思うけど、ああいう感じで知り合いでもないような老若男女さまざまな人々が集まって一緒に何かをする。どうも中国にはいつの時代にもそういう文化が息づいているらしいので、映画のラストを飾るのはコロナ禍のピークを越えたぐらいの頃、チャン・タオがやっぱり無言で近所の人たちとジョギングをする場面であった。

レンチを握って途方に暮れる男が眺めていたのは生産から消費へと社会構造を変化させていく中国の未来だったのかもしれない。これから中国はどうなってしまうんだろうか。市場経済を導入して社会主義が形骸化して人々は豊かになるのかもしれないが、それで中国の何かが失われてはしまわないだろうか? まぁ失われたものが多々あることは間違いないとは思うが、それでも中国の大家一起来は失われなかった。歌劇クラブは無くなったがその代わりにディスコができた。ディスコは無くなったがその代わりに路上ファッションショーができた。路上ファッションショーは無くなったが…そしてコロナ禍によって人々が物理的に集まることが不可能になった後でも、ラストの集団ジョギングが示すように、大家一起来マインドは生き延びたのである。その光景はコミュニティがほとんど死滅状態にあるような日本の大都会で孤独に暮らす身としては、ちょっと羨ましい。

なんとなくあまり幸せそうに見えないチャン・タオだが、時代によって次々変わる大家一起来スペースに片っ端から顔を出してそこで生きる彼女に悲愴感は漂わない。心が折れそうになってもとにかく中国には(少なくとも今のところ)大家一起来があるのだ。だから困ったらそこに行けばいい。前作『帰れない二人』などを見るに監督のジャ・ジャンクーはどちらかといえば中国政府に批判的だが、政府には批判的でも中国的なるものはきっと信頼しているんだろう。

そんな監督によるフィクションとノンフィクションを行き来する、私的な白昼夢のような現代中国だいたい30年史。チャン・タオの凜とした佇まいも美しい見事な映像詩ではないかとおもう。

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments